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「マズローの5段階欲求説」脱却のすすめ/内藤  由貴子

INSIGHT NOW! / 2019年3月30日 19時15分


        「マズローの5段階欲求説」脱却のすすめ/内藤  由貴子

内藤  由貴子 /

◆定年前に ライフワークの模索を始める人たち

今年になって、定年間近で早めに退職し、
今までと違う働き方をしている方に何人かお会いしました。

定年近くまで、家族を養い食べるために組織で仕事したけれど
「もういいでしょ、本当に働けなくなる前に、違う働き方を体験してみて
続けてみたいものを探したいですから」といって契約社員で働き始めた方、

これまでのキャリアを元に、起業の準備中の方もあり、一方で籍は今まで通りで、今後の生き方を模索している方もいらっしゃいました。

定年が視野に入るこの時期を人生のターニングポイントと捉えざるを得ないのでしょう。

さて、「食べるための仕事」を「ライスワーク」とやや自嘲気味に語り、生涯をかける仕事「ライフワーク」への羨望を抑えきれない人もいます。 その中には、ライフワークに専念できないもどかしさを抱える人、あるいは、そんな仕事に出会えていない焦りを隠さない人も…。

「食べるための仕事」と「生きがいとしての仕事」の対比でしたが
これは衣食住が足りたら、次の段階へ行けるということとは、ちょっと違います。

◆ マズローの5段階欲求説の、自己実現欲求にある矛盾

よく引き合いに出される「マズローの欲求5段階説」をご存じの方は多いでしょう。

欲求の5段階、ピラミッドの頂上の「自己実現欲求」に至るには、
4段階の「欠乏欲求」を満たしていく段階がある、という説です。

先のライスワークなど、1段階目の生理的欲求と2段階目の安全の欲求を満たす段階です。

その後、3段階目 所属と愛(社会的)の欲求として、社会的な役割や他者に受け入れられること、
さらに4段階目を承認(尊厳)欲求として、人から尊重されるプロセスを経て、

ようやく自己実現、つまり自身の生きる意味に目覚めて「自分がなりうるものになりたい」欲求が欲求の頂点に置かれています。

しかしこれは、マズローの唱えた一つの可能性、指標としてはあり得ても、すべて正しいかというと、個人的には非常に違和感を覚えます。

なぜなら 実際には「食うため」にバランスをとりつつ、自己実現欲求は、「食うため」に就いた仕事においてさえ、同時並行的にどうにか自己実現できないかと求めるので、必ずしも別段階ではないからです。

私もその一人でした。

また、これまで出会った相談者の多くの方が、そうでした。 だから、現実とそのギャップが苦しく悩むわけです。

まだ自分で稼げない学生でさえ、漠然とでも何かしら自己実現欲求モデルのようなものがあり、食うに困らず安全欲求を満たす意味での「安定」だけを求めて、就活する方が少ないと感じます。

「好きなことを仕事にする」というのは、そんな彼らに少なからず誤解も与えていますが、やりがい、自分らしさ、ひいては社会貢献になる仕事を望む学生は多いでしょう。

一方で、自己実現欲求の手前、たとえばマズローの4段階目の「承認欲求」を満たすためにSNSで「私、すごいでしょ!」をアピールをする人、意識高い系の人も見かけることがあります。

マズローの欲求でなくても、最近「承認欲求が強い人」という言葉をよく聞くようになりました。人から承認されることの意味は、本来、人に「尊重される」という意味の方が重要なことです。

人から認められることを強烈に欲する心理には、自分で自分を認めていない傾向があります。それは、自分で自分を愛することが難しいために人の承認を得ることで自己愛を満たそうというニーズです。 つまり「私を愛して、愛して!」と強烈にアピールしているのと同じです。

承認を求めてばかりで、尊重されているという実感が得られないなら、4段階から5段階への移行にはなりにくいです。なぜなら、尊重されている実感を得ることは、他者からの愛を十分に受け取るプロセスだからです。それを受け取れて、ようやく他者に与える余裕ができるのですから。

「なりたい自分になった」と主張する人の中には、一見、自己実現しているように見えていても、隠れたニーズが「私を愛して」の人が多く、それが「本当になりたい自分」なのか、「人に承認されるための虚像」なのか、一般には見分けがつきにくいようです。

