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「耳が聞こえていた」作曲家について、大阪人と東京人の見解 ~1分でわかる大阪人の言い分~

インフォシーク / 2014年2月26日 17時30分

大阪・堀江

大阪は「笑わしたもん勝ち」文化だ。

たとえば大ゲンカ中に片方が「プー」とコントみたいな屁が出て、驚きと同時に反射神経で「お前この状況で屁ェこくなやボケ!」とツッコみながら笑ってしまったら、屁をこかれたほうは負け。緊張状態であればあるほど小さなボケも大きな笑いに変わり、しんどい状況をひっくり返す勢いがある。

先日「耳が聞こえていた」作曲家がスクープされた。都知事選やソチオリンピックで引き出しがいっぱいなはずのマスコミ業界も小耳に挟んだまま放ってはおけない話題だ。

世間が叩いている部分は、ここでは省略させていただくが、「障害を抱えている」というもし嘘だったら裁きを言い渡す域の嘘について、「そんな嘘つくなんて信じられない!」「最低!」それが東京人から挙がった感想の多くだろう。大阪でも同様の感想はあるだろうが、同じ数くらい「笑いに変えられん嘘なんかつくなやボケ」が挙がるだろう。

「低血圧」や「パニック障害」や「昔襲われたことがあるんです」やなんやかんやと「私…なんです。」という告白を、酒の席など楽しい場所で言い出す人が東京にはいる。真面目なときじゃないぶん聞かされている側はビックリするが、なんであれデリケートな話。そういう話題が挙がったとき、“ツッコまない文化”の東京では『触らぬ神に祟りなし』な雰囲気が漂う。聞かされている側もアホじゃないのでそれが本当か嘘っぽいかくらいはわかっているが触れない。「耳が聞こえていた」作曲家も、そのような扱いの下で金銭を得ていたのだろう。

では大阪で「過去にこんなことがあったんですごにょごにょ」とネガティブな話題が挙がったらどうなるか。それは「それ、ほんまなん?なんなんそれ?ちょー詳しい教えてーや」とツッコまれる。大阪はそもそもネガティブアプローチが通用しない国だと思っておいてほぼ間違いない。

もしネガティブな会話が起こるとしたら「昔こんなことがあって」から始まる部分は同じであっても、フリとオチがついたワタクシ的現代落語がキチンと出来上がった上での発表会になっている。大阪人は苦い過去があってもそれをネタに変えて出来るだけ多くの人を笑わせ、感情をプラマイチャラにする。そして周囲から「なんやそれ」と称賛を得る。「ただ凹んでたまるかい」の精神があるのだ。

こんな話を耳にしたことがある。とある大阪の小学校で毎度宿題を忘れる男Aが「ええ加減にせえ!」と黒板の前に立たされた。クラス中の生徒はいつも宿題を忘れるAにアホ扱いをしていたらしい。立たされたAは濡れてボロボロになった紙切れを片手に握っていた。先生が「それなんや?」と聞くとA「宿題持ってきたんですけど、犬に噛みちぎられました」と返した。爆笑。その日からAはクラスの人気者になったという。

ついていい嘘は「なに言うとんねんアホ」と笑いながらツッコまれるくらいの嘘しかダメだ。巧い言い回しが思いつかないからと苦しまれている方々のお気持ちにもなれず、他人の涙と大金欲しさに気安く身体の嘘をかますのはゲスの極み。吉本新喜劇の大女優、未知やすえのネタっぽく言うなら「耳の穴から割り箸突っ込んで下からカッコンしたろかワレ!」だ。

大阪で“ネガティブな自分”を振りかざして生計を立てている人を見たことがない。誰が見たってあやしい人でも「みんながそう言うなら」と流され真に受ける東京人とは違い、大阪人は黙っていないからだろう。きっと「耳が聞こえていた」作曲家は大阪ではバレそうだと思って東京を選んでいるはずだ。

東京、馬鹿にされてますよ。

ところで「耳が聞こえていた」作曲家は“現代のベートーヴェン”と呼ばれていたそうだが、大阪では“浪速のモーツァルト”ことキダ・タローのほうが、色んな意味で有名である。

鹿タカシ
しかたかし ライター。大阪生まれ。大阪芸術大学にて写真を学んだ後に上京しなぜかコピーライターとなって約10年。
現在は都内広告プロダクションに勤務しながら、大阪人からみた東京人(主に上京してきた人)について研究。

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