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クラブを忘れたダイナース/純丘曜彰 教授博士

INSIGHT NOW! / 2018年12月28日 12時51分


        クラブを忘れたダイナース/純丘曜彰 教授博士

純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

先月末、こんな事件があった。11月20日、幻冬舎の月刊誌『GOETHE』のWeb版に、その雑誌の常連の「美人秘書」とやら三人が鼎談するダイナースクラブの広告が掲載されたのだが、ここに、「通販サイトのカードでいばられてもね(笑)」「男性が交通系の機能がついたカメラ屋さんのカードで支払っていたときは、気まずく感じてしまって見ないふりをしました(笑)」「百貨店とかスーパーとかのカードしか持っていないと、「この人は何にもこだわらない人なんだろうな」と思っちゃう。」などと書かれており、会員から苦情が出て、26日に削除された。

この広告は『GOETHE』側から持ち込まれた提案で、企画・制作は『GOETHE』に一任した、というが、事前チェックがあったにせよ無かったにせよ、『GOETHE』なんかに広告を出そうとしたことからして、広告主のダイナースクラブ側の運営者(三井住友トラストクラブ)の責任は免れえない。そもそも、こんな広告を出してしまうくらい、自分たちの会社の事業定義を勘違いしているのではないか。

そもそもダイナースは、クラブだ。バブル以前、親の代からの数十年来の会員としては、ダイナースの変貌と凋落には言葉も出ない。かつては教授・医師・弁護士、実績のある企業の経営者や管理職であることが入会条件で、それも、既存会員の紹介を必要とした。旅行でも、食事会でも、相応の教養と礼節のある人々の集まりで、楽しく歓談し、気持ちよく過ごすことができた。ところが、それが、いつの間にか、誰でも来々の成金カード屋に成り下がっていた。育ちの劣等感とカネの優越感のコンプレックスなのだろうが、わがままで横柄な人が増えた。会員雑誌『signature』も、最近は度派手な金満広告だらけで、もはやまったく趣味が合わない。昔からのまともな会員は、むだな贅沢などしないのが、わかっていない。

「ダイナース(晩餐)クラブ」という名は、通貨交換の面倒な海外などでも、心ゆくまで満足できる、きちんとした食事をしたい、という会員を希望を示すものであり、そのために会員証にクレジット機能が付帯しただけであって、後払いのクレジットカードというのなら、それ以前から他にもあった。近頃の新規会員には、使える店が少ない、などと文句をつける向きもあるようだが、もともとはミシュランの星付きと同じで、ダイナースクラブに加盟できるレストランというのは、相応以上の店と客の水準を証明するものでもあった。

ひとことで言えば、食事の味はもちろんながら、エスタブリッシュは、『GOETHE』の読者のような下卑た若手の成金連中、それにぶら下がっている「美人秘書」とかいう小うるさい馬鹿娘たちと食事でまで店を同じくしたくないから、いつでもどこでも好みの店を選べるように、自分で高い会費を払ってわざわざクラブに入っていた。にもかかわらず、ダイナースそのものが、自分たちの事業定義を誤り、エスタブリッシュがもっとも係わりたくないリスキーなやつらを中に引き込んだ。かつて会員の交流と休息と旅先での情報交換の場だった街中ラウンジは、世界中、のきなみ閉鎖。空港ラウンジも、他社のプレミアムカードと一緒になって、冷蔵庫の飲み物をごっそり強引に持ち出すような連中が跋扈。もはやかつての静けさは見る影もない。

クラブは、趣味趣向を同じくする者の社交組織で、ゴルフなどがよく知られたところだろう。近代においては、19世紀の後半、上流貴族の社交界とは別に、工場労働者や植民地成金とも異なるアッパーミドルクラスが成立し、かれらの社交場が必要になったことから生まれた。彼らは、まさに教授・医師・弁護士、実績のある企業の経営者や管理職など、レスペクタビリティ(きちんとしていること)に基づく階層。カネの力だけで言えば、たしかに成金にはかなわない。だが、堅実な定職に就いており、信用リスクは限りなく低い。また、育ちの悪い成金が持ちえない、幼少からの熟成を必要とする、落ち着いたクラシックな文化教養を趣味趣向としており、カネに任せて暴れ回る連中にジャマされない静かな場としてクラブを求めた。

