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都会で積んだ経験を故郷で活かす「地方創生Uターン」のススメ/小槻 博文

INSIGHT NOW! / 2014年11月11日 17時41分

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小槻博文 / 合同会社VentunicatioN

最近では都会で身につけた経験やスキルを地元の活性化に役立てようとUターンしたり、東京と故郷にて二拠点展開したりする人材が現れ始めている。

そこで今回は「地方創生のススメ」(http://www.pr-startup.com/?cat=20)にて取材してきた地域活性の取り組みの中から、そんな「地方創生Uターン」した5人の若者を紹介する。



高度経済成長期以降、地方から都会へ人口流出が加速した結果、現在では都会は過密化、地方は過疎化と両極端の課題に直面している。

政府では「地方創生本部」を立ち上げて、東京一極集中の解消、そして地域振興を進めようとしているが、そのとき国はあくまでサポート役に徹し、その地域を最も知り、そして最も愛する人間が主体者となって地域地域にあわせながら取り組まなくては、絵にかいた餅で終わってしまいかねないだろう。

そうしたなかで、従来は一度都会へ出てきたらそのまま定住してしまうケースがほとんどだったが、先日のダイヤモンド・オンライン(http://diamond.jp/articles/-/60145?page=3)での取材でも回答させてもらったが、最近では都会で身につけた経験やスキルを地元の活性化に役立てようとUターンしたり、東京と故郷にて二拠点展開したりする人材が現れ始めている。

そこで今回は「地方創生のススメ」(http://www.pr-startup.com/?cat=20)にて取材してきた地域活性の取り組みの中から、そんな「地方創生Uターン」した5人の若者を紹介する。

===故郷の強みを取り戻すべく(トラ男プロジェクト・武田昌大氏 / 秋田県北秋田市)===

トラ男プロジェクトのプロデューサーを務める武田昌大氏。彼は秋田県北秋田市で生まれ育ったが、小さい頃は秋田が正直嫌いで、早く田舎を離れたいと思いながら過ごしていたそうだ。そして大学進学で大阪へ、その後大学院進学をきっかけに東京に上京した。



(画像)トラ男プロデューサー・武田昌大氏(左)

昼間はモバイルコンテンツ会社やWEB制作会社などで働きながら夜間制の大学院に通い、その後ゲーム会社に転職してゲームプランナーを目指していたが、2010年正月に帰省したのが大きな転機となった。

高速バスで地元の町に降り立つと、都会とは180度異なる、まったく何もない風景に衝撃を受けた。嫌いで出たはずの故郷だったが、その故郷が元気を失っている。そのことに焦燥感を覚えた。そこで故郷のために何か出来ないだろうかと考えるようになり、色々調べていくうちに、秋田の強みは「農業」であることが分かった。

秋田県は田んぼの面積や米生産量は全国第3位、そして食料自給率は全国第2位とお米の一大産地だが、生産者は高齢化が進んでいて約7割が高齢者だ。今は何とかなっていても、この状態が続けば10年後、20年後にはお米を作る人たちがいなくなってしまう。そこで若手の農家を盛り上げるプロジェクトを立ち上げようと始めたのが「トラ男プロジェクト」だ。

「都会と地方の両方を知っている自分が双方の媒介役となるべく、東京を拠点にしながら月の3分の1は秋田へ赴くなど、現在は二拠点居住にて各種プロデュース業務を進めています。」(武田氏)

関連記事)武田氏インタビュー:秋田の若手米農家集団「トラ男」の挑戦 http://www.pr-startup.com/?p=3436

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===課題が山積する地方はビジネスチャンスの山(株式会社あわえ・吉田基晴氏 / 徳島県美波町)===

現在生まれ故郷の徳島県美波町を起点に地域活性に向けて取り組む株式会社あわえ代表の吉田基晴氏。大学進学を機に地元を離れて、2003年に東京でセキュリティ関連のベンチャー企業サイファー・テックの立ち上げに参画したが、2012年に同社のサテライトオフィスを故郷の美波町に作ったのが大きな転機となった。

サイファー・テックでは事業拡大に向けて東京で採用活動を進めていたが、知名度がないベンチャー企業には応募がほとんどなく頭を悩ませていた。そこで逆転の発想で、地方で働きたい人材を集めるべく、自然溢れる田舎町である美波町にサテライトオフィス「美波Lab」を設立。そして仕事とプライベートを両立させる生き方「半×半IT」を提唱したところ、首都圏からサーフィン好きのエンジニアが移住してきたり、地元出身の狩猟女子のエンジニアがUターンしてきたりするなど、人材採用が円滑に回るようになった。



