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売りつけたくない君へ(9)/契約できると思ったら・・・。/伊藤 達夫

INSIGHT NOW! / 2015年10月26日 14時58分


        売りつけたくない君へ(9)/契約できると思ったら・・・。/伊藤 達夫

伊藤 達夫 / THOUGHT&INSIGHT株式会社

 彼女と渋谷で蕎麦を食べてから2週間後。ミュージカルを見てから5か月半後。0時を回っていただろうか。

 寝ようと思ってアイフォンを確認するとLINEで彼女からのメッセージが入っていた。メッセージには『契約が取れました』とある。コニーが妙にピュアな目をしているスタンプが送られてきた。そして、『お祝いしてください』とあった。

 遂に取れたか・・・。良かった。

 『何が食べたい?』と送ると『北京ダック!』というメッセージとスタンプが送られてきたので、新宿御苑の中華料理店を予約することにした。少し高いがまあいい。こんなことも滅多にない。祝い事など久しくしていない。悪い気分ではない。

 更に二週間後、金曜日の夜。つまり、ミュージカルを見てから半年後。新宿御苑。北京ダックが安くてうまいと評判の店にやってきた。

 不思議なことに彼女は新宿御苑の駅で会ってからほとんど口を開かない。いつもは陽気で、契約が取れたとなればなおさら陽気になってもいいようなものなのだが・・・。北京ダックが運ばれてきても、コックさんがいろいろと解説しながら、北京ダックをくるんでくれても、いつものような無邪気な反応をしない。どうしたのだろう?

「どうした?元気がないな。契約が取れたんじゃないのか。」

「取れました・・・。」

 北京ダックのつつみをもぞもぞと食べながら彼女は言った。

 やはりおかしい。なぜこんなに元気がないのだ?

「取れたけど何かしらあったの?」

「ありました・・・。」

「で?」と聞いても彼女はしばらく黙っていた。うつむき気味にぼそぼそとつぶやいている・・・。

 なんかやばいな・・・。

「いいじゃないか。インセンティブを貰えたんだろ?」

「・・・。貰えないことになりました・・・。」

 これか・・・。手柄を横取りされたのか?でも、そこまで露骨なことはなかなかしないもんだが・・・。大企業だろ、一応・・・。

「なんで?」

「・・・。異動になりました・・・。」

「は?」

 契約が取れたのに異動なのか?不自然だが、そういうこともあるのか?

「異動です。営業じゃなくなりました。昨日からもう別のフロアです。開通作業は引き継いだ人とやっていて、その人がインセンティブをもらいます。3件分引き継ぎました。3件分のインセンティブが消えました・・・。」

「そ、そう。で、どこに異動になったの?」

「営業企画です。新しい営業のやり方の標準化を担当することになりました。誰もやっていないからゼロから始めるそうです。というか、担当者は私だけです。」

「そうなんだ・・・。」

 かける言葉がみつからない・・・。が、仕方ない。これもサラリーマンの宿命ではある。だからあれだけ上司とうまくやれと言ったのに・・・。だが、上司の方針と違うことをやるのだから、これぐらいのことは覚悟しないといけなかったか・・・。『上司とうまくやりつついろいろ試してみる』といった教え方をしなかった俺が悪い面もある・・・。だが、ちょっと露骨すぎるな・・・。後味は悪いだろう・・・。上司も彼女も・・・。

「・・・。先生が悪いんです。先生のせいです!」

「すまん。俺のせいだな。確かにそうだ。」

「はい。先生のやり方を試して契約が取れかかったところで、上司に呼びだされて『営業企画の方が君は向いていると思う』って言われました!」

「そう・・・。」

「そうですよ!『できない営業マンのために新しいやり方を試行錯誤して見つけ出してほしい』って言われました。これって、嫌がらせですよ!上司の方針を無視して先生のやり方を試したせいです!」

「まあ、確かに。」

「私のインセンティブをどうしてくれるんですか!」

「そうか・・・。残念だったな・・・。」

「台湾旅行に行けないじゃないですか!」

「そうか。本が出たらそれぐらい出してやるよ。」

「へ?本当ですか?」

 ・・・。

 ん?急に態度が変わったぞ。表情は明らかに明るくなり、目が大きくなっている。ここまで顔に出るとわかりやすいな・・・。

「別に台湾なんて10万ぐらいあれば足りるだろ。それぐらいなら初版の印税でおつりがくるから、旅券とホテルの手配ぐらいしてやるよ。」

「えー。本当ですか?」

 現金なやつだ。元気がなさそうではあるが、少し嬉しそうにしている・・・。

「なんで嘘をつくんだよ。出版社への営業はこれからだから、本が出るか出ないかはわからんよ。わからんけど、本が出るなら初版の印税で台湾旅行の旅券ぐらい手配してやる。」

「うれしいです。海外なんて久しく行ってないです。」

 空元気っぽい感じもしたが、前向きな感じに戻って来た。いつもの彼女に近い感じだ。

「台湾だからな。海外って言っても相当近いだろ・・・。」

「でも、うれしいです。うれしいついでに少し聞いてもいいですか?」

「ん?なに?」

 少しずるい感じがするというか企んでいる感じの表情になった。要求がエスカレートするのかな・・・。しかし、人間の表情というのは本当に豊かなもんだな・・・。彼女を見ているとそういう当たり前のことを思い出す。

「月曜日の朝に、営業企画チームの前で、その『新しい営業方法』の考え方をプレゼンしないといけないんです。でも、まだ全くできていません。土日で作らないといけないんです。ぜひ、いろいろと教えていただきたく!」

 おいおい・・・。自分で考えるようになったんじゃなかったのか・・・。

「全くできてないの?」

「はい。インセンティブのことをずっと考えていたのでそれどころじゃなかったんです。一日中モニター眺めてボーっとしていました!でも、少しやる気が出てきました。」

「そう・・・。」

 気持ちはわかる。自分がとった契約のはずなのに、引き継いだやつが契約とか、俺だったら上司の胸ぐらをつかむぐらいはやっているだろう・・・。いや、多分殴っているな・・・。

 でも、立て続けに3件も取れたんだったら、これから入れ食い状態で取れただろうに・・・。それでも異動させたかったのだろう・・・。上司の方針を無視して新しい方法を試してうまくいっているやつがいたら、プライドに関わる。夜中まで残業も出さずに提案書を作らせている自分がマネジャーとして無能ですと言っているようなものだ。その気持ちもわからないではない。おそらく上の方針に従っているだけだ。サラリーマンとしては正しい。ベンチャースピリットに満ち満ちた会社のはずではあるが、実態としてはそんなもんだろう。

 そういう反応を読めなかった俺の責任か・・・。10万円は痛いが、それは必要経費だと考えよう・・・。さすがにインセンティブが全くもらえないで異動というのも可哀そうだ。そして、その責任の一端は俺にある・・・。

 考え込んでいると、彼女は言った。

「売れない営業マンを売れるようにするのって、よく考えてみたら面白いですよね。私みたいに売れないのをお客さんのコントロールができないせいだと思い込んでいる人はたくさんいると思うんです。売れる人はずるいことをやっていると決めつけていたり。だから、そういうことじゃなくて、ちゃんとお客さんに必要とされる商品を提示して、ご判断頂くっていう考え方で全てを組み上げていくように指導して売れるようになったら面白いじゃないですか。」

 確かに、前向きに捉えればそうなる。しかし、現場のマネジャーの抵抗を受けない形でやるのは難しいぞ。大丈夫かな・・・。黙っていると、彼女は続けた。

「開通業務って嬉しかったですよ。この3年で本当に一番うれしかったです。契約して頂いて。お客さんに『ありがとう』って言われたんです。初めてです。涙が出そうになりました。もし、お客さんをコントロールして契約を取ったと思っていたら、『ありがとう』に素直に喜べなかったと思うんです。必要として頂いているお客さんを探し出して、ご契約いただく。営業マンはお客さんに商品をお届けする立派な仕事をしているんだって思いました。」

