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リクルート事件という冤罪を生んだ世の中/日沖 博道

INSIGHT NOW! / 2024年2月21日 7時7分

リクルート事件という冤罪を生んだ世の中/日沖 博道

日沖 博道 / パスファインダーズ株式会社

最近、自民党を騒がせている政治資金パーティー裏金事件。その枕詞によく出るのが「リクルート事件以来の」という言い方だ。

ではリクルート事件とはどういう事件だったのか。約35年前の事件なので、40代以下の人たちにとっては「昭和史」の一つに過ぎない、「よく知らないけど大がかりな疑獄事件だったらしい」程度の知識だろう。

ウィキペディアによると、「リクルートの関連会社であり、未上場の不動産会社、リクルートコスモスの未公開株が賄賂として譲渡された。贈賄側のリクルート関係者と、収賄側の政治家や官僚らが逮捕され、政界・官界・マスコミを揺るがす、大不祥事となった。当時、第二次世界大戦後の日本において最大の贈収賄事件、ひいては戦後日本最大の企業犯罪とされた」とある。

しかしこの表現は事の顛末を述べているだけで、必ずしも真実を突いていない。マスコミに戦後最大の贈収賄事件として扱われたのは事実だが、一方で戦後最大の冤罪事件でもあった可能性が高いものだった。

その捜査の不透明さは当時からくすぶっていた。事件の主役であった江副浩正氏本人が執行猶予期間を終えた後の2009年に『リクルート事件・江副浩正の真実』という自著で無実を主張していたが、世の注目を喚起するにまでは至らなかった(リーマン・ショックの翌年だったので、世間はそれどころではなかったこともあろう)。

事件後の1990年代になって日本に帰国した小生は経営コンサルタントとして、幾人かの経営者の方々に対し、この事件についてどう思われるかを尋ねてみたことがある。すると皆さん、「あんなのが有罪なんておかしい」「江副さんも真藤さんも、マスコミと検察にはめられたんだ」と口を揃えて仰る。

そこで若輩者の小生が「じゃあ経済人の皆さんが抗議すればどうですか」と水を向けると、「いや、検察に睨まれたら怖いからね」と腰砕けのご様子ばかり。当時はまだ、検察は「正義の味方」とみなされていたからだ。

分かっている事実はこうだ。1984年から主に1985年にかけて当時リクルートの会長であった江副氏とリクルートが、子会社であるリクルートコスモスの未公開株を、多くの有力政治家、官僚、通信業界有力者に幅広く譲渡(正確には有償譲渡もしくは第三者割当増資)した。1986年10月にリクルートコスモス株は店頭公開されており、その際に手持ち株を売却した者は大きな利益を得ている。

1988年になって、川崎駅西口再開発に絡む川崎市助役への利益供与疑惑が発覚したのをきっかけに、このリクルートコスモスの未公開株譲渡の事実と、多くの関係者が大きな売却益を得ていたことが報じられ、一大スキャンダルに発展したのだ。

ではなぜ、この事件は「冤罪」の可能性が高いといえるのか。端的に言うと、この事件の大半において、贈収賄事件であるための条件「職務上の権限がある人物に対し、利益供与と引き換えに便宜を図ってもらう」という構図が成立しないからである。

江副氏がリクルートコスモスの未公開株を譲渡したその見返りに、相手から何か便宜提供を得たという客観的な事実はない。事の順番はむしろ逆で、リクルートという新興企業が苦労しながらも成功し、ビジネスを拡大する過程でお世話になった人々に対するお礼の意味で(または「今後ともよろしく」といった接待感覚で)、江副氏個人またはリクルートが持つ株式を譲渡したり、リクルートコスモスが第三者増資を割り当てたりしたのだ。

彼らは政治家に対しては「タニマチ」然と、与党議員への寄付のつもりでいたとしか思えないほど広汎な範囲にバラ撒いている(もちろん、公職選挙法の裏を掻くグレー行為ではある)。その意味で、後述するNHKの番組の中で当時の検察官がいみじくも吐露している「検察が言っちゃいけないんだろうけど、犯意が薄いよね」という表現はいかにも妥当である。

小生の想像ではあるが、江副氏としては政官財界の有力な人々にバラ撒くことで、その一部の人が公開後に全株を売り抜けずに多少残してもらえば彼らは安定株主となり、ゆくゆくはリクルート社もエスタブリッシュメントの一員になれるかも知れないという淡い期待もあったのではないか。

そして肝心な点として、当時も今も、将来の上場または店頭公開を目指す株式を有償で取得することは違法でも何でもない、正当な経済行為なのだ(ただし上場または店頭公開の1年前以内だと上場・公開そのものが危うくなるので避けるよう指導されてきたらしい)。

そしてこの件で収賄側とされる人々の大半は、リクルートコスモスの未公開株を、江副氏やリクルート社から買うか第三者割当増資に応じるなどして取得している。当座の持ち合わせがない人には、リクルートグループ会社のファーストファイナンスが融資までしている。

事件発覚当時、マスコミはこぞって「濡れ手に粟」という表現でこの未公開株の取得による「錬金術」を非難した。しかし冷静になって考えると、取得者は既に公開された株式を単純に割安に手に入れた訳ではないのだ。未公開株ならではのリスクに応じたディスカウント(割引)がなされた株価の株式を正当に有償で取得しているのだ。

