1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. IT
  4. ゲーム

『聖剣伝説 VISIONS of MANA』に覚えた“違和感”から見えた「異世界ファンタジー」とは─美しい情景にある相違と、そこから生まれる興味【プレイレポ】

インサイド / 2024年10月4日 11時0分

1991年に発売された1作目以降、ナンバリングや派生作を重ね、今日まで愛され続けてきた『聖剣伝説』シリーズ。しかし近年は、リメイクやスマホ向けの展開が続き、家庭用ゲーム機向けの新作はしばらく音沙汰がありませんでした。


ですが2024年8月29日に、ファン待望の『聖剣伝説 VISIONS of MANA』が満を持して登場。久々の完全新作に、大きな関心と注目が集まります。筆者個人も『聖剣伝説』には少なからず思い入れがあり、『聖剣伝説 VISIONS of MANA』に期待を寄せていました。


この『聖剣伝説 VISIONS of MANA』を実際にプレイし、本作に対してどのような手ごたえを覚えたのか。その体験と実感を赤裸々にお伝えします。なお、未プレイの人を考慮し、物語的なネタバレは極力控えています。


■心地よいアクションと、組み合わせが楽しいバトル


ゲームシステムについては、発売前から情報が出ており、また体験版を通して直接触れた人も少なくないでしょう。そのため今回はゲームシステムの詳しい解説は省きますが、プレイ感は手軽でレスポンスも良く、全体的に良好なアクション性でした。


スピーディで軽やかな分、敵を攻撃した時の「重み」や「手応え」は控えめですが、ゲームのテンポや操作キャラを切り替えて戦うバトルシステムを考慮すると、軽くて軽快という現在のバランスもひとつの正解なのでしょう。


体験版だけプレイし、製品版を遊んでいない人もいると思いますが、あの体験版で味わえる『聖剣伝説 VISIONS of MANA』のバトルに関する醍醐味は、ほんの一部でした。製品版を通して遊んだ今、あのパートだけで判断してしまうのは非常にもったいないと考えています。


本作のバトルは、“組み合わせの楽しさ”が大きく占めていると個人的に感じました。クラスごとの特性とアビリティシード(特殊な効果を得られる装備)の組み合わせが戦力に大きく影響するので、この模索がやり甲斐と手応えに繋がります。


また、アビリティシードの装備数や、クラスチェンジの幅を広げるには、ゲームの進行が必須です。最序盤のアビリティシード装備数は2枠なので、この状態では正直物足りず、効果の実感も薄め。この枠が、4枠、6枠と増えていくと、同種効果の重ね装備や、状態異常を抑え込むといった組み合わせが目に見えて効果を発揮し、バトルの楽しさを後押ししてくれます。


しかも、クラスチェンジ×アビリティシードに加え、パーティ編成の組み合わせも考慮すると、その選択肢は一気に広がります。多彩な組み合わせの中から最適解を目指すもよし、自分が好きな戦い方を極めるもよし。クリティカルに特化した組み合わせを模索するのも、個人的に楽しい遊び方のひとつでした。


「かつてない、独特で斬新なバトルシステム」というほど壮大なものはありませんが(そして、そんなシステムは滅多にありませんが)、クラスチェンジとアビリティシードで単体の戦力を組み上げ、3人パーティの編成で噛み合わせを考える楽しさは、選択肢の多さもあって終盤まで冒険の醍醐味を感じさせてくれる広がりでした。





■この“異世界”は美しく、思わず見とれる……!


『聖剣伝説 VISIONS of MANA』をプレイして特に印象に残った魅力といえば、個人的には「異世界ファンタジー」という点に集約していました。これには2つの理由がありますが、誰もが感じたであろうビジュアル表現がそのひとつです。


『聖剣伝説』は全般的に、温かみのある色味と本作ならではのデザインで、それぞれの世界を雄弁に描いていました。その点は『聖剣伝説 VISIONS of MANA』も同様で、そしてシリーズ中でもかなりパワフルな魅力へと昇華させています。


火や水、風に木と、それぞれの属性に合わせた街並みやフィールドには、現実世界には見られない植物などもふんだんに盛り込み、「現実世界とは全く異なるファンタジー感」を視覚的に分かりやすく描写しています。