(画像)あわえ代表・吉田基晴氏

一方で地域になじめばなじむほど、次第に地元の人たちも腹を割って話すようになり、色々と地域が抱える課題や悩みを聞くことも多くなっていった。そしてそんな声を聞くにつれて都会と地元の両方を知っている自分に出来ることは何だろうかと考えるようになり、最終的に地域活性を生業とする株式会社あわえを2013年6月に立ち上げた。

現在あわえでは「文化資産(コト)」「地域産業(カネ)」「地域コミュニティ(ヒト)」のそれぞれの地域資源を保護・振興し、そして継承していくための事業を展開している。例えば、古い写真を個人宅や行政から預かってデジタル化してアーカイブするとともに、ビューアーやタブレット等にて利活用出来るようにする「GOEN(ごえん)」を開発したり、都会のIT企業と連携して地元の高齢者ガイド団体向けにタブレットを活用した観光ガイドの仕組みを構築したりするほか、明治時代に建てられた銭湯跡を地域コミュニティへとリノベーションするなど、アナログとデジタルを上手く組み合わせながら、各種取り組みを進めている。

「課題を解決して対価をいただく、これがビジネスの基本です。その意味ではさまざまな課題が山積している地方は、都会以上にビジネスマインドを刺激するには最適な場所と言えます。都会と地方、両方を見てきた人間だからこその視点で、これら課題に一つひとつ挑んでいきたいと思います。」と吉田氏は語る。

関連記事)なぜ都会のスペシャリストたちが次々に過疎地で起業するのか? http://www.pr-startup.com/?p=3168

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===100年後も豊かな暮らしが出来る街づくりに向けて(NPO法人atamista・市来広一郎氏 / 静岡県熱海市)===

高度経済成長期には日本有数の温泉街として栄えた熱海。しかしバブル崩壊以降の1990年代半ばから後半にかけて、客足は次第に遠のき、その結果ホテルや旅館はどんどん潰れ、企業の保養所も撤退していった。

その後2000年代に入ると撤退した物件の跡地に次々にマンションが立ち並ぶようになるが、「正直熱海が東京と変わらない町になっていってしまうのではないかと危機感を覚えるようになった」と現在熱海の地域活性に取り組むatamista代表理事の市来広一郎氏は当時を振り返る。

1990年代の衰退期を高校生として目の当たりにしていた市来氏は、大学進学を機に上京し、その後東京の企業に就職したが、「情緒と活気の両方を取り戻し、そして未来へきちんとつなげていきたい」という想いを胸に2007年に地元・熱海へ戻り、そして翌年NPO法人atamistaを立ち上げた。



(画像)NPO法人atamista 代表理事 市来広一郎氏

atamistaでは「100年後も豊かな暮らしが出来る街づくり」をビジョンに熱海市の街づくりに取り組んでいる。さもすると“熱海=観光”ということになってしまいがちだが、短期的な視点ではなくあくまで持続可能な街にすることが重要であると考え、 “地域”“経済”“環境”の3つの側面から熱海を再生させるべく各種活動を進めていきたいとしている。

関連記事)市来氏インタビュー:100年後も豊かな暮らしが出来るまちづくりに向けて http://www.pr-startup.com/?p=2833

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===地方と都会をつなぐ“回路”を!(NPO法人東北開墾・高橋博之氏 / 岩手県花巻市)===

食材付きの情報誌「食べる通信」を発起したNPO法人東北開墾代表理事の高橋博之氏は、大学入学を機に一度は地元・岩手を離れて東京へ出たが、30歳の頃に地元に戻り、岩手県議会議員を2期務めて、2011年の県知事選挙に立候補するも次点で落選。その後NPO法人東北開墾を立ち上げた。

「傍観者として、外から政治がどう、役所がどう、何々がどうなどと批判しているだけでは何も変わりません。自らが主体者になって初めて物事は変わるのです。」(高橋氏)





(画像)東北開墾 代表理事・高橋博之氏(右)

そんな想いから「食」の世界へと軸足を移した後も、「食」を通じて受動的な消費者から主体的な消費者へと変わるきっかけをつくりながら地方と都会とをつなぐべく、生産者の想いを取材した情報誌とその収穫物とが一緒になった「東北食べる通信」を立ち上げるとともに、このモデルを全国に広めるべく日々奔走している。

関連記事)高橋氏インタビュー:地方と都会をつなぐ“回路”づくり http://www.pr-startup.com/?p=3357

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===故郷を舞台に新しいライフスタイルを発信(株式会社459・真鍋邦大氏 / 香川県高松市)===

