リアル・マイケルジャクソン [Vol.78]_2000年代のエピソード~3~ ~おっかけOL3人組とマイケルの交流実話~
インフォシーク / 2014年3月20日 17時30分
22002年以降のマイケルは、徐々に、ゴシップやトラブルの話題が多く報じられるようになっていった。
6年ぶりに完成したアルバム「INVINCIBLE」のプロモーションは早々に打ち切られ、米国内での売り上げは200万枚に留まっていた。これまで数々の記録を打ち立ててきたマイケルのアルバムとしては、ケタ違いに少ない数字だ!マイケルは、すべての黒人アーティストの処遇改善をレコード会社に訴え、多くのファンとともにロンドンやニューヨークでデモ行進を行った。(最終的に、所属レコード会社の社長の退任をもって、収束にむかう形となった)
また、マイケルの周辺で恒常的に発生する訴訟問題にも、相変わらず煩わされていた。この時期、1999年に計画された「ミレニアムコンサート」の不履行を理由に、当時のプロモーターであるママ・コンサートがマイケルを訴えたのだ。
2002年11月には、ベルリンで滞在していたホテルの4階の窓から、第三子となる「プリンス・マイケル二世(通称ブランケット)」をファンに見せたことが大きな騒ぎへと発展した。マイケルが、バルコニーの柵の「外」に子どもを出したとして、危険な行為だとバッシングされたのだ。
一方で、アメリカン・ミュージック・アワード、ソウル・トレイン、ビルボード・ミュージックアワードなど、格式あるさまざまな授賞式にマイケルがノミネートされていたことは、当時、話題にのぼることは殆どなかった。世間では、タブロイドニュースばかりが面白おかしく取り上げられていたのだ。
そして2003年、イギリスの、とある特別番組が放映されたことが、その後のマイケルの人生に大きな影響を及ぼした。
「本当のマイケルジャクソンを世間に知ってもらおう」「君は誤解されている。本当は素晴らしい人なのに」などと言葉巧みに言い寄り、マイケルの信頼を得たジャーナリスト、マーティン・バシールによる密着ドキュメンタリー番組がそれだった。故ダイアナ妃に対しても同様のインタビューに成功していたバシールは、約8ヶ月にわたりマイケルの私生活に入り込み、多くのプライベート映像を撮影した。マイケルは、「番組の収益は慈善事業に寄付をする」という趣旨に賛同し、無償でインタビューに答えた。そしてそれは、「マイケルジャクソンの真実(邦題)」と題され、本来の意図とは全く逆の、マイケルを貶めるような編集のもとにオンエアーされたのだ。深く傷ついたマイケルは、直ちにこれに対する反論番組を製作。バシールの卑劣な行為は多方面から非難された。それでも、一度植えつけられたマイケルのネガティヴなイメージは、完全に拭い去ることはできなかった。そして、この特番にも出演していた12歳の少年とその家族が、その後、児童虐待の罪でマイケルを告訴したのだ。
結論から書くが、この裁判でマイケルは、「完全無罪」を勝ち取った。裁判が進むにつれ、少年の母親の異常性や、次々に重ねられた嘘が白日のもとにさらされた。
しかし、勝利に至るまでの道のりは、あまりに過酷なものだった。マイケルは、2003年11月に大がかりな家宅捜索を受けてから、およそ1年半以上にわたり自由を阻まれ、心身ともに疲弊していった。2005年6月13日、無罪判決が言い渡されると、マイケルは子どもたちと共にアメリカを離れ、バーレーンで長期の休養生活に入った。
――こうして当時の出来事を書いていると、わたしにとって、この頃のマイケルは「リアル・マイケルジャクソン」ではないことに改めて気づく。バシールの特番は、長期入院していたベッドの上で見たし、過酷な裁判の頃は、子育てと仕事に忙殺されていた。テレビやネットのニュースでしかマイケルの様子を知ることができない日々。家族をもつ喜びと、自由に身動きがとれない辛さを同時に味わっていたのだ。
そんな中で、EちゃんYちゃんが、裁判中のマイケルの元に駆けつけてくれたのは、わたしにとっても心の救いだった!裁判が佳境に入った2005年、2人はマイケルのサポートのためにネバーランドへ向かったのだ。そこで、ビデオクルーのジョーと久々に再会し、馴染みのファンと交流をもった。(「マイケルに見せるから」と、ジョーは2人のメッセージを撮影した)現地では、マイケルの専属メイクアップアーティストやジャクソンファミリーが頻繁に行き来をし、時折りファンの呼び掛けに応えていた。そして2人は、門の前で撮った写真をマイケルに渡すことができた。「どんなときも変わらず応援しているよ!」と伝えることが出来たのだ。EちゃんYちゃんはもちろん、このとき世界中のファンが一丸となって献身的な愛とサポートをマイケルに示した。様々な困難を乗り越えるたびに、ファンとマイケルの信頼関係は強固なものになっていったのだ。
(いつか自分も、きっとまたマイケルに会える)それを心の支えに毎日を過ごしていたわたしであるが、2006年5月、その日はあまりに突然やってきたのだ。
【バックナンバー】リアル・マイケルジャクソン ~おっかけOL3人組とマイケルの交流実話
コピーライター。87年来日時にマイケルのファンとなり、OL時代、同じくOLの友人とともに世界中を追いかける。96年HISTORY TOURを機に、3人は「D-PARTY」(ファミリーの意)と呼ばれ、世界各地でマイケルに会えるようになる。追悼式から3年を経て当時のエピソードを公開。
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