本作はオープンワールドではありませんが、広々と動き回れる広域のフィールドも多く、未知の土地をあちこちうろつく楽しさも味わえます。同時に、途方もないような広さではないため、ほどよいサイズ感といえるかもしれません。


ちょっとした高台に登り、そこから見える光景の大半に行けるという実感は、冒険心をかき立ててくれる絶妙なスパイスとなって心に染みます。また、フィールドに高低差があるので、移動にも起伏と緩急を感じられ、個人的には「走ってるだけでもなんだか楽しい」という手ごたえを感じました。


もちろん、ずっと走っているだけではいずれ飽きますが、土地ごとに特色が変わる豊かな背景を眺める楽しさや、宝箱やネームドモンスターの発見といった出会いが適時織り込まれるため、マップを探索し尽くす前に飽きるということはありませんでした。


■本作の“神”が宿る部分は、核か細部か?


世界観の表現自体は、シンプルで分かりやすい傾向でまとまっています。火の地域なら火山があり、年中風が吹く谷、水球が浮かぶ都市など、いずれもストレートな表現です。それが分かりやすいゆえに、逆に奥深さが削がれたように感じる人がいるかもしれません。


しかし『聖剣伝説』シリーズは、他の作品ほど対象年齢を限定しているイメージはなく、幅広いユーザー層に向けているとすれば設定を複雑にするのも考えもの。それよりも、ひとつの異世界をビジュアルでこれだけ豊かに表現している点を、まずは素直に褒めたいばかりです。


もちろん、全てにおいて完璧かと聞かれれば、気になる点もそれなりに存在します。例えばNPCの多くは使い回しなので、土地柄に合っていない格好を見かけることもありました。また、やむを得ない部分ですが、場所によってはフィールドに透明な壁が置かれており、没入感が一瞬切れてしまったことも。


「神は細部に宿る」という言葉に従うならば、「細かい部分にも力を入れるべきだ」と指摘することはできます。そうした点を疎かにし、評価を落としたゲーム作品もあります。しかし、ゲームとしてまず作り込むべきなのは、当然ですが「ゲーム」の部分です。


それはシステム(本作ならばアクションRPGの部分)でもあり、操作性やUIの快適さ、臨場感に繋がる見た目・演出・効果音、場面を盛り上げる音楽など、多岐にわたります。「細部」にこだわる順番は、そうした部分のクオリティを上げた後の話でしょう。


3Dフィールドで葉っぱ1枚までリアルに描いている作品があれば、「細かいところまで力を入れてるんだなぁ……」と感心しますが、葉っぱの美しさを目にするのは、プレイ時間の1%にも満たないはず。通常のカメラ視点で画面全体を見た時、葉っぱもそれなりに綺麗なら、まずはそれで十分でしょう。


NPCの使い回しは、極力抑えた方がいいのは当然です。しかし、もっと大きな要素をおざなりにしてまで取り組む要素でもありません。本作の場合、アクション要素、デザインとビジュアル、音楽にUIと、いずれも十分以上に水準を超えていました。そのため、ゲームの核となる部分に時間を割いた結果、NPCが使い回しになったとしても、妥当な判断だったと筆者は受けとめています。


無論、細部が気になる人はいるでしょうし、その判断も間違いではありません。正しく伝えたいのは、「本作は核となる部分を重視して作られており、本質をないがしろにして細部にこだわるような作品ではなかった」ということです。


開発費や時間、人手といった限りのあるリソースを、『聖剣伝説』らしさに費やして作られた作品。それが、『聖剣伝説 VISIONS of MANA』に対する筆者の印象です。





■尊い「御子」は“生贄”? 序盤から驚愕の展開


本作を遊んで「異世界ファンタジー」だと強く感じたもうひとつの理由は、価値観の相違です。この世界では、マナの樹へ旅立つ「御子」が任命されます。その御子を連れていくのが、主人公であるヴァルが担う「魂の守り人」という役目です。


そしてヴァルの村では、幼なじみの少女・ヒナが「火の御子」に選ばれました。この時、ヒナは笑顔を浮かべ、ヴァルも大いに喜びます。また、周囲の村人も祝福すると共に、ヒナに羨望のまなざしを送ります。