 言いながら、彼女の目は潤んでいた。涙が出そうになったんじゃなくて、お客さんの前で泣いていたんだろう。お客さんが売ることに苦労したことがある人だったら、わかる感覚だろう。きっとこれからもかわいがられただろうに・・・。

「私、思うんです。うちみたいに商品がたくさんある会社だったら、それを待っているお客さんは必ずいる。そのマッチングみたいなものができれば、すごくたくさん『ありがとう』って言って頂けるんだって。私一人が売ったところでたかが知れていますが、これを10人の営業マンに教えられたら、10倍役立てるじゃないですか。インセンティブも10倍発生します。みんな喜ぶと思うんです。」

「そうか。ずいぶん前向きだな。」

 彼女はいたずらっぽく笑って言った。

「励ましてみました。」

「は?」

「先生を励ましてみました。なんか元気なさそうだから。」

 おいおい。ずいぶん成長したもんだな。あの表情の変化はそういうことか。

「先生はいつも余裕がありすぎて、何が起きても平気な感じなのに、今日は珍しく元気がなかったので。きっと、私がインセンティブをもらえなかったのが可哀そうだと思ったか、異動になったのを自分の責任だと思っているとか、そういうことだと思いました。事態を想定する、可能性を考えるってやつですよね。」

 思わず笑ってしまった。いつの間にか吸収している。そりゃあ、そうか。この半年で全く取れなかった営業マンが取れるようになったんだ。劇的に成長したに決まっている。

「そうか。俺が励まされてしまったか。うまく励ましたもんだな。」

「へへへ。偉いでしょう?」

 彼女は『えっへん』という文字でもバックにありそうな感じで腕を組んだ。コミカルだが、このコミカルさは確かに救われる感じだ。たいしたもんだ。

「ああ、相手をしっかり見て、事態を想定する。それができるなら営業マンとしては普通のレベルに達している。素晴らしい成長だよ。じゃあ、営業企画について解説しよう。」

「はい!」

 彼女はスイカジュースを飲みながら、手を挙げて返事をする。こういうシーンでこういうふうにできるのも、素晴らしい・・・。

「まず、営業企画としては、偉そうに命令しても現場は絶対に言うことを聞かないということを知るということが大事だ。企画は偉い、現場の営業マンは阿呆。そういう感覚でやると絶対にうまく行かない。」

「そんなふうに思えませんよ。絶対に。」

「そうだな。今のマインドでいるなら大丈夫だ。だが、営業支援系のシステムの多くは使われていない現実を考えると、注意しすぎてもしすぎることはない。現場でお客さんに断られて疲弊しているのはほかならぬ営業マンだし、会社に売り上げをもたらす最前線にいるのも営業マンだ。そういう前線で頑張っている人たちへの敬意を忘れないことが営業企画では一番大事だ。」

「わかりました。」

 彼女はかしこまって敬礼をした。前は違和感があったが、今見ると自然だ。これも成長なのだろうか・・・。

「そして、そのマインドから導かれる営業企画がすべきことは営業マンをサポートするということだ。命令してやらせることよりも、彼らがより売れるようにサポートすること。そして、サポートを必要としている営業マンとそうでない営業マンがいることもわかったほうがいい。全員をいきなり変えようとしても無理だ。そうすると、どこから手を付けるべきだと思う?」

「そうですね・・・。」

 彼女は少し考えるそぶりをした。これも自然になってきている。あんなに独りよがりで自分のことしか関心がなかった彼女が自然な立ち居振る舞いができるようになってきている。