◆ 欲求と幸福の関係


ところで、「欲求」とは何なのでしょうか。

欲求があれば、それを満たそうとします。満たされた時、人は幸福を感じます。言い換えれば、人は幸福になりたいために欲求を満たそうとします。

「お腹が空いた、おいしいものを食べたい」という欲求は、1段階目の生理的な欲求に違いありませんが
食べた時、おいしいご飯に作り手の愛を感じ、美味しさもひとしおだった場合、それは3段階目の「愛と所属」の欲求を満たしているとも言えます。

また、「大切なあなたのために特別に腕を振るったという料理」をいただいたなら、自分がとても尊重されたと感じ、4段階目の欲求が満たされるかもしれません。

これらのことは各段階を踏んでいなくても、そんな欲求が満たされた「幸せ」を感じるでしょう。

でも、飢えを満たしたいだけの人は、条件が一緒でもおそらく3段階目や4段階目は満たされません。

これらは、5段階のプロセスを順に追わなければ、高次の欲求を求めないということよりも、人はどのレベルの幸せを望むのか…、どの欲求レベルを満たしたいか…によると思われます。

1が満ち足りたら2、3へと成長が進むよりも、 人は、初めから「そこ、そのレベルが欲しい」という存在なのではないでしょうか。

◆幸福感の質 8段階

今年になって、私の心理学の師匠でもある本宮輝薫氏(フラワーフォトセラピーの開発者・NPO日本ホリスティック医学協会・理事)が、幸福感の質には、8段階あることを説いていました。とても興味深いので参考までにシェアします。

【幸福感の質 8段階】

① 食・性・安全が保たれて平和に暮らせること

② その上で、富・名声・ステイタスなどが一般的な人よりも恵まれていること

③ 世間並みかそれ以上の裕福さ・幸運に加えて、一般的な「愛」が保たれていること

④ さらに、その上で、伴侶や家族のより一層の「真実の愛」に包まれていること

⑤ さらに、その上で(あるいは、①②③を犠牲にしても)、真善美・理想・生きがいなどを共にする伴侶・家族との愛に包まれていること

⑥ さらに、その上で(あるいは、①②③を犠牲にしても)、真善美・理想・生きがいなど、より高く深い精神的充足を共にする伴侶・家族との愛に包まれていること

⑦ さらに、その上で(あるいは、①②③を犠牲にしても)、真善美・理想・生きがいなど、より高く深い、さらにより深く高い精神的充足を共にする伴侶・家族との愛に包まれていること

⑧ さらに、その上で(あるいは、①②③を犠牲にしても)、真善美・理想・生きがいなど、より高く深い、さらにより深く高い、さらにさらにより深く高い精神的充足を共にする伴侶・家族との愛に包まれていること

これら8段階ですが、どこまでのレベルを人生で求めているか、どこまで求めるかは、どうやらある程度生まれつきのものだそうです。

そこがマズローとの相違点。成長によって階段を上がるのではありません。
この幸福8段階の根拠は、30年以上の経験で、多くのクライアントの傾向から導いたそうです。

あなたは、自分がどのレベルだと思いましたか?
この幸福のレベルは、物質的な②の富や名声よりも、③の愛がある世間並みの豊かさがのほうが上位の幸福であり、さらに④の愛の方が高次の幸福だと示しています。

そして周りを見ると、たしかに理想、生きがいを求める人には、①~③を犠牲にしてもいいと思う人がいるという印象です。

日本人が平均的に受け取れるのは、⑤くらいまで。しかし潜在的に望んでいるものは、もっと高い場合もあるようです。実際には人生で ⑤以上を達成するのは、難易度は高いようです。

◆ 何か置き忘れていても、まだ間に合う

定年が来ても延長して仕事する人は多いですが、 それでも定年は一つの役割に区切りをつける機会です。その後の人生を余生、つまり「余った生」と呼ぶには長すぎます。

今は人生100年と言われますが、50歳は人生の人生の半分の地点ではありません。実質的には冒頭に書いたように、50歳あたりから自身の人生を見直す人が増えているようです。

マズローの言うような段階は今、人生のどのあたりにいるかの指標にはなります。しかし、その指標を脇にいったん脇に置き、そもそも自分が何をしたかったのか…。人との関りもまた大切なことだと気づきます。この時期、心の奥で何かが騒ぎ出す人もいるようで、人生に何か置き忘れてないかを見直す機会です。自分自身の人生を肯定し、これからの時間をより意味のあるものにするために。

※ 写真は、人生に必要な何かに気づくイメージでアップしました 


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