売りつけたくない君へ(5)/「上司を連れてこい」って言われたんです。/伊藤 達夫
INSIGHT NOW! / 2015年8月31日 7時30分
伊藤 達夫 / THOUGHT&INSIGHT株式会社
南大沢のミートレアでタピオカ入りシークワサーを飲んでから2週間後。ミュージカルを見てから3ヵ月半後。
報告会を終えて、大手町の寿司屋で放心状態になっていた。クライアントが入っているビルから少し離れたサンケイビルの地下。時計は16時を指していた。心地のよい疲れではある。バリューがあったと自分で思ってはいけないが、なんとか最低限のレベルの報告ができたと思う。いつものことだが、報告会が終わると何もする気にならない。遅めのランチを食べ終わった寿司屋のテーブルでひたすらに虚空を眺めていた。
すると、ポケットの携帯電話が震えるのを感じた。誰だろう。あまりとる気がしないが、なかなか切れない。ずっと震え続けている。しつこい。ろくな話ができる気がしないが、仕方なしに電話を取った。
「先生、やばいです!」という切迫した声が聞こえた。
誰かはわかるが名乗れよ・・・。
「何・・・、どうしたの・・・。」
とりあえず、聞いてみる。やばいというから、やばいんだろう・・・。今度は何をやらかしたんだ・・・。
「怒っちゃいました。」
おいおい。クレーム発生か?
「お客さんを怒らせちゃったの?」
「違います。」
良かった。お客さんを怒らせるのは、いい経験とも言えるが、クレームが会社に入ることもある。それで飛ばされたりすることもある。けっこうまずい。
「何があったの?」
「私が怒っちゃったんです。」
「なんだって?」
「私がお客さんに怒っちゃって、帰ってきちゃいました。」
「お客さんに怒ったの?あなたが?」
思わず大きな声になってしまい、店内を見回す。中途半端な時間だからか、お客さんは少ない。良かった。いや、良くない・・・。意味がわからない。なぜお前が怒る。営業は決して怒ってはならない。感情を荒げてはならない。
「はい。」
「もっとやばいだろ・・・。」
「やっぱり、やばいですかね?」
「ああ、ちゃんと上司に報告しろ。それで謝る必要があれば、謝りに行け。」
「また会ってくれますかね?」
「いや、会ってはくれないだろうけど、電話でもいいから謝れ。上司に相談して対応を考えろ。」
「でも、聞いてください。」
「何を?」
「経緯です。」
「はあ。いいけど、長い?」
「長電話は嫌ですよね。先生はどこにいます?」
「大手町だけど・・・。」
なんか嫌な予感だ。長電話は確かに嫌なのだが・・・。今、人に会うのはもっと嫌だ・・・。
「じゃあ、大手町に行きます。」
予想通りだ・・・。でも、仕方がない。今日はもう予定はない。疲れ切っているだけだ。
「そう・・・。まあ、いいよ。じゃあ、オアゾとかにしようか・・・。」
オアゾの目が飛び出るほどに高いイタリアンカフェレストラン。食事スペースは奥まったところにあるので、目立たない。こんな店を使うのは出張に来ている中国人か、大手町界隈にいる外資系のバブリーな人だけだ。耳に入ってくるのは、英語か中国語ぐらい。日本人の我々が浮いているぐらいだ。
メニューを見て、目が飛び出るぐらいに高いパニーニを注文する。さすがにびびったのか、彼女が言う。
「先生はいつもこんなに高いものばかり食べているんですか?」
「食べてないよ。高くてもせいぜい1000円ぐらいのランチだよ。ここは知っている人が誰も来ないから選んでいるの。知っている人に見られたくないんだよ。ここまで高いと普通のビジネスマンは来ないでしょ。」
「へー。そんなもんですか。」
「そんなもんだよ。あなたも契約が取れて、お客さんが増えてきたら分かるよ。」
「はい。で、今日は怒っちゃったんです。」
「聞いたよ。で、なんで?なんであなたが怒るの?」
「はい。ちゃんと、お客さんの要望を確認してから、提案を出したんです。それで、お客さんがそれを一通り見てから、『わかりました。次回は上司の方を呼んでいただけますか?』って言うんです。」
「それで?」
「それで、『それはどういったことでしょう?』って聞いたんです。そしたら、『私とあなたでは決済できないからです。』と言われて。」
「それで?」