「わかりました。私みたいに売れていない人から手を付けるべきですね。」

「その通りだ。そもそも全員にやれと言ったところで、売れている営業マンは営業企画や本部、本社の言うことなんて聞きやしない。インセンティブが自分に最大につくように行動するだけだ。自分のやり方で売れるなら絶対にそれを変えるわけがない。コンプラ上問題がないのなら放っておけばいい。彼らはインセンティブの設計に敏感に反応してくれる。問題なのは売れていない営業マンだ。そもそもインセンティブが貰えないことが当たり前になっていると、インセンティブに反応してくれない。別のサポートが必要だ。」

「確かにそうです。モチベーションの維持が大変でした。」

「俺が教えたやり方をまずはまとめろ。その上で、売れていない、問題になっている営業マンたちに研修などを実行することにすればいい。俺が教えたことからやるべきことは・・・、

・考え方の枠組みを「お客さんは必要なものを買う」に変えること

・アポは数が勝負だから、とにかく売れる商品にフォーカスしてトークを作ってアポを取る。必要なお客さんは興味を示すから、そうでないお客さんに時間を使わないことを第一義とする。

・粗利の金額から考えて、どれぐらいの手数をかけると赤字になってしまうのか?を算出する。その上で、ヒアリングのトークを整備する。

・ヒアリング結果を踏まえた提案書のフォーマットを作る。

・その上で、ロールプレイのマニュアルを整備して、ロープレ実施体制を整備する。マネジャーの協力が得られるかわからないので、営業企画側でロープレをできるようにしたほうがいい。場合によっては営業マン同士でロープレをさせるような研修時間を取る

・彼らの行動結果を追跡する。日報管理をすると、負荷が上がるだけだから、週報で構わない。週次で営業企画むけの報告を出させろ。

・その報告を見たうえで、結果が出そうなやつのサポートにフォーカスして、まずは成功事例を作れ。そうすれば他の売れない奴らがやる気になる。

・あと、全体における数字は把握しておく。アタック数、商談数、契約数、クレーム発生件数などの数字を把握して、コンバージョンをしっかり取る。

・その上で、売れていないメンバーの数字が施策によってどのように変化するかを見る。

 ・・・くらいかな。俺がお前の立場だったら、こんな手順でやると思う月曜の時点では、アポ取りのトークの中身とか、ヒアリングシートとか、そういうものは特に要らない。もしくはお前が使ったものがあるなら、それを流用して、こんなイメージですと資料に添付しろ。こういう考え方で営業マンのサポートをして、会社の売上増に貢献しますという企画書を書けばいい。数字の把握は必須だ。アタック数などの数字が取れていないなら、営業日報にそういうものを書く欄を作って書かせるようにする。ただ、これまでそういう数字を取っていないなら、書かせるのは一苦労だけどな。だが、企画書として書くなら大学のレポートと同じだ。PPTの資料にするだけならさして難しくないだろう?」

「はい。わかりました。」

「ずいぶんあっさりわかるな。メモを取らなくていいのか?」

「大丈夫です。録音していますから。」

「は?」

「先生と話す時はいつも全部録音しています。アイフォンの録音アプリっていい音質で録音できるんですよ。だから大丈夫です。」

 そう言って彼女はにっこりほほ笑んだ。おいおい。

「そ、そうか・・・。まあいい。」

「ふふふ。すごいでしょう?」

「いや、恐ろしいよ・・・。」

「参りましたか?」

「ああ、参ったよ。とっとと残りの料理を食べろ。そして早く帰って寝ろ。明日から2日間で企画書をまとめないといけないだろ。」

「はい!」

 彼女は元気に敬礼をした。

「あ、あと、最後に一番大事なことを言うぞ。」

「はい。」

「それは、営業マンが自分で考えながら行動するようになることを目指すということだ。『何も考えずに言われたことをやれ』と言われたところで、言われた通りにはできないものなんだ。考え抜いて言われていることに納得してようやくやれるようになる。お客さんと同様に彼らもコントロールできるものではない。彼らが営業企画のサポート施策が必要であれば使うし、必要でなければ使わないんだ。当然のことながら、会社には業務命令をする側、される側が存在している。でなければ組織は成り立たない。しかし、必要でないものを無理に使えといって使わせることは至難の業だ。そのために考え抜くのがあなたの仕事。わかった?」