ちなみに「御子」の役目は、この世界に満ちるマナの循環を支えるため、マナの樹にその魂を捧げることです。私たちの感覚で分かりやすく表現するなら──生贄です。


大勢の命、いえ、世界そのものを支えるためと言われても、自分が命を落とすのは誰でも嫌でしょう。情けない話ですが、筆者も絶対にお断りです。仮に選ばれたら逃げ出すでしょうし、追手を傷つけてでもわが身を守ると思います。


しかしこの世界にいる人々の大半は、「御子」の役割を尊く、素晴らしいと感じています。できれば自分が代わりになりたい、と思うほどに。その価値観や倫理観は、現実世界に(少なくとも現代日本に)生きる私たちからすれば、共感できるとは言い難い考え方です。


ゲームという遊びはインタラクティブ性が高いため、感情移入もしやすい娯楽です。だからこそ、価値観の相違はより大きく響き、「御子」を貴び崇める人々に強い違和感を覚えます。


しかも、「御子」の役目を尊く感じているのは、ヴァルの村だけではありません。パーティに加わるカリナも「御子」に憧れを持ち、選ばれるために自ら大精霊の元へ行くほど。他の「御子」たちも、選ばれた栄誉を誇りとし、忌避する様子は一切見せません。


■価値観の相違に“異世界感”を覚える


こうした価値観の相違を受け入れられず、プレイを諦めてしまう人がいても、決しておかしな話ではないでしょう。そして、この違和感を通じて筆者が味わったのは、「異世界ファンタジー」としての実感でした。


世界が違えば常識も変わり、考え方や認識も異なります。理屈で考えれば、マナを循環させるために「御子」を捧げるのが避けられない世界なら、「御子」の価値を引き上げて憧れの対象にするか、底辺の罪人に「御子」を強要する仕組みなどが生まれてもおかしくありません。


後者の場合は反発も強く、安定して長く続くシステムにならない恐れもあります。社会的な価値観の定着は一苦労ですが、一度広まれば、それなりに安定して続いていく可能性が少なくないでしょう。『聖剣伝説 VISIONS of MANA』の世界(=社会)が前者を選んだと考えれば、共感はできませんが傍観者として理解はできます。


筆者も、生贄同然の「御子」を貴ぶ世界観に同意はまったくできませんが、そこも含めて「これは異世界の物語なのか」と認識したら、異世界ファンタジーである『聖剣伝説 VISIONS of MANA』を味わうというスタイルが自分の中で芽生え、違和感は今後の展開への興味に変わりました。


あらゆるファンタジー作品で違う価値観ばかり提示されたら、さすがに疲れてしまうかもしれません。そのため、全部が全部そうなればいいとは思いませんが、「異世界なのに、どこも現代社会と同じ価値観」というのも、考えて見れば少々味気のない話です。


『聖剣伝説 VISIONS of MANA』の物語(特に導入部)が、人を選ぶことは間違いないでしょう。また、詳しいネタバレはしませんが、価値感の違いという入口から始まったにしては、物語が迎える着地点の意外性は低いかもしれません。


そうした点もありますが、しっかりと「異世界」を提示する本作の姿勢は、個人的に興味深く受け止めています。グラフィックと物語の双方から、『聖剣伝説』という異世界ファンタジーを感じられたのが、大きな収穫でした。




世界観や進化したグラフィックも含め、新たな『聖剣伝説』を味わうことができた『聖剣伝説 VISIONS of MANA』に、筆者は満足できる手ごたえを覚えました。


先ほども述べた通り、相性が合うか合わないか、大きく分かれる作品でもあります。「御子」についての価値観に馴染めない人も多いでしょうし、バトルの広がりと組み合わせの多彩さを味わえるのも中盤付近からです。


また本文では触れなかったものの、サブクエストは味わいが薄く、もっと世界観やキャラを広げる内容にするか、それが難しいなら思い切ってカットしても良かったかもしれません。


ほかにも、ファストトラベルが限定的、状況的にシステムが制限されるタイミングがあるなど、細かい不満も皆無ではありません。しかし、それ以上の魅力を感じて、プレイ意欲が途切れなかったのも事実です。


雰囲気満点のフィールドは解像度とは別の意味で美しく、情景を心ゆくまで楽しみました。美しい野山を駆け回ったプレイ体験は、今後も記憶に残ることでしょう。『聖剣伝説』という異世界は、今も魅力に溢れていました。



この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください