1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. IT
  4. ゲーム

「なんで?」「ボタン押したって」などなど―『ファミコン世界大会』ゲームのミスでとっさに出る失敗台詞、あなたはどれ?

インサイド / 2024年8月22日 19時0分

アクションやSTGといった反射的な判断と行動を求められるゲームを遊んでいると、クリアした時の達成感が大きい反面、ミスした時のショックも小さくありません。むしろ、失敗した時の方が反射的に声を上げてしまう……という人も多いことでしょう。


しかし、失敗した時にどんな台詞を発してしまうかは、人によって異なるはず。落胆するのか、腹を立てるのか、冷静になろうと努めるのか。反射的に出てしまう言葉だからこそ、人柄がダイレクトに出てしまう瞬間でもあります。


他の人はどんな失敗台詞を口にしてしまうのか、気になる方もいることでしょう。そこで今回は、筆者が『ファミコン世界大会』のプレイ中に口走った失敗台詞と、自分なりの分析を交えてお届けします。


今回紹介する失敗台詞を一例として、あなたが実際にどんな失敗台詞を口走ってしまうのか、この機会に振り返ってみるのも一興でしょう。


■反射的失敗台詞の代表格──「あっ」


ミスした時に挙げる声として最もポピュラーと言ってもいいのが、「あっ」という失敗台詞でしょう。いや、台詞ですらなく、もはや悲鳴と称してもいいかもしれません。


どんな失敗でも通用する(=声を上げてしまう)台詞ですが、特に多いケースは、全く予想していなかった失敗に出くわしたした場合が多いでしょう。自機の操作に気を取られ、予期していない敵にやられた時など、不意打ちに反応して出やすい言葉です。


文字通りの意味で反射的に出てしまう言葉なので、人格が反映される余地もないほどですが、強いて言うなら思考や想像力が足りない人(筆者含む)がよく口走ってしまうかもしれません。


■自分の想定と違う! そんな理不尽に対する主観的な疑問──「なんで?」


誰でもミスはしたくありません。失敗しないよう攻略できる手順を想定し、それを実行することで、成功に向かう。そんなプレイをしているはずなのに……なぜかミスをしてしまう。そんな時、思わず「なんで?」と口走ってしまうのも、無理のない話でしょう。


しかし、ミスという結果が発生した場合、そこには必ず理由があります。ゲームが不具合を起こしたり、エラーを吐き出すといったごく一部の例外を除けば、失敗の理由は必ずプレイヤーに帰結します。


「なんで?」「どうして?」とプレイヤーは疑問を浮かべますが、なんでもなにも、単にプレイが失敗しているだけ。ゲーム側からすれば、「疑問を浮かべることが疑問です」と言いたいくらいでしょう。


この「なんで?」は、ミスという厳しい現実から、一時でも逃れたい自己防衛なのかもしれません。





■己の成功を確信、いや過信──「今いけただろ」


自分のゲームの腕前は、本人が1番分かっています。だからこそ、自分が得意な方法でのクリアを目指したり、苦手な方法を避けるといった判断も可能になります。しかし、その判断が常に的確かと問われると、正直ブレが大きいのも事実です。


自分のゲーム経験、動体視力、反射神経を総動員し、クリアの道筋が立った……と思った瞬間、その確信した手は届くことなく、虚空を掴んであえなく失敗。厳しい現実に、ミスを突きつけられます。


自分の中では完全に成功だったはず。おかしいのはゲームの方では。確信から呼び起こされる疑問が、「今いけただろ」と、ゲーム側を問題視する言葉へと繋がります。もちろんこれも、プレイヤー側の思い込み。確信ではなく過信に過ぎず、単なる言いがかりでしかありません。


この失敗台詞はレパートリーが多く、「間に合ったって」といった判定のリトライを求めるような叫び声も、「今いけただろ」とほぼ同様です。また、STGのようなゲームなら「避けたよ」と言いたくなる場面もあります。いずれにせよ、結果は明白──決して「いけていません」


■自分の感覚を信じたい! 信じさせて……──「ボタン押したって」


「今いけただろ」と近い意味合いですが、こちらはもっと明確な失敗に対する叫びと言えます。アクションであれほかのジャンルであれ、ここぞというタイミングでボタンを押す場面に度々遭遇します。


その時、華麗に成功すれば満足度満点ですが、失敗することもやはりあります。例えば、崖を超える大ジャンプに挑む時、力強くボタンを押したはずなのに、なぜか自機は飛び上がることなくストンと崖下へ。絵に描いたような失敗です。


ゲーム上では明らかなミスですが、プレイヤー側はボタンを押した感覚がしっかりあるので、現実とゲームの齟齬について「ボタン押したって」と苦情を発したくなるのでしょう。無論この齟齬は、ボタンをタイミングよく押せなかったプレイヤーが原因です。


ちなみに、「ボタン押せなかった……」と落胆しながらこぼす失敗台詞もあります。「ボタン押したって」と比べると、自己判断が正しい分だけマシと言えるかもしれません。





■本心? それとも見栄?──「見えた!」


失敗という結末は変わらなくとも、意味のある敗北も存在します。クリアの糸口が見えない時、様々な手段で挑んでは失敗し、その都度別の手段を模索する。いわゆる「トライ&エラー」は、ゲーム攻略においても有効な手段です。


そして失敗を重ねることで、勝機や攻略ルートを掴む瞬間があります。この時の失敗は、決して単なるミスではなく、むしろ勝利への第1歩。そんな時は、ネガティブな言葉ではなく、「見えた!」と力強く叫ぶことも。ひと足早い勝利宣言とも言えるでしょう。


……ただし、「見えた!」と声を上げた時、本当の意味で見えたのかどうか、定かではありません。閃きや気づきを得たと思っても、単なる勘違いで終わることも多々。「見えた!」は、見えていない場合も多いのです。


個人的な感覚では「見えた!」を4~5回叫ぶと、ようやく本当に見えてくるといった塩梅です。見えてないけど、見えたと思いたい。そんな願望から、思わず先走ってしまうのです。


ちなみに、同様の失敗台詞で「分かった!」もあります。もちろん、分かってなんかいません


■お手上げ? それとも抗議!?──「これ以上どうしろと?」


トライ&エラーを繰り返し、少しずつ正解に近づいていく。その積み上げは、ゲームの醍醐味とも言えます。その積み上げが限界まで達した時、立ちはだかった壁を見事に超え、クリアという栄冠を掴む……かどうかは、時と場合によります。


どれだけ考え尽くし、研鑽を重ね、コントローラーの操作を最適化しても、努力が報われずに終わる。そんな苦い結末に打ちひしがれた時、口をついて出てしまうのが「これ以上どうしろと?」という失敗台詞です。


誰かがクリアしている以上、努力が足りないのは自明の理。それが分かっているからこそ、自分の無力さに打ちひしがれ、じゃあどうすればいいんだと叫びたくもなります。


そして、この叫びの裏には「あとどれだけ努力すれば、超えられるのか」という、答えのない問いかけも潜んでいます。クリアまでに必要な努力は決して測れず、だからこそクリアに価値と意味があるのでしょう。


今日も測れない努力を積み上げながら、失敗台詞を幾度も口にするはず。その先に手が届くと信じて。それは、ゲーマーの誰もが持つ、成功への近道に他なりません。




この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください