「高齢者は、転居によるストレスが大きい」は、単なる神話。/川口 雅裕
INSIGHT NOW! / 2021年5月14日 11時30分
川口 雅裕 / NPO法人・老いの工学研究所 理事長
「リロケーション・ダメージ」という言葉があります。住み慣れた場所から転居(relocation)して、環境が変わることによってストレスが蓄積し、心身に悪影響が及ぶことです。特に高齢者にこのような症状が出やすいとされており、それを恐れて、高齢期の住み替えをためらい、たとえ不便でも老朽化していても寂しくても、それまでの家に我慢して住み続ける人が多いようです。
しかし、筆者は「高齢者はリロケーション・ダメージを受けやすい」という考え方はかなり疑わしいと思います。理由は3つあります。
●環境適応力の大きな変化
1つ目は、高齢者にリロケーション・ダメージが多く確認されたのは「生まれ育った地元で一生暮らし続ける」ことが普通だった時代の話だということです。進学・就職・家族数の増加・転勤などで、何度も住む場所を変えてきた経験を持つ今の高齢者は、環境変化への適応力が昔とは大きく違うと考えられます。
昔の高齢期の転居とは、「家長」的な自分の存在価値の喪失であり、3世代同居から放り出されることであり、そこしか知らない地域コミュニティーを失うことでした。そうした状況とは全く異なる現代の高齢者が昔と同じように、リロケーション・ダメージを受けるとは思えません。
2つ目は、今の高齢者を年齢だけで、昔と同じように語るのは無理があるからです。
体力的には「2002年の高齢者は1992年の高齢者より10歳程度若返っている」(2006年「日本人高齢者における身体機能の縦断的・横断的変化に関する研究」)という研究結果もあり、最近のスポーツ庁の「体力・運動能力調査」を見ても、高齢者の体は年々若返っています。肉体の若返りは気持ちの若さにも関係するでしょうから、当然、環境変化に適応する力も現代の方がはるかにあるはずです。
3つ目は、リロケーション・ダメージをケアする体制が高齢者住宅などで整ってきていることです。転居によるストレスが心身に悪影響を及ぼしかねないことが広く知られるようになり、新しい環境に早くなじめるよう工夫された仕組み(支援する人たちやプログラム)が用意されています。この点も昔とは大きく違うところです。
●住み続けることによるダメージ
そう考えると、気を付けなければならないのはむしろ、現役時代の家に無理をして住み続けることによるダメージなのかもしれません。若返ったとはいえ、いつかは衰えがやってきて、手伝いや手助け、見守りが必要になってくるでしょう。身体的な衰えによって、現役時代の家は高齢者にとって危険にもなってきます。医療や介護へのアクセスが容易であることも欠かせませんし、周囲に人がいる環境であることも大切です。
これらを満たす環境に転居すればいいし、今の高齢者には新しい環境への適応力もあります。ところが「高齢者はリロケーション・ダメージを受けやすい」という“神話”を信じて現役時代の家に住み続けることによって、かえって、家の中での事故や不便・不安・孤独といったダメージを受けてしまう人がいます。
実際、消費者庁が集計したデータによると、2018年の高齢者の家庭内事故による死者数は「転倒・転落」が約8800人、「不慮の窒息」は約8000人、(ヒートショックなどをきっかけとした)「不慮の溺死および溺水」が約7100人で、交通事故で亡くなった約2600人をいずれも大きく上回りました。
現役時代の家に住み続け、だんだんと人との交流や会話が減っていって楽しみもなくなり、孤立感を覚えるようになる人も多くいます。最も避けるべきはこのような「住み続けダメージ」の結果、心身が早く衰えて自立生活が難しくなり、適応力が落ちた状態になってから転居することで、より大きなリロケーション・ダメージを受けてしまうケースでしょう。
昔と今の大きな違いを踏まえれば、リロケーション・ダメージは単なる神話です。環境変化への適応力が高い、高齢期の早い時期に住み替えれば、リロケーション・ダメージをなくすことも十分可能です。高齢の親の状況について心配している子ども世代の皆さんも、この点は理解しておくべきでしょう。
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