「『それはどういう意味でしょう?』って聞いたんです。そうしたら、『言葉通りの意味ですが、何か?』って言うんです。」
「それで?」
「『それで』って、ひどいじゃないですか。私じゃ決済できないってことですよね?『それは失礼じゃないですか?』って言ったんです。」
「はー・・・・・・・・。」
思わずため息をついた。すごく嫌な感じがするため息になった。しかし、こいつは本当に阿呆か・・・。
「なんでため息なんですか?私がバカにされたんですよ!」
「されてねーよ・・・。あーあ。インセンティブがもらえるはずだったのに・・・。」
「え?」
「次のミーティングをセッティングしたら、契約できるはずだったって言っているんだよ。」
「うそ?」
「本当だ・・・。本当にバカだな・・・。」
「マジですか?」
「ええ、マジですよ。マジにマジに大マジですよ。あーあ。初めて契約が取れるところだったのに。本当に面倒くさい。俺さ、徹夜で疲れているの。更に疲れさせるようなネタを持ってくるなよ・・・。」
「なんで契約できたってわかるんですか?」
「わかるよ。当たり前だ。相手は自分の上司も次は出すって言っているんだろ。自分の上司を出す時には、相手にも上司を出してもらわないと釣り合わないでしょ?わかんない?」
「でも、なんで上司を出すんですか?」
「承認してもらうためだよ。この商品を買いますね。いいですか?と上司も同席させて、確認するんだよ。それで契約実務に移る。上司が難色を示す場合もあるけど、担当者が実力があるなら、上司はそのままスルーする場合もある。聞いた感じだと、理詰めで話すタイプに聞こえるから、無駄なこと嫌いそうじゃん。きっと、上司はOKしてくれてそのまま契約って流れだっただろうね。」
「えー。」
「それに、君のところの上司も伊達に営業マネジャーをやってないから、クロージングは得意だろう。君が事情を話して同行してくださいと言えば喜んで同行してくれるはずだったろうね。なんせ、3年契約がとれなかったやつが『クローズできそうなんで同行してください』なんて言ってくるんだから。俺が上司だったら涙が止まらないぜ。『よくぞここまで頑張った!』って寿司でもおごってもらえるかもしれなかった。」
「えー!!!本当ですか!」
「そうだよ・・。前に話したと思うけど、『5人の顧客』のモデルで言うと、このお客さんは2%ぐらいいる『絶対買うお客さん』だ。絶対落としちゃいけなかった。」
「5人の顧客ですか?」
「あれ、話してなかったっけ?」
「聞いてないと思います・・・。」
話してなかったか・・・。基本中の基本だから、本当は初めに話しておかないといけない。俺が悪いな・・・。
「そうか。じゃあ、説明するとね、アポが取れたとして、お客さんは5種類いると思ったほうがいい。」
「5種類ですか・・・。」
「うん。5種類だ。絶対買うつもりのお客さん、前向きに買うつもりのお客さん、悩んでいるお客さん、あまり買うつもりのないお客さん、絶対買うつもりのないお客さんの5種類だ。」
「アポが取れてもですか?」
「ああ、そうだ。アポが取れても、買うつもりのない人はいる。だからアポが取れても全部契約できるわけがない。」
「なるほど。だから私は取れないんですかね。」
「さあ・・・。」
「冷たいですね。」
「いや、取れない理由は、このモデルで考えると、絶対買うつもりのお客さんに出会った時に、彼らの買う気を見事に削いでいるってことだよ。」
「私のせいなんですね。」
「だって、契約しようとしている人に怒ったら取れるわけないだろ。」
「・・・。はい・・・。」
「まあ、仕方ない。参考までに割合を言うと、迷っているお客さんが大体68%ぐらいいると思っていい。」
「半端ですね。68%ですか。」
「ああ、正規分布の1σが大体68%ぐらいなんだよ。買う関心でお客さんを並べると正規分布すると仮定するんだ。厳密には自分の会社にうまく当てはまるように考えるんだけど、目安になる数字がないなら、そのまま使っていいと思う。」
「せいきぶんぷ?いちしぐま?」
「まあいいや。その辺は統計とか知らないなら深く考えなくていい。迷っている人が68%。前向きに迷っている人が34%、後ろ向きに迷っている人が34%と考えればいい。」
「じゃあ、その迷っている人を取れればいいんですね。」
