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映画「ボヘミアン・ラプソディ」も、2019年への自分の命の意味を問う機会/内藤  由貴子

INSIGHT NOW! / 2018年12月21日 23時12分


        映画「ボヘミアン・ラプソディ」も、2019年への自分の命の意味を問う機会/内藤  由貴子

内藤  由貴子 /

◆ 免疫力が注目されていますが…

先日、ノーベル賞の授賞式がありました。今年は医学生理学賞で本庶佑先生が受賞されたことは、日本人の一人として、良かったと思っています。
さて、この受賞を機会に本庶先生が研究されていた「免疫」という言葉が改めてクローズアップされています。

あらためて免疫についてネットで少し見ましたら、この薬「オプジーボ」について「根拠のある免疫療法」という表現がありました。
一方で、根拠のない免疫療法というカテゴリーが想定されるのでしょう。

私は薬のことはよくわかりませんし抗がん剤とは違うにしても、これは「がんを治す薬」と思っている人が多いと思います。

私は、ここに少し違和感を感じて居ます。一般論では免疫力は本来、「治す」というより「治る」のが正しいように思うからです。
もともと人が持つ自己治癒力を上げるのが免疫力ですし、免疫力が上がった結果、病は「治る」わけで「治す」とは本来異なります。

そして、免疫を活性させる方法は、薬の発想だけではないはずです。

◆ 治す医学、治る医学

なぜこんなことを取り上げたかと言うと、ホリスティック医学、私は医療者ではありませんが、ホリスティックを意識して仕事してきた一人です。
もちろん、がんについては、4回のがん患者としての経験しかありません。

ここでも何度かホリスティックに関して取り上げたことがありますが
西洋医学は「治す」医学。 ホリスティック医学はむしろ「治る」医学。この違いがあります。

ホリスティックと言う言葉をご存じない人も多いかと思いますので、簡単に説明すると
ホリスティックは、全体性(ホーリズム)から来ている言葉で、人をボディ、マインド、スピリットの全体性に調和がとれた時、治っていく、と考えるとわかりやすいでしょうか。

「スピリット」という言葉が入っただけで、怪しげなスピリチュアルだと受け取られた体験がありますが、まったくの誤解です。

マインドは心です。スピリットと言うと魂を意味しますが、むしろ、いかに生きるかという生き方だと思っています。
NPO日本ホリスティック医学協会名誉会長の帯津先生は、スピリットを「命を輝かせること」という趣旨で話されていたと記憶します。

人が病を得た時、身体だけ治せばいいというのでは十分ではないと、すでに多くの人が気づいています。
かと言って、生活習慣、特に食事にばかり注目するのも違います。

私は心理セラピストですし、心の負荷が取れた時、自身の体験からも病が癒えることはよく知っています。

要は、見えない心の負荷が身体に症状を作ることがよくあるので、その解放だけでも治ってしまうことがあるということです。
がんであっても、なじみある言葉を使えば「ストレス」が引き金になることは知られています。

◆ いつか「死」はやってくる だからどう「生きる」のか

さて、免疫ということを考えると、これは人がもともと持っている自己治癒力を高めるということにほかなりません。
確かに世の中には多くの効果がよくわからない健康食品や治療法があり、
ともすると私たちがやっているセラピーもエビデンスがどうとか言われることがあります。

心理的なストレスがない方が確かに免疫力は高まりますが、私が言いたいのは、むしろスピリットの部分です。

「命を輝かせる」というのは、自身が生きる意味を探求し、自身の命の価値をどう使うかです。
生きがいややりがいをもてるようになったら、病が治ったという話もよく聞きます。

私はドラマ好きですが、今年になって激減したドラマジャンルが、外科のドクターものです。
「ドクターX」のようなスーパードクターが難しい手術で切ってがんを治すという流れ自体、この秋ドラマから消えてしまいました。
「放っておくと死んじゃうよ」とはドクターX大門未知子がよく言う言葉でした。
それで手術したとして
もう、治しました、死から解放しました、生きられますよ、の次、「どう生きるかはあなた次第」の部分に多くが気づき始めているようです。

少なくなった医療もののドラマは、命の意味を問うものにシフトしています。
たとえば
NHKドラマ「透明なゆりかご」では町の産婦人科病院での出産、新しい命の話から、命を考えました。

また、病として若年性アルツハイマーを取り上げたドラマに「大恋愛」とCSの再放送でしたが中井貴一さん主演の「記憶」がありました。
どちらも医師や弁護士のようなこれまで勉強もできないと得られない資格を持つ知的職業者が、若年性アルツハイマーになる設定でした。
次第に記憶があいまいになっていくプロセスの中で、いきなり「死」に向き合うのとは異なる形で命の意味、生が問われていました。

◆ 映画「ボヘミアン・ラプソディ」が私たちに気づかせたこと

さらに映画「ボヘミアン・ラプソディ」が話題です。私も、つい2回も見てしまいました。

感動のラスト21分と言われています。

クイーンをしばらく離れていたフレディは、バンドに戻った時、すでにエイズによって自分の命のことを宣告されていました。
バンドのメンバーに自分がエイズで命に限界があることを伝えた時、こんなことを言いました。

「自分を哀れんだりしないで欲しい。自分はパフォーマーだ。自分の命の使い方は自分が決める」 と言って、アフリカンエイドのステージに臨みます。(記憶で書きましたので、正確なセリフではありませんが…)
それが、ラスト21分と言われるライブエイドのシーンです。ここで多くの人が涙しています。(私もです)

改めてクイーンの曲の歌詞の意味を知った人も多いようです、いつも先にある死を意識して生きる感覚。
フレディは45歳で命を終えましたが、パフォーマーとして燃焼できるステージがあった。

多くの人は、そんな燃焼できるステージを持てていません。
多くの人が涙したのは、フレディがその命の燃やし方を代弁してくれたからでしょうか。

それを裏返せば、自分が存在する意味を知って納得いく生き方をしたい!と欲求していると言えるのでしょう。

ホリスティックでいう、もしかすると抑圧していたスピリットの部分への気づきとも言えます。

さて、かけがえのない存在として、ご自身の命をどう使いますか?

2019年がやってこようとする今、自分に問う機会なのかもしれません

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