彼らが背負ったリスクとは次の通りだ。まずリクルートコスモスの公開話が大嘘かも知れない。次に新興企業であるリクルートおよびリクルートコスモスが突如として経営不振に陥る可能性もあった(実際、この事件の騒動でそうなった)。そしていくら会社としてはまともでも、不動産市況または株式市況が暴落すればコスモス社の公開はなくなったかも知れない。

いずれの場合でも、下手をすればその未公開株は紙屑同然になったかも知れない。そうなれば借金してまでその株式を買った人は大損したかも知れないのだ。

つまり未公開株とはそうしたリスクを内包した有価証券であり、それを承知で有償で取得するのは、当事者の自己責任を以て行われる正当な経済行為だ。それを「濡れ手に粟で不当に大儲けした」と非難するのは、結果を知っているからこその後出しじゃんけんに過ぎない。こうしたマスコミの論法が当時通用したのは、世間の「あいつらだけズルい」という妬み・ひがみに支えられていたと言えよう。

そしてこうした世間の妬み・ひがみ根性、マスコミの「正義の味方」を装った焚き付けに支えられ、本来正当なはずの経済行為をクロだと決めつけて、強引に逮捕・起訴まで持っていったのが当時の東京地検特捜部だ。

東京地検が(本来だと公判維持が難しいはずの)こんなグレーな案件を思い切って特捜案件としてぶち上げたのは、社会正義の実現という建前からではなく、「世の注目を浴びているこの件で順調に有罪判決まで行けば、東京地検の立場がさらに強化され(他の役所や政治家、そして経済界に睨みが効いて)、さらにうまく行けば天下り先も増える」と見たからかも知れない。

実際、ロッキード事件とこの事件以来、検察組織の暴走の歴史が加速したと指摘する識者も少なくない。少なくとも当時の東京地検の「イケイケどんどん」振りは、それを煽るマスコミとの共振によって「怖いもの知らず」の域に達していた、と小生は記憶する。今や大作家と目される佐藤優氏(当時は外務省分析官)が道連れ逮捕された一連の「鈴木宗男事件」なんかは、その典型だったのではないか(今だったら「大川原化工機事件」か)。

ちなみに当時のリクルート社が清廉潔白だったかといえば、決してそんなことはない。事件発覚の発端となった川崎市助役への利益供与はれっきとした犯罪行為だ。また、政治問題化した際に楢崎弥之助議員を丸め込もうと未公開株の提供を持ち掛けたのも、明らかに利益誘導であり贈賄意図があったことは間違いない(しかしそんなアホウな対処を、天才的に賢いと称された江副氏が指示したとも到底思えない)。

ではこの事件の結末とその影響はどんなものだったろう(当時は時代の渦中で冷静に分析することができなかったが、今なら可能だろう)。

自民党では派閥領袖クラスや有力政治家の多くが一旦は政権もしくは自民党などでの主要ポストを辞任するなどの混乱を見せたが、結果としては藤波孝生・元官房長官(彼は「将来の総理候補」と言われていた)と、公明党の池田克也議員が在宅起訴され、政治家秘書等4人が略式起訴されただけに留まり(中曽根元首相をはじめとする大物政治家は立件されずに捜査は終了)、彼らの大半は有罪判決を受けている。

文部省ルートでは、元事務次官が収賄罪で起訴され有罪判決を受けている。労働省ルートでも、元事務次官と元労働省課長が受託収賄罪で起訴され有罪判決を受けている。とはいえ事件の騒ぎに比べ起訴対象者は少なかったし、官庁としての痛手は意外と小さかったといえる。

しかし経済界はそれなりの打撃を被った。贈賄側のリクルートは江副氏と社長室長および秘書室長、そしてファーストファイナンス副社長が逮捕され、最終的には有罪判決を受けた。収賄側としてNTTは真藤恒会長と元取締役2人が逮捕・起訴された。

この事件の影響でリクルートはいったん業績不振に陥り、ダイエーグループに身売りした。最近になってNHKがアナザーストーリーズという番組の中で『リクルート事件 35年目の真相』として婉曲的表現ながら冤罪の可能性を匂わせていたが、江副氏の奥さんが「本来なら日本初のIT企業として世界に展開することもできたはず」と江副氏の無念を代弁していた。

確かに江副氏の才覚と、後年幾つものベンチャー企業を輩出した優秀なリクルート社員が束になって海外市場を攻めていたら、今頃GAFAMの一角を崩しているかも知れず、日本のIT業界の歴史はまったく違ったものになっていた可能性はかなり高いと小生には思える。

さらに言えば、その活躍は他の日本の若者に大いに影響を与え、様々な日本発のスタートアップ企業を生み出し、彼らのモノの考え方や世界での事業展開は違う次元に到達したかも知れない。そうなれば、もしかすると平成大不況だって循環的なリセッション程度に収まっていたかも知れない。

そう考えると、この冤罪を仕立てたり煽ったりした連中の根性が浅ましいし、当時の世間の嫉妬心が愚かしく思えてくる。

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