「いや、迷っている人の『背中押し』ができたらスーパー営業マンだ。君はまだできる必要はない。」
「そうなんですか?じゃあ、何ができればいいんですか?」
「まずは、2%程度いると思われる絶対買う気のお客さんの買う気を削がないこと。アポ後の契約率が2%を切っていたら、要注意だ。よっぽどのマイナスを与えている。」
「私は今は0%です・・・。」
「まあ、いいじゃない。これからだよ。それでね、この考え方だと絶対買うつもりのお客さんと、前向きに買うつもりのお客さんで、大体16%ぐらいいる。アポ後の契約率が1割から2割が普通の営業マンだと思うよ。1日2つ、3つのアポが取れるとしよう。月に10日アポを取るとして、20件~30件もアポが取れる。そうすると、取れている人は月に2,3件取れるんじゃない?」
「確かにそれぐらいな気がします。」
「だったら、彼らに追いつくには『背中押し』を習得するよりも、相手の買う気を削がないことにフォーカスすればいいと思うよ。」
「具体的にどうすればいいんですか?」
「いや、今の方向性で。怒らなければいいんじゃない?」
「・・・。すいません。」彼女は珍しく恐縮した顔をした。
彼女はコロコロと表情が変わる。面白いが、反省してもらわないと困る。トントン拍子に来ているからいい薬になる。しばらくこのネタで苛めるかな・・・。
「まあ、仕方ない。上司にこの件の相談をして事後処理をして、次に行け。次だ。」
彼女を見ると、涙を浮かべていた。鼻をすすっている。悔しいんだろうな。なんせ、3年だからな。悔しがることは悪いことじゃない・・・。
「私のお寿司・・・。」
・・・。そこか・・・。いや、悔しがるのはそこではないのだが・・・。彼女はさらに涙を流して顔をくしゃくしゃにして言う。
「私のインセンティブ・・・。」
・・・。そこか・・・。いや、悔しがるのはそこでもない・・・。彼女は鼻水をダラダラに流しながらさらに言う。
「私の台湾旅行。」
・・・。それもどうでもいい・・・。
「これから契約してくれたりしませんかね?」
彼女ははっとしたように言った。それは無理だろ・・・。
「わからん。お前の怒り方と相手にもよるけど、そんな上司を引き合わせる段取りもできないような営業マンはごめんだね。そんな営業マンに仕事を任せるのは危なっかしくてしょうがない。俺だったら絶対出入り禁止にする。」
「ふえー。」
面倒だな・・・。
「ただね、3年間、契約が取れなかったあなたがここまでできたんだ。それはそれで良かったじゃない?」
「・・・。はい・・・。」
「ただ、今回のことで、信用を失うのは一瞬だって分かったでしょ。お客さんは信用できる営業マンと仕事がしたいの。安心して任せられる人に仕事はお願いしたいもんなの。意味不明に怒り出す営業マンに頼みたいなんて誰も思わないでしょ?」
「はい・・・。」
「上司が来ないと契約できないうちは半人前だけど、半人前でも契約できればいいじゃん。上司はうまく使うんだよ。スーパークローザーなんだからさ。『あなたじゃ不安です』と思われても仕方がないうちは仕方がないよ。でも、必死でやっているうちに、安心感のある営業マンになるさ。きっとなる。」
「・・・。そうですよね。なりますよね!」彼女の顔がぱっと明るくなった。
立ち直りが早い・・・。もうちょっとショックを受けても構わないような気がするが、アポが取れるようになってきて、提案もできるようになってきた。この勢いをなくしてしまいたくない。
「早く会社に帰って、上司に今回のいきさつを報告しなさい。そして、謝りに行く必要があれば誤ってきなさい。」
「はい・・・。」
「早く行け。俺はもう少しゆっくりしていくから。」
「わかりました。上司に報告して参ります。」
そういうと彼女は立ち上がって、勢いよく店を出て行った。はー・・・。しんどい。報告会が終わっただから、あまり長くしゃべるとイライラしてきそうで切り上げたのが本音ではあるが・・・。まあ、早く立ち直ってくれて良かった・・・。
行きつけのマッサージ屋さんに行って寝ることにしよう。予想外の稼働が入ったからよく眠れそうだ・・・。本当に・・・。
解説:
