リアル・マイケルジャクソン [Vol.76]_2000年代のエピソード~1~ ~おっかけOL3人組とマイケルの交流実話~

インフォシーク / 2014年3月6日 17時30分

マイケル最後のオリジナルアルバムとなった「INVINCIBLE」。下はN.Yでのワンショット。

モナコから帰国したわたしたち3人は、たくさんの想い出を抱えてそれぞれの生活へと戻っていった。

いつもなら、「次はどこに行こうか」と早々に計画をたてるわたしたちであるが、このときは違っていた。モナコでの一連の出来事で、気持ちが満ち足りていたからだ。長年かけて築いてきたマイケルとの信頼関係は、もう揺るぐことはないのだと、今回の旅で確信をもつことができたのだ。そして、この頃のわたしたちは、それぞれが人生のターニングポイントを迎えていた。一番年長のわたしは入籍したばかりだったし、EちゃんYちゃんも、のちに配偶者となるパートナーと出会っていた。マイケルが自分の家族をもち、子どもたちとの生活にシフトしていったのと同時期に、わたしたちもまた身近に大切な存在ができたのだ。

結婚、そして長男の出産を経て、わたしはマイケルの追っかけを一時休止することになった。もちろんマイケルがワールドツアーを始めたり、日本に来るようなことがあれば、何を置いても駆けつけたに違いない。ところが、2000年代に入り、マイケルの活動は徐々に縮小していった。いつもなら、ニューアルバムのリリースに始まり、怒涛のシングルカット、巨額の予算を投じたショートフィルムの製作、そしてワールドツアーと大々的なプロモーションが数年がかりで展開されていくのだが、このときは様子が違った。所属レコード会社との確執により、2001年10月にリリースされたアルバム「INVINCIBLE」は、第一弾シングル以降、その後のプロモーション活動が殆ど行われなかったのだ。

初めての子育てにフリーのライターという仕事。毎日の生活は目が回るほど忙しく、自分の時間はほとんどない。つい最近まで、自由に追っかけで走り回っていたのが夢のようだ!でも、どんなときも、心の真ん中に「マイケル」がいた。世界のどこかでマイケルが活動している限り、いつかまた会いにいくことができる。そう思うだけで励みになったのだ。

一方でEちゃんYちゃんは、以前よりペースダウンをしながらも、2人で追っかけを続けていた。単発のイベントは世界各地で行われていたため、仕事やプライベートを何とか調整し、万障繰り合わせてマイケルの元に駆け付ける。そんな彼女たちを、わたしは心から応援していた。わたしたち3人は、マイケル一行も認める「D-PARTY」だ!誰か一人でもマイケルのもとに駆けつけてくれれば、自分も一緒に参加しているような気持ちになれたからだ。

そしてEちゃんYちゃんは、2001年9月、ニューヨークへと飛んだ。目的は、2日間にわたって開催されるマイケルの「ソロデビュー30周年記念コンサート」だ。このときは、久々のマイケルのパフォーマンスを一目みようと世界中から大勢のファンが集まった。2人にとっては、1995年に訪れて以来、6年ぶりのニューヨークだ!あのときも、「ONE NIGHT ONLY」というイベントのために日本から飛んだのだが、マイケルの緊急入院でイベント自体がキャンセルになってしまった。今回の旅は、そのリベンジでもあるのだ!

日本に残ったわたしは、EちゃんYちゃんの健闘を祈り、ニューヨークのおみやげ話を楽しみにしていた。ところがこのとき、世界が驚愕した「大事件」が、2人のいるニューヨークで起きたのだ。

【バックナンバー】リアル・マイケルジャクソン ~おっかけOL3人組とマイケルの交流実話

パリス川口
コピーライター。87年来日時にマイケルのファンとなり、OL時代、同じくOLの友人とともに世界中を追いかける。96年HISTORY TOURを機に、3人は「D-PARTY」(ファミリーの意)と呼ばれ、世界各地でマイケルに会えるようになる。追悼式から3年を経て当時のエピソードを公開。

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