「わかりました。でも、先生みたいに頬をブルドックみたいにひっつかみながらはできないですよね?」

「まあ、そうだな。やり方はあなたのキャラに合ったやり方でいいよ。『診断書で異動したいの?』って脅してもいい。」

「別の方法を考えます。脅すのは好きじゃありません。」

 彼女は店員が運んできたコーヒーをすすりながら言った。

「そう。じゃあ、1つだけダメな営業マン数十名をなんとかした都市伝説を教えてあげよう。」

「都市伝説なんですか?」

「ああ。そうだ。都市伝説だ。とある販売会社がカネがなくなってきて、リストラをしなくてはいけなくなった。大企業のように希望退職を募るわけにもいかない。どうしよう?となった。

そこで経営者は一計を案じた。『北海道特別開拓部隊』と称して、リストラ候補の営業マンを集めて、北海道の研修所で研修合宿をした。『あなたたちは選ばれた方々です!』から始まった研修で、とにかく北海道のお客さんを開拓するのがミッションになった。全国各地から集められた営業マンで北海道のことは何も知らない。強制的に北海道勤務にさせられて、研修所に住まわされた。そして、来る日も来る日も監視の下でアポを取り、研修を受け、商談をするというスケジュールだった。

あまりの厳しさに辞める者もそれなりにいた。それは狙い通りだったんだ。だが、数か月した時、北海道の責任者が東京にいる経営者に会いに行った。その筋の人ばりに恐ろしいことで有名な営業マネジャーだった。

彼は経営者に言ったんだ。『やつらは確かに売れません。でも、今、必死で頑張っています。本当に頑張っているやつもいます。私が彼らの面倒を見ます。半年頑張れたやつらは普通に北海道勤務にして、普通の営業活動をやらせる形にしてくれませんか?私がなんとかします。私が売れるようにするし、売れなければ私が代わりに売ってきます。お願いです。』

そう言って頭を下げたんだ。

経営者は『好きにしろ』とだけ言った。

その研修に参加している連中も薄々わかっていたんだ。自分たちがリストラ候補であること。でも、その営業マネジャーは本当に彼らのためになんとかするつもりだったこと。当然、辞めるやつもいたさ。だけど、残った連中は本当に死にものぐるいで頑張ったんだ。自分のために、そのマネジャーのために。

半年後、残った連中はそれなりに売れるようになった。そして、今でもその会社の北海道地区で売り続けている。そのマネジャーは恐ろしいことで有名だけど、恐ろしいほどの人望があって、経営者も扱いづらいからずっと北海道担当にしている。北海道は彼の王国のようなもんだ。今ではどんな商品でも一丸となって売ることで北海道地区は有名だ。・・・という都市伝説。

どう思う?」

「うーん。なんとなくわかります。本当に本気でその人たちが売れるようにするから恐ろしくてもついていくんですね。」

「ああ、手柄の横取りなんてしない。みみっち過ぎてできないよ。」

「先生、人が悪いですよ。私の元上司はそんな人じゃありません。私の適性を見抜いて異動にしてくれたんです。大丈夫ですよ。」

「そうか。」さっきと言っていることが真逆だが・・・。まあいい。

 北京ダックってこんなに美味しかったのか・・・、と思いつつ、いろいろなことに思いを馳せた。人を育てるのはそれなりに楽しいものだ。半年あれば劇的に変わる。考える方に向かうことができれば、試行錯誤を繰り返しつつ、山ほどエラーを発生させつつ、少しずつ変わっていく。

 年齢がもっと行ってしまうとそう簡単には行かない。変われない人はやはり変われない。制限時間が短すぎる場合も多いが、その制限時間が来ればビジネスではゲームオーバーだ。会社は資金繰りに失敗すれば倒産するのと同じだ。人間も収入なしでは生きていけない。お金が尽きればそれで終わる。セーフティーネットはあるにはあるのだが・・・。