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慢性論評中毒症:採点魔はみんなに嫌われる/純丘曜彰 教授博士

INSIGHT NOW! / 2018年6月30日 14時11分

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純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

芸術家の生涯をイメージさせるために、講義で映画を使うことがある。それで学生にミニレポートを書かせるのだが、その芸術家について論じるべきなのに、映画学科でもないのに、映画がおもしろかった、つまらなかった、に始まって、映画に点数を付け、このストーリー展開がどうこう、あの映像演出がああだこうだ、と、評論家みたいなことを書く連中が数多く出てくる。

世間を見回してみれば、たしかに近頃、アンケートや素人レヴューが世の中に溢れかえっている。ファミレスでも、味はおいしかった~まずかった、接客は良かった~悪かった、などなど。ネットに至っては、アマゾンから楽天、ロハコ、アットコスメ、価格ドットコム、ブッキングドットコム、じゃらん、まで、そこら中で口コミを集めている。お客様は神様で、その御託宣で世の中が動いているかのよう。

昨今、広告やCM、それどころか新聞やテレビの提灯記事、提灯コーナーなど、まったく信用に値しない。その道の信用で長年やってきているプロの評論家というのも鼻につく。もっと危ないのが、近頃、沸いて出て来た「インフルエンサー」とやら。正体不明のドシロウトのくせに、無垢なフォロワーをスポンサーに売って小銭商売のステマ。新聞やテレビの提灯よりタチが悪い。

素人レヴューも、似たようなもの。ソーテルヌ(デザートワイン)を買って、甘すぎて食事に合わない、残りは捨てた、などと書いているバカがいる。物や人、店を批評するにも、それなりの確固たる見識が必要。それも無いのに批評したがり、点数を付けたがるのは、もっと根本のところ、つまり本人自身の自己評価点数が低いことを、自分で自分にごまかすため。

友だちの一挙手一投足まで、いいね/やだね。彼氏彼女、夫や妻も、何点、何点。挙げ句は、皇太子にまで「妃殿下に点数を付けるとすれば何点を差し上げたいか」などと聞くアホ記者が出てくる。それ、差し上げになさられますか、と、謙譲尊敬二重表現にするところであり、そもそも妃殿下に点数を付けることが、論外の不敬であることすらわからないくらい、頭がおかしい。

それもこれも、学校時代の強烈なトラウマの結果なのだろう。なんでもかんでも点数を付けられてきて、大人になってルサンチマン(怨嗟復讐)で、物にも人にもサービスにも点を付けまくる。そうやって採点すれば、自分がなんだか偉くなったような優越感に浸れるらしい。しかし、優越感を必要とするというのは、同時に劣等感に凝り固まっているから。いわゆるコンプレックスだ。

だが、長年、教員をやっている者からすれば、正直なところ、採点なんて面倒で仕方ない。まず、文科省の規定出席数で、評点対象外の学生を徹底的に排除。つぎに、レポートの提出数で、不合格確定を排除。こうやってできるだけ採点対象を減らしてから、レポートの内容をじっくり読む。たいてい、さして名文でもなく、むしろ自分の読解力の方が問われるから、疲れるし、時間もかかる。こんなこと、店や物、まして人になんかやっているほど、ヒマじゃない。

くわえて、受験競争を高得点でくぐり抜けてきた者からすれば、この世にあるのは、最後の入試決戦の結果、合格か、不合格か、だけ。合格すれば、91点でも88点でも、差のうちに入らない。逆に、不合格なら、90点でも60点でも同じこと。それ以前の模試や定期試験なんか、そもそもべつに高得点を狙う意味が無い。これらでは、つねに満点だけが目標。もちろん、現実にはそうもいかない。これらは、あくまで、どの分野で点を落としたか、自分の弱み苦手を見つけるためのもの。もっと細かく問題ごとに自分の点数を見る。たとえ良い点数でも、たとえば英文法が全滅だったりしたら、かなりまずい。

分野が異なるものを足した数字の大小になど、意味があるわけがない。それは、みかん3個とウサギ2羽、釣り竿1本、合わせていくつですか、問うような愚問。同じ科目でも、問題が違うものを足すことはできない。逆に言うと、まったく種類の違うものを平気で数だけ足して、合計だの、平均だの、数字を弄くり廻し論じているやつは、鉛筆を嘗めてロトナンバーを思案している連中の同類。

そもそも、物は、結局、買うか、買わないか、売れるか、売れないか、だけの問題。点数もへったくれも無い。婚活も同じ。結婚するか、しないか、しか無い。なのに、相手に点数を付け、もう少し背が高かったいいのに、とか批評して、相手の背が伸びるか? 地方出身者はイヤ、とか相手に言って、そいつが取って付けたように都会ぶったら満足できるのか?

人も物も店も、その総体で、それだ。部分だけを変えたりはできない。だから、部分を否定することは、全否定するのも同じ。そんなこともわからないバカな批評魔、採点魔だから、交渉相手も無しに自分勝手にゴネてばかりいて、いつまでたっても誰にも、愛されない。どこへ行っても、みんなに嫌われる。

自分も、家族も、友人も、物も、店も、サービスも、そこにあるがまま、それ以上でも、それ以下でもない。つまり、それ以外では、ありえないのだ。人生での出会いは、なにごともすべてがプライスレス。どんな店、どんな物、どんな相手でも、とりあえず今はそれがその百点満点。あとは、それをそのまま受け入れるか、それとも、まるごと拒絶するかの決断。そして、受け入れるなら、自分がそれをどれだけ生かせるか。むしろ自分の技量の方が問われている。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。最近の活動に 純丘先生の1分哲学vol.1 などがある。)

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