たとえば、シャーロック・ホームズの兄、マイクロフトは、硬い会計監査院官吏で、「ディオゲネス(人間嫌い)クラブ」の会員。このクラブの中では、口をきいてはいけない。静寂こそがモットー。他のクラブも似たり寄ったりで、とにかく騒がしい連中、度派手な連中が大嫌いだから、仕事以外の時間は、みなそこに逃げ込んで、同好の士と静かに過ごすのが楽しみ。

日本にも「学士会」(1886~)なんていうのがあって、東大ないし旧帝大の卒業生だけの社交場となっている。最近の様子は知らないが、昔は四つ玉などという小難しいビリヤード台があり、工学出の御年配が器用にキューを操っていた。また、「交詢社」(慶応系、1880~)、「東京倶楽部」(鹿鳴館系、1884~)、「日本倶楽部」(国会系、1897~)、なども、紳士(アッパーミドルクラス)の社交場の老舗。あまり表には出てこないが、財閥の管理職のための倶楽部も古くからあり、「住友倶楽部」(1904~)、「三井倶楽部」(1908~)、「三菱倶楽部」(1914~)などが有名。

1960年にできた「日本ダイナースクラブ」も、もともとは芙蓉グループ(富士銀行系=戦前の安田・浅野・大倉など+戦後の森・日産など)の財閥系倶楽部としての色合いが強かった。しかし、2000年、世界のダイナースクラブがすべてまとめてシティバンク系に買収されてからおかしくなり、さらにシティバンク本体が傾くと、15年には放り出されてしまった。それで、いまの日本のは三井住友信託銀行系の傘下となっている。つまり、人的組織を抱えている財閥系を中心とする、ステイタスのある福利厚生倶楽部だったのが、こうして金融系に買収され、オープンなただの成金向けのカード屋に成り下がってしまった。

金融系は、規模、それも金額的な規模を指向する。だが、それは、人的なステイタスクラブであることと両立しえない。現状は、かつての会員たちが長年にわたって築き上げてきた信用とステイタスを、正体不明の成金どもに小分けし安売りして喰い潰しているだけ。京都の不貞外国人旅行者アパートと同じ。会員会費を増やそうとゴルフクラブにスケボー連中を入れてグリーンを荒らすようなもの。それで、信用とステイタスの核である従来の会員たちが抜ければ、ただの怪しい成金向けサラ金カード。いくらカネ余りの時代とはいえ、手堅いアッパーミドルクラスと違って、一発屋の成金富裕層が増えれば、額面上の総額は大きくなっても、リボなどの踏み倒しリスクも巨額になる。どのみち規模で言っても、もはやアメックスやVISA、MASTERSとは並ぶべくもない。このままでいけば、ダイナースは、これらのいずれかに吸収されて、いずれは消滅せざるをえまい。

誰でも買えるような物は、誰も買いたがらない。誰でも入れるような会は、誰も入りたがらない。ダイナースが生き残るためには、いっそ昔どおり、国家資格かMBA以上必須のように、あえて成金富裕層を蹴散らし(資格も学位も無い「名誉賛助会員」はプラチナ限定で会費十倍とか)、社会的信用のある限られたメンバーだけの上質のプレミアムクラブとなるような事業再認識が必要ではないか。いくらカネがあっても、かんたんには入れない会であってこそ、それは格別のステイタスになる。繰り返すが、ダイナースはクレジットカード会社ではない。クラブだったはずだ。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。最近の活動に 純丘先生の1分哲学、『百朝一考:第一巻・第二巻』などがある。)

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