マズローの欲求段階説から考える、高齢期の暮らし方。/川口 雅裕
INSIGHT NOW! / 2022年9月5日 12時51分
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川口 雅裕 / NPO法人・老いの工学研究所 理事長
人間の欲求は、「生理的な欲求」「安全への欲求」「所属欲求(社会的欲求)」「承認欲求」「自己実現の欲求」の5つの階層からなるとする、有名な「マズローの5段階欲求説」。この理論から、人生100年時代といわれる現代の長い高齢期の暮らし方について考えてみたいと思います。
まず、「5段階欲求」について簡単に確認しておきます。
第一の「生理的欲求」は生命を維持するための基礎的なもので、睡眠や食事、排せつなどが該当します。「安全欲求」は危険を感じるような環境を避け、健康で安定した暮らしをしたいという欲求。次の「所属欲求」は、集団や組織に属して人間関係を持ち、他者に受け入れられている状態を望むこと。
「承認欲求」は、自分が属している集団の人たちから敬意や称賛を受けたい、また、それを踏まえて自分自身を肯定的に評価できるようになりたいという欲求。そして5つ目の「自己実現欲求」は、自分の持つ能力が発揮され、自分の可能性が現実のものとなり、望ましい自分になっていたいという欲求です。
長寿化には、高齢者がこれらの欲求を満たせない状態で、長く暮らさなければならなくなったという面があります。具体的にいえば、誰でも加齢に伴って身体機能は衰えていきますから、睡眠・食事・排せつも若いときと同じではありませんし、さまざまな体の不調を自覚するようになります。つまり、「生理的欲求」が満たされなくなってくるわけです。
「安全欲求」については、“安全”というのは相対的なもので、同じ環境にいても、安全かどうかはその人の体力や身体機能に大きく左右されます。例えば、築年数のたった一戸建てに住んでいて、台風の強い風雨が来たら、お年寄りは恐怖を覚えることもあるでしょうが、若い人は平気なこともあります。つまり、加齢に伴う身体的衰えが、「安全欲求」の充足を脅かすことになるのです。
また、特に男性においては、「所属欲求」を充足させていた会社や職場という存在が、定年退職によって失われます。「承認欲求」を充足させていた会社の名前や肩書もそれと同時になくなり、部下や後輩から頼りにされたり、敬意を受けたりする機会も失います。職業生活において、自己実現を成し遂げたという実感があったとしても、定年退職によってリセットされてしまうということです。
マズローの言う5段階の欲求が満たされにくくなってくるのが高齢期。そうすると、さまざまな喪失(生理的・身体的機能、安全な環境、所属集団、承認や敬意を受ける機会)をどのように補うのかが、高齢期における重要な課題であることが分かります。
例えば、生理的・身体的機能を維持するための活動の継続、あるいはサポートしてもらえる環境を整えること。身体的状況に見合った安全な居住環境への住み替え。新しい役割や居場所を実感できるコミュニティーへの所属と、そこでの関係から生まれる承認といったものを、早いうちに補うことなどです。
逆にいえば、必ず経験するさまざまな喪失を放置することは、満たされず我慢しながら長い高齢期を生きることであり、場合によってはその我慢に限界が訪れる危険もあります。
マズローは晩年、「自己実現」の上に、さらに高次の欲求「自己超越」があると述べました。それは、自分のことはさておいて、誰かのためになることをしたいという欲求です。自己実現は自分のため。そうではなく、自己というものを超えて、地域や次世代や社会のためにという意識、いわゆる「利他の精神」に近いといってよいでしょう。
年齢だけで一概にはいえませんが、この自己超越欲求は若い人よりも高齢者に比較的強くみられます。実際、私が理事長を務めるNPOの活動に協力してくださる高齢の人たちと会話していても、ボランティア活動に取り組む人たち、高齢者コミュニティーへの参加者を見ても、その動機は報酬や見返りでないのはもちろん、称賛や尊敬を受けたいわけでもなく、単純に「役に立ちたい」からだということがよく分かります。会社などで働き続けている高齢者も、その動機は同じようなもので、世の中や若い人たちの役に立つこと、昔の話や知恵を若い人に伝えていくことを「年寄りの使命」として捉えているような節もあります。
こういった人たちは、高齢期に入って先述の「5つの欲求」が満たされなくなってきた状況を受け入れ、補完する策を講じた上で、新しく生まれた「6つ目の欲求」を満たそうとしている――そうすることで、全体としてバランスを取って暮らしておられるのではないかと感じます。避けがたい5つの欲求不満を嘆いてばかりいるのではなく、新しい欲求の充足に高齢期の生きがいを見いだしておられるということです。
マズローが1960年代に唱えた自己超越の欲求は、人生100年時代といわれる現代の高齢者にとって、また活力ある超高齢社会という観点からも、重要なキーワードになると考えられます。
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