リアル・マイケルジャクソン [Vol.62]_1999年_MJ&フレンズ序章編 ~おっかけOL3人組とマイケルの交流実話~

インフォシーク / 2013年11月15日 17時30分

ソウルのコンサート会場。幅60m強の巨大なステージに最新鋭の機材・スタッフが投入された。

1999年6月、マイケルは、チャリティーコンサート「MJ&フレンズ~What more can I give?~」を韓国とドイツの2カ国で開催した。

元は「ウィーアーザワールド2」と呼ばれ、1997年から構想が練られてきたこのイベントは、マイケルがさまざまな使命感のもとに行ったコンサートだった。南北朝鮮問題の平和的解決、戦争で犠牲になった子どもたちの救済、そして世界平和へのメッセージ。この計画には、ジミー・カーター元米大統領、金大中韓国大統領、ネルソン・マンデラ南アフリカ大統領など、そうそうたる各国の要人が関わっていた。当初、南北朝鮮問題の象徴とされる「板門店」でのコンサートが計画されていたが、紆余曲折の末、最終的にはソウル市内での開催となった。(もし板門店でのコンサートが実現していたら、大変な歴史的偉業であったのは間違いない!)

マイケルは、このチャリティーイベントについて、1999年3月、南アフリカの大統領官邸にて正式に発表した。隣には、アパルトヘイトを終結に導き、ノーベル平和賞を受賞したネルソン・マンデラ大統領の姿があった。マイケルがそこで語ったスピーチは、21世紀を目前に、「今世紀中に何かをしなければ」という自らの強い意志、使命感を感じさせるものだった。

一足先にベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦に終止符をうっていたドイツのミュンヘンがもう一か所の開催地に選ばれ、2カ所のコンサートによる収益金は、ネルソン・マンデラ子供基金、国際赤十字、ユネスコの3カ所へ寄付されることとなった。ソウル公演は6万3000人、ミュンヘン公演は8万人を動員し、最終的に330万ドルの収益金が集まったと報じられた。

この一連の計画について、わたしたちが最初に知ったのは、1998年2月の金大中大統領就任式のあとだった。当時、毎月のようにウェインや韓国側の関係者が来日しており、その際に某韓国関係者から「マイケルが板門店でのコンサートを計画している」と聞かされたのだ。

そのころは、まだ韓流ブームも起きておらず、「板門店」と聞いただけで、一般の観光客はとても近寄れない印象だった。北朝鮮のリーダー金正日氏がマイケルのファンだということもあり、実現に向けて関係者が奔走したようだったが、結果的にソウル市内での開催に変更となったのだ。

そして、このチャリティーコンサートに関して、わたしたちはちょっと不思議な立ち位置にいた。韓国側の関係者から、「日本人歌手に出演依頼を出したいが、誰がいいかアドバイスが欲しい」と言われ、日本側の関係者からは「ソウル公演のパッケージツアーを企画したいが、どんな内容がいいか」と大真面目に質問されたのだ。

とはいえ、いまも昔も国内の音楽事情にはまったく通じていないわたしたちである。無責任なことも言えないと思い、某テレビ局のディレクターに電話をして意見をもらったりした。(その後の交渉がどうなったのか定かではないが、結果的に、わたしたちが提案した歌手がステージに上ることはなかった)

パッケージツアーに関しては、「コンサートの席は、ステージの真ん中の一番前のブロックで!」「滞在先のホテルはマイケルと同じ新羅ホテルで!」と、とにかくファンが(自分たちが?)求めるものをストレートに伝えた。わたしたちは、ソウルのあとミュンヘンにも飛ぶことにしていたため、このパッケージツアーには申し込まなかったのだが、極力ファンの意見を取り入れるよう努力はしてくれたようだった。

マイケルの想いは多くの人を動かし、マライアキャリーやボーイズIIメン、スティーヴン・セガール、スラッシュなど多くのスターがチャリティー参加を表明した。そして、97年のHISTORY TOUR以来、久々にマイケルのステージが観れるとあって、世界中のファンが指折り数えてその日が来るのを待った。

そして1999年6月20日、わたしたち3人は、一路ソウルへと飛んだ。そこから2カ国10日間にわたり、約1年ぶりのマイケル追っかけの旅が始まったのだ!

【バックナンバー】リアル・マイケルジャクソン ~おっかけOL3人組とマイケルの交流実話

パリス川口
コピーライター。87年来日時にマイケルのファンとなり、OL時代、同じくOLの友人とともに世界中を追いかける。96年HISTORY TOURを機に、3人は「D-PARTY」(ファミリーの意)と呼ばれ、世界各地でマイケルに会えるようになる。追悼式から3年を経て当時のエピソードを公開。

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