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東京人の異常なポエジー化 ~1分でわかる大阪人の言い分~

インフォシーク / 2014年3月19日 17時30分

大阪・難波

「だいじょうぶ きみの笑顔は たくさんのしあわせを はぐくむ」
「ここでこうして 生きていること みんなが祝福 している よ」
「いつやるか いま、です ね」

なにを酔っとるのだ。

まるで、かつて路上で胡座をかいて作務衣を纏い、髭を生やして筆でしたためていた自称詩人。東京では、居酒屋の壁やトイレ、ソーシャル・ネットワーキング・サービスによる「名言」「感動した言葉」のまとめ的な類いなどで、深夜3時に認めたラブレターのようなI LOVE MEな文章がそこかしこでつらつらつらつらと並んでいる。

至る所にはびこる無数のエモーショナルな筆字もしくはドヤ顔。規制していない状況を見る限り、東京人はアレに励まされているのだろう。宗教臭くて吐き気がする。

リーマンショックの頃よりは幾分マシになったといわれている就職率ではあるが、見事組織に入れても人間の扱いを受けられず毎日深夜に及ぶ残業が常になり、人間関係のもつれ、セルフコントロールの崩壊を招いている会社員が私の周りに少なくない。まあ、自分で蒔いた種でもあるので企業責任と一概には思えないが、終電が走るまで社会を回す東京人は日本で一番疲れているのだろう。

だとしてもだ。かくいう私もご多分に洩れずあくせく働く社会人であり、若返ることが出来る細胞があるのならキメてみたい毎日だが、居酒屋の壁や屏風の筆字に励まされたことなぞ一度とない。みんな疲れているのだろうか。私は「なに言うとんねん」としか思えない。

先日行ったとある居酒屋のトイレにも“いつかきっと じぶんらしく 輝くために 今がある”みたいな言葉が書いてあった。“いつだったか 飲んだ酒で 輝く色した尿の 虹をかけよう”ならまだしも。

東京の知人A(男)は感動屋だ。励ましいっぱいの詩やブログを好み「元気が出る」とも言う。本人がそれで心が穏やかになるのなら好きにしたらいいのだがそうもいかない。私と話をしている時に「今の一言、いいすね!」と不意に目をキラキラされることがあるのだ。まるで私がドヤ顔なスタンスで酒を飲んでいるように思われているようで癪過ぎる。

この知人のようにちょっといい言葉を吸収したがる、そしてうっとりしたがる東京人は多い。私にも好きな名言の一つや二つはある。『脱皮しない蛇は滅びる(フリードリヒ・ニーチェ)』に「せやなあ」と思ったり、『シンプルを究めていくとピュアになる(山本益博)』に「うまいこと言わはる」と感心することはあるが、最近の東京人は「だいじょうぶ。君の人生、君しか知らないから」みたいな、カリスマミュージシャンが世界平和を謳いそうな漠然とした文句に痺れている傾向がある。Aに相談された時「ええんちゃう?自分が決めたら」と私が答えると、なぜかAの心に刺さり「今の一言、いいすね!」が返ってきたのだ。どこがやねん。なんのヒネリもないわ!

東京人は言葉に翻弄されやすい。たとえば居酒屋の壁の“迷言”が生まれる以前から、トイレには意味不明なメッセージがあった。

「いつも清潔にお使いいただきありがとうございます」

このメッセージに対して「そうか、キレイに使わなければいけないんだな」とプレッシャーを感じるのなら、立派な東京人。規律を正し、自分だけが浮いた人間になることを避ける傾向にある東京人であり、『ツッコまない』文化の東京人らしい身のこなしといえる。

対して「なにをぬかしとんねん」「この店はワシがションベンするとこ見とるっちゅうんかい」と一応疑問を抱き心の中でツッコむのが大阪人だ。

こういった身勝手な「ありがとう」は、大阪人に響くことはないだろう。なぜなら関西は「おもろいかおもろないか」「旨いか旨ないか」といったはっきりとした線引きのもとで評価が下される。だが、周りの人目を気にするあまり自分のカラーを出すことを拒みがちな東京人にとって、身勝手な「ありがとう」は、遠回しに正しい道を指し示してくれる矢印なのだろう。

鹿タカシ
しかたかし ライター。大阪生まれ。大阪芸術大学にて写真を学んだ後に上京しなぜかコピーライターとなって約10年。
現在は都内広告プロダクションに勤務しながら、大阪人からみた東京人(主に上京してきた人)について研究。

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