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リアル・マイケルジャクソン [Vol.82]_長い旅の終わりに。 ~おっかけOL3人組とマイケルの交流実話~

インフォシーク / 2014年4月17日 17時30分

2009年7月、ロスにて。下は2013年9月、子どもたちと一緒に。

2009年7月7日。わたしたち3人は、ロスのステイプルス・センターにいた。 全世界に中継され、10億人が視聴したとされるマイケルジャクソンの追悼式に参列するために。

***

マイケル訃報の第一報を聞いたのは、6月26日、朝一番につけたTVのニュースでだった。

画面の中で、上空からの映像とともに、「マイケルジャクソンさんが、心肺停止状態でロス市内の病院に搬送されたようです」というニュースキャスターの緊迫した声が流れている。瞬時に頭をよぎったのは、1995年、ニューヨークでのイベント直前にマイケルが倒れて緊急入院したことだった。現地に飛んだらイベントはキャンセルで、わたしたちは極寒のニューヨークで、ひたすら病院の前に立ち尽くしマイケルの無事を祈ったのだ。

(ああ、ずっと不安に思っていたのは、これだったのか…)テーブルの上で携帯が鳴っている。恐る恐る出ると、電話の向こうでYちゃんが泣いていた。いままで何度も一緒に泣いたけれど、こんな悲痛な声は聞いたことがなかった。このときYちゃんは、アメリカに住むEちゃんから先に連絡をうけ、すでにマイケルの状況が絶望的であることを知っていたのだ。思考が止まり、言葉が出てこない。ああ、これは夢じゃない。マイケルは、わたしたちの世界から、突然居なくなってしまった。

この直後からEちゃんは、日本の数倍ものメディア合戦、報道合戦に、いやがおうでも直面することになった。マイケルが亡くなったロサンゼルスに、まさにEちゃんは住んでいたからだ。何もかも放り出し、大声で泣きたい気持ちをこらえ、Eちゃんは日本にいるYちゃんとわたしに現地の情報を毎日連絡してくれた。葬儀の場所と日程がなかなか決まらず、直前まで二転三転していたからだ。わたしとYちゃんは、遠い日本で、ただただ泣き続けた。

出口のない悲しみを、少しだけ和らげてくれたのが、かつての関係者との交流だった。K氏やニッキーは、電話の向こうで悲しみと口惜しさをにじませていた。「必ず葬儀に行くから」と、ロスでの再会を約束してくれた。ウェインやハミードとも久々に連絡をとりあった。みんな、ショックを受けていた。わたしたちが最も信頼していたマイケルの元側近の面々は、わたしたちと同じようにマイケルの死を悲しみ、苦しい想いを共有してくれたのだ。

そして、2泊4日の強行スケジュールでロスに飛んだYちゃんとわたしは、現地に住むEちゃんに迎えられ、その足で「フォレスト・ローン」に直行した。そこにマイケルの棺が安置されているということで、世界中から大勢のファンが集まっていたのだ。そこにいたのは懐かしい顔ぶれだった!イギリス人の彼、彼女、オランダ人の彼女、ロシア人の彼女、フランス人にオーストリア人の彼、もちろん日本からも。みんなの顔をみて、また涙が出てくる。ハグをし、言葉にならない悲しみを共有する。わたしたちは、国境を越え、長い長い間、同じ目標のもとに走り続けてきた「戦友」だ。この、どうしようもない喪失感を分かり合える相手が、こんなにもたくさんいることが有り難かった。

翌日、ステイプルス・センターで催された追悼式にわたしたちは参列し、真っ赤な薔薇で飾られた棺を前に、声の限りマイケルの名前を叫んで号泣した。「泣く」という行為は、きっと、究極の「癒し」だ。泣いて泣いて、いまもまた涙が枯れるほど泣いて、ようやく止まっていた時間を進めることができたのだから。

ロスが地元のEちゃんは、宿を提供し、車を出し、運転から買い物、帰宅後の食事まで、すべてに気を配ってくれた。「葬儀にD-PARTYがいなかったら、マイケルが悲しむよ」ずっとそう言い続け、抜け殻と化していたYちゃんとわたしの渡米を後押ししてくれた。2006年と2007年の来日で、Eちゃんはどうしても日本に来ることが出来なかった。だからこそ、「最後に3人で!」という想いは誰よりも強かったのだ。

この日、ロスの空は、目にしみるほど青く、どこまでも澄み渡っていた。この空のどこかで、マイケルはこの光景をみてくれているのだろうか?

***

あれからもうすぐ5年。わたしたちは、マイケルの居ない世界を今日も生きている。

ごく最近まで、わたしたちはマイケルのDVDをみたり、アルバムを聴くことが出来なかった。すべてに想い入れがありすぎて、悲しみに引き戻されてしまうからだ。マイケルを追いかけて、どうしても本人に会えない夢も、嫌になるほど何度も見た。目が覚めて、そうだ、マイケルはもう居ないんだと、そのたびに思い知らされて泣くのだ。

それでもわたしたちが、少しずつ立ち直ることができたのは、心配してくれた家族やたくさんの友人のおかげだ。身近にある大切な存在に、どんなにか救われたことだろうか。追悼式のとき、まだ保育園に通っていたわたしの息子は、すっかり大きく頼もしくなった。Yちゃんは男の子、Eちゃんは女の子のママだ。この子たちみんな、マイケルに会わせることが出来たなら、どんなにか喜んでくれたことだろう。

そして、わたしたち3人は、ある約束を交わした。子育てがひと段落したら、また3人で、世界の旅に出かけよう!マイケルを追いかけた場所を順番にまわって、泣いたり笑ったりしながら、尽きることのない想い出話に花を咲かせるのだ。その日が来るのは、遠いようで、あっという間なのかもしれない。

この連載で、ひと足早く想い出をめぐる長い旅に出られたことを、わたしたちは心から感謝している。更新を毎週楽しみにしてくれた家族や友人、そして、一緒に想い出を追体験してくれた読者の皆様に、心からの感謝を。伝えたかったことの半分も書けなかった気もするけれど、残りはまた、いつかの機会に。

最後に、誰よりもマイケルへ、語り尽くせないたくさんの愛と感謝をこめて。

2014年4月 MJ-DPARTY

【バックナンバー】リアル・マイケルジャクソン ~おっかけOL3人組とマイケルの交流実話

パリス川口
コピーライター。87年来日時にマイケルのファンとなり、OL時代、同じくOLの友人とともに世界中を追いかける。96年HISTORY TOURを機に、3人は「D-PARTY」(ファミリーの意)と呼ばれ、世界各地でマイケルに会えるようになる。追悼式から3年を経て当時のエピソードを公開。

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