もう一歩のところで契約を逃してしまいましたね。残念でした。『5人のお客さんモデル』で行くと、このお客さんは絶対買うお客さんに分類されるわけです。絶対に買うお客さんは、今後の進め方の手配などもしっかりしてくれます。通常、キーパーソンへの説明などは営業マンから確認しないといけませんが、この担当者の場合は、自分から設定すると言ってくれているわけです。有難いことですが、勘違いした彼女は自分から契約の機会をつぶしてしまいました。
この5人の顧客モデルはいろいろな意味で重要です。
例えば、スーパーな営業マンが契約率を上げ過ぎると、結局、クレーム発生率、解約率が上がってきます。そうすると、労力をクレームの防止にあてなくてはいけなくなり、新しい契約を取る仕事ができなくなってくることがあります。
適切な契約率というものがあります。クレーム発生率は常に注視して、クローズしすぎていないかを常に確認する必要があります。
ただ、ここまで高度なことは初期には悩む必要すらありません。取れないからですね。
取れない場合は、まずは2%、できれば16%のクローズ率を目指して、アポが取れたお客さんをクローズに行きましょう。一定数絶対買わないお客さんがいるという認識は非常に重要です。この認識があると、1つ1つのアポにしがみつかなくなります。しがみつけばつくほど、相手は圧力を感じて逃げていくことでしょう。
統計などを知らなくても、アポ後の営業マンの成約率を見ると、3つに分かれることが多いです。最下層のほとんど取れない営業マン。普通に取れる営業マン。スーパーに取れる営業マン。別の言い方をすれば、ほぼ買う気の16%お客さんの買う気すら削ぐ営業マン。お客さんの買う気は削がないでいられる営業マン。迷っているお客さんの背中押しまでできる営業マンですね。
少し脱線しますが、この数字と正規分布をうまく組み合わせるとどれぐらい取りこぼしをしているか?などの数字も推測可能ではありますが、細かくなるので、深追いはしません。
ただ、もしも営業改善をするなら、最下層から手を付けるのが楽です。迷っているお客さんの『背中押し』はけっこう難しいですし、クレームにもつながる可能性があるので、そこにフォーカスするよりは買う気を削がない営業を徹底するほうが、全体の契約率は上がって行きます。
話を元に戻しましょう。
もしも、営業マンとしてアポが取れるレベルになっているのなら、アポの1つ1つのしがみつく必要はありません。冷静にお客さんを見極めて、お客さんが必要とする商品を聞きだし、それに近いものを提示する。それで売れます。焦る気持ちはわかりますが、焦らないで下さい。
深追いすると、怪しさが満ち満ちてくるし、別の商品のご案内に来られなくなってしまいます。せっかく連絡先を手に入れて、ヒアリングまでできた。お客さんの状況がわかるようになっているわけです。
もし、多くの商品が次々に出てくるような会社で営業をしているのなら、次の商品が出た時、こういうお客さんにいいとピンと来ることがあるでしょう。深追いするとその次の機会すらつぶしてしまいます。単品しか売っていない会社なら、もう来れなくなっても構わないかもしれませんが、たいていの会社は新しい商品がけっこう出てくるものです。だから、次の機会を待って、深追いはしない。このスタンスでいいのです。
例によって、今回のお話をまとめましょう。
・お客さんは必要なものを買う。
・アポが取れたからと言って、全員が買うつもりではない。半分は前向きでも半分は後ろ向きであり、絶対買うつもりのないお客さんもいる。
・アポが取れたら、まずは2%、できれば16%のクローズ率を目指す。
・自分が穴を掘って埋まらない限り、自分からお客さんの買う気を削がない限り、そこは取れるはずである。
・絶対買うつもりがないお客さんもいるのだから、相手があまり前向きでなかったら深追いはしない。お客さんが引き気味だったら、無理をせず、次の機会を待つつもりで。
といったところです。
彼女は今回はもう少しでとれそうだったんですけどね。残念でした。でも、もう少しで取れそうな感じですね。
さて、次はどんな関門が待っているでしょう?先生はどんな理不尽な目に遭わされるのでしょうか?次のストーリーをお楽しみに。
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