カール・レーフラーの神学とその時代/純丘曜彰 教授博士

INSIGHT NOW! / 2019年5月19日 6時36分

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純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

ウソは、隠すことにおいて、逆に真実を語り出してしまう。これは、解釈学の基本テーゼだ。この意味で、カール・レーフラーの「神学」問題は、なかなか興味深い。いまどき論文中に典拠を捏造するなどというのは、まったく気が知れないが、文献中の杜撰なウロ覚え引用なんかでいちいち驚いたり怒ったりしていたら、神学だの、哲学だの、やってられないはず。それどころか、まるごと捏造の偽書なんて、この業界には古代から現代まで、大量にある。筆写や校正での混乱まで含めたら、完全真正の文献の方が珍しいくらいだ。だから、むしろ偽書や怪しい引用から真実をどう読み解くか、そこに読む側の研究者の知性の水準が問われる。

先週5月10日、東洋英和女学院院長、深井智朗(ともあき)が研究不正を理由に懲戒解雇された。著書『ヴァイマールの聖なる政治的精神:ドイツ・ナショナリズムとプロテスタンティズム』(岩波書店、2012)で採り上げているカール・レーフラーが捏造である、とされたことなどによる。

カール・レーフラー。いかにもドイツ人っぽい名前だ。深井によれば、レーフラーは「今日の神学にとってのニーチェ」という論文を1924年に書いた、と言う。レーフラーは、使徒信条を拒否して、牧師の地位を剥奪され、1929年に自由キリスト者同盟という雑誌グループを立ち上げた神聖フロント世代の一人であり、その後も、その立場に留まって、同派から転向した者たちを批判し続けた、そうだ。

深井によれば、1924年のレーフラー論文は、弁証法神学(新正統主義)を提唱して注目を浴びていたカール・バルトの『ローマ書』(第二版、1922)を批判している。深井が記すレーフラーによれば、バルトは、ニーチェの超越論的な神の概念に基づき、人間中心のリッチュル神学を批判したが、バルトもまた人間の側の信仰の決断を土台とする以上、ニーチェの批判を免れえない、とされる。ここから、深井は、ヴァイマール時代、神聖フロント世代神学者たちは、ニーチェ思想こそ、真のキリスト教である、と考えていた、と主張する。

もとより半ばウソっぱちなのだから、なんのことやら、わからないのも当然。まず「ヴァイマール時代」というのは、第一次世界大戦に敗北した後のドイツのヴァイマール憲法の時代で、1919年からヒットラーが総統になる33年までを指す。この時代、リッチュルやバルトの神学がはやったのも事実。ヴァイマール時代の「フロント世代」という術語は、敗戦後の最前線を自認する世代として、ベッセルなどにも見られるが、「神聖フロント世代」なる術語は、深井による(「1913年のルドルフ・ブルトマン」(2013))。しかし、20年代にニーチェがはやった、というのは、どうなのだろう。もうすこし後なのではないか。

23年から33年にミュンヘンで発行された雑誌『時代の合間』は、敗戦による権威崩壊後の自由主義や人間主義の宗教風潮に対し、あらためて「神の自己啓示」という超越論による神学再興、つまり、新正統主義を試みた。この雑誌の編集者が21年にゲッティンゲン大学に潜り込んだカール・バルト(1886~1968)にほかならない。しかし、このサークルは、バルトの空回りで内部崩壊。代わって、次世代の、より行動的なボンヘッファー(1906~45絞首刑)が反ナチで活躍し始める。

深井は、このバルトとボンヘッファーの間を繋ぐために、存在しないレーフラーを捏造した。(個人的な印象としては、彼がこれだけの巧妙なウソを自分で捏造したというより、近年の海外の怪しげな著述から、自分で原典に当り直さずに(自分も原典を入手できないままに)横(欧文)を縦(和文)に安直に孫引きして、典拠不明に陥ったようにも思える。2000年代に入ってから、現代の信仰の衰退とあいまって、かつてそれを乗り越えたヴァイマール期神学を主題とする書籍や論文は、ドイツ語圏だけでなく、英語圏やフランス語圏でも恐ろしいほど膨大に出されており、レーフラーなどという百年以上も前の無名人物の不在証明を学術的を行いえた、などという方が、よほど学術的に信じがたい。そのうち、なにか元ネタが出てくる気がする。)

いずれにせよ、このバルトに対するレーフラーの批判には、あえて隠された別のモデルがいるのではないか。ハイデッガー(1889~1976)とブルトマン(1884~1976)だ。ハイデガーというと、フランスのマルセル(1889~1973)に対抗する無神論の実存主義者のように思われがちだが、教会管理人の息子で、バリバリの保守カトリックの神学生だった。それが、フライブルク神学教授になり損ねたのきっかけに、かんたんにルター派に宗旨替え。現象学者フッサールの助手を務めながら、ニーチェに心酔しつつ、ひそかに中世神秘主義を研究。また、ブルトマンは、ルター派牧師の息子で、チュービンゲン他で学び、21年にマールブルク大学の教授になって、バルトの新正統主義運動に参加。

ハイデッガーは、22年、バルトと同じゲッティンゲン大学に職を得、翌23年、マールブルク大学に移り、ここでブルトマンと神学を議論。24年、優秀なユダヤ系女学生ハンナ・アーレントが、この大学に入ってくる。ブルトマンは、彼女を弟子とし、迫り来る時代のユダヤ人差別から守ろうとする。ところが、ハイデッガーは、差別を逆にうまく利用して、彼女を愛人奴隷にしてしまう。26年、ブルトマンは『イエス』で、イエス本人の言葉との対話を試みる。一方、ハイデッガーは、27年に書きかけの『存在と時間』を公表して、翌28年にフライブルク大の師フッサールをユダヤ人として追放、代って、かつてなり損ねた念願の同大教授となり、その後は、ニーチェを担いでヒットラーの思想的番犬としてナチスの提灯持ち。これに対し、ブルトマンは、ボンヘッファーらとともに反ナチスの闘士として戦う。

しかし、ヴァイマール時代の神学の歴史的問題で、なぜ当時のキーマンであったハイデッガーとブルトマンの決裂を隠さなければならなかったのか。両者の関係をアカデミックに論証し始めると、時代を概観する本の一章になど、とうてい収まらなかったからだろう。というより、この両者の複雑で微妙な問題は、両者に共通の思想的起点となるニーチェ本人の神学的位置づけの難しさもあって、当時の深井の手には負えなかった、というのが正直なところだろうか。本にするのは、あと十年、時熟を待てばよかったのに、と思う。

つまり、この深井の、一見、単純そうな一件、典拠捏造という汚点と懲戒解雇という解決が隠している、もっと大きな、どす黒いウソが背景にあるのではないか。じつは、ハイデッガーやブルトマンは、当時から今日まで、多くの実在存命の留学生や招聘教授が絡んで、日本の宗教人や大学人とも繋がりが深く、その弟子筋の派閥は、陰湿でファナティックな信奉者ばかりだ。実質的には、やつらは危ない思想カルト集団。偶像化した自分たちの「教祖」を批判しそうな者は、たがいによってたかって攻撃し、ガスライティングで学界から完全「抹殺」しないと気がすまない。

レーフラーのバルト批判、正しくは、ブルトマン的視点からのハイデッガー批判、ニーチェの威を借りて傍若無人に振る舞ったハイデッガーこそ、ニーチェがもっとも嫌悪した人間自己中の最後尾の思想そのものだった、という見解は、それゆえ、ヨーロッパでは半ば語るまでもない常識であるにもかかわらず、日本では絶対に語ることの許されないタブー。それを、イカサマのありもしない論争にすり替え、わかる人にだけわかる、とする、ふざけた論法は、学術論文だのウィキペディアだのはともかく、歴史的な神学書や哲学書の名著では、プラトンの昔から、けっこうよくある正統的な「逃げ」のようにも思える。ようは、ウソをウソとして、ニヤっとして読めるだけの基礎知識と読解力が読者の側にあるかどうかの問題か。

そして、これらの対立に、自由主義神学まで加えれば、もう三つどもえの三すくみ。こういうぐちゃぐちゃな内部の宗門争いを、世界的にジリ貧の狭い仲間内で、寄せ集めの日本のプロテスタント教会は、戦後の混乱期からずっといまだに引きずっている。刃物まで持ち出して、暴力団の勢力抗争と大差ない。深井がドイツ敗戦後、百年も昔のヴァイマール時代のプロテスタント神学に関心を持ったのも、おそらく、それが現在の相似形だから。これ以上は、恐くて言えない。


※ 私も駒場で荒井献先生に習って、実践的な解釈学を知った。だが、一般向けに、どうせ論証を端折るなら、最初からウソ(小説)の体裁で真実を語った方が安全。神学のことならヨタな拙著『死体は血を流さない』『悪魔は涙を流さない』もよろしく。

(by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論、映画学。最近の活動に 純丘先生の1分哲学、『百朝一考:第一巻・第二巻』などがある。)

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