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もしもポケモン大学ができたら/純丘曜彰 教授博士

INSIGHT NOW! / 2014年11月3日 8時53分

もしもポケモン大学ができたら/純丘曜彰 教授博士

純丘曜彰教授博士 / 大阪芸術大学

/いまの日本では、ポケモンやドラクエこそがメインカルチャー。大学でやっていることの方がサブカルのカルトに追いやられてしまっている。しかし、ニワカの捏造神話は、しょせん古典のプロットの寄せ集め。源泉が枯れてしまえば、クールジャパンなど成り立たない。/

 たとえば任天堂にバンダイと小学館が相乗りで出資し、文科省から大量の天下りを受け入れ、クールジャパン産業として経産省からも助成を受け、ポケモン大学が生物学部・経営学部・文学部の三学部体勢で大学審議会にかけたらどうなるのだろう? カリキュラムは、ポケモンの進化研究、ポケモンの運営管理、そして、ポケモンの国際カルチュラルスタディーズ。まあ、ふつうに考えれば、アホくさ、と思うだろうが、意外に通ってしまう気がする。というより、STAPほどにも、止めることができまい。

 こんなことを考えてしまうのも、理系はともかく、文系大学の役割が危うくなっているからだ。「科学」云々と言ったところで、マルクス主義経済学とか、まるまるが一種の神学、イデオロギーだろう。いや、近代経済学だって、根本のところが仮説だらけで、似たようなもの。まして、国文学や哲学が学問なんだろうか。源氏物語やハイデッガーのファンクラブとどれだけ違うのか。論文だって、その会報みたいな状況。かろうじて英語学あたりは実効性が問われるが、実効性を追求するなら、自転車の乗り方のような話で、大学で研究としてやることじゃあるまい。歴史学にしたって、現代からすれば、ポケモンと同じ物語。いくら、歴史は事実だ、絵空事とは違う、と言い張ってみたところで、かえって事実のシガラミが多い分、おもしろくもないプロットも多い。長年、哲学なんかやってきて、今般、古代ギリシア文明史を電子出版してみたが、そりゃ鳥山明なんかが総力を挙げてやっているドラクエなんかに、かないようもない。こっちの方がサブカルのカルトみたいな立場に追いやられている。

 いまやむしろポケモンやドラクエは、サブカルチャーなんていうものじゃない。あっちが日本のメインカルチャー。なにしろカネと手間のかけ方のケタが違う。アニメとゲームで人生を学んだ、と言われてしまうと、返す言葉も無い。昔なら、同じ絵空事でも、『論語』や『対比列伝』のようなものは、中上層階級の必須の教養で、一般大衆だって、落語やパロディで知っていて当然の話だった。ところが、それがもはやポケモンやドラクエに置き換わってしまった。いまの若い連中には、ディオゲネスの話をするより、ヤドンの方がわかりやすいというのが現実。

 もともと日本は、維新と敗戦で、自分たちの本当の過去を切り捨ててきた。戦前は、天皇制と武士道の捏造神話を一般国民全員にまで教えた。そのせいで、イスラム国みたいな万歳突撃までやらかすし、時代劇だって、当時の人口の八割を占めていたはずの農民なんか出て来やしない。だが、大和魂! なんて、マンガみたいに叫んでみたところで、現実的で圧倒的な米国の物量作戦を前に、なんの役にも立たなかった。それで、敗戦になって、戦後、すこしは垢抜けるかと思ったら、また、この始末だ。根っこが無ければ文明じゃない、なんて言っている『ラピュタ』でさえ、あちこちの物語のプロットの寄せ集めのデコンストラクションで出来ていて、元の話の方がいまや『ラピュタ』に似ている、パクリだ、などと言われる。

 ポケモンやドラクエがくだらないとは言わない。上述のように、ある意味では、いま大学でやっていることのコンパチ(同等物)だろう。だが、ニワカ仕立ての神話を著作物として商業ベースで広めて、その疑似宗教的な世界観を商品として世界に売って、それでこの国はやっていけるのだろうか。すでにイスラム圏では、その神学的な経済支配に気づいて、クールジャパンとやらに強い反発を示し始めている。

 そうでなくとも、国際文化としての『論語』も『対比列伝』も知らない国は、天皇制と武士道のカルト国家と大差ない。ほんの目先のカネ儲けのつもりで、自縄自縛に陥り、子供も大人も、コスプレのごとく、その捏造独善神話に甘んじ、自分の本当の歴史、世界の共通の文化を忘れていれば、絶海の孤島の未開民族として、いつか自分たち自身のことを忘れ、世界からも忘れ去られるのではないだろうか。

 それにしても、いまの大学、文系の大学は、文化創造力としても、経済的訴求力としても、あまりに無力だ。しかし、無力だから、いらない、というのは、短絡的すぎないだろうか。昨今のサブカルは、結局のところ、古典のパクリの寄せ集め。エヴァなんか、その典型だろう。基礎文化が衰え、粗雑で派手な、その商業コピーばかり作っていると、その本当の源泉が枯れ果ててしまう。国家戦略としてクールジャパンを言うのであれば、その最終アウトプットに追い銭をかますよりも、その源泉にこそカネをかけるべきなんじゃないだろうか。もっとも、いまみたいなカルト的古典ファンの寄せ集めの文系大学じゃなぁ。。。

by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士



(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。)

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