四国や瀬戸内海の島々の地域おこしに奮闘する株式会社459。同社代表の真鍋邦大氏は生まれも育ちも高松だが、大学進学をきっかけに上京し、卒業後はそのまま東京に残って外資系金融機関に就職した。新卒当時は地域おこしどころか、地元に戻る気も全くなかったと言うが、転機は2008年だった。

当時からメディアでは地方はダメだ、地方は疲弊しているなどと散々言われており、東京にいる頃は真鍋氏もそれを疑わなかった。しかし半年ほど米国に滞在することになり、渡米までの間東京の家を引き払って1か月ほど実家で過ごすうちに、よほど東京より地方のほうが元気なことに気づく。



(画像)株式会社459 代表 真鍋邦大氏

「東京では毎日通勤に何時間も費やし、満員電車に詰め込まれ、表情もしかめっ面ばかり。マクロで見れば確かに地方は疲弊しているかも知れませんが、一人ひとりを見てみれば東京の人たちのほうがよほど疲弊していると、そのとき思ったのです。」(真鍋氏)

一方地方の人たちは日常が当たり前になっていて、地元の良さに気付いていない。ならば都会と田舎の両方を知る自分が地域の良いところを発信することで、地域の人たちがその土地に誇りを持てるようなことを出来ないだろうかと考えたのがそもそもの始まりだった。

とは言えすぐに行動に移したわけではなかった。予定通り渡米し、帰国してからもしばらくは東京で働いていたが、間もなくして東日本大震災が発生した。

「東日本大震災は太平洋戦争以来の有事といっても過言ではなく、そのとき私は震災を境にパラダイムシフトが起きると直感しました。パラダイムシフトにはさまざまな定義があると思いますが、私は『優先順位の変更』であると考えており、従来の“貨幣”から“安全・安心”に対する価値観へと優先順位が変更していくに違いないと思ったのです。」(同)

確かにすぐに行動に移せる人は少ないかもしれない。しかし例えば子どもが就学したタイミングだとか定年退職のタイミングで移住を検討するなど、数年から十数年の単位で見た時には必ず地方志向が高まると真鍋氏は考えた。

そのようななかで課題先進地域とも言われる、自分が生まれ育った四国を舞台に新しいライフスタイルやビジネススタイルを発信していこうと考えて、株式会社459を設立するに至った。

関連記事)真鍋氏インタビュー:“載る”でも“つくる”でもなく“自らメディアになる”! http://www.pr-startup.com/?p=3097

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===まとめ-奪い合うのではなくシェアするという考え方===

地元には仕事がないなどの理由で地方から都会へ出てくる若者が後を絶たない。今回紹介した事例の一つである美波町は筆者もプロボノとして関与しているが、帰省中の若者に聞くとやはり「地元に残りたくても仕事がない」という答えが返ってくる。

しかしこの状況が続く限り地元に仕事が再び生まれることはなく、地方は縮小を続け、やがては消滅してしまうことになる。そして地方が消滅してしまうということは、都会への人材流入も止まることを意味し、地方に続いてやがては都会、そして国全体が衰退していくことになりかねないのだ。

ではどうすれば良いのか?その一つが「地方に仕事をつくる」ことだろう。しかし口で言うのはたやすいが、いざ実行するとなるとそれなりの経験やノウハウが必要になる。そうしたなかで、例えば20代は都会で働き、働き盛りの30~40歳前後のタイミングで故郷に戻り、その経験やノウハウを活かしてビジネスを始める、そんなスタイルも一つではなかろうか。

そして地域でビジネスを始める若者が増えれば、次の世代にとっての受け皿になり「仕事がないから」という理由で故郷を離れることが解消されるとともに、仮に一度は故郷を離れようとも、都会で経験やスキルを身につけて再び故郷に戻る、つまり都会が“留学先”となることによって、旧来の「地方からの人材流入→生涯定住→人口過多」という東京一極集中の構造も解消されるのではないかと考える。

今回紹介した5名は必ずしも初めからUターンするつもりだったわけでは無いが、これからの時代は、故郷で経験を活かすことを前提に東京に留学する、そんな戦略的なUターンも選択肢として考えられるだろう。

全体のパイが減っていく中で、都会と地方が二極対立して人材を奪い合っていても仕方がない。そうではなく、それぞれの特性・役割を踏まえながら両者で“シェア”することで、都会も地方も健全化していくことを期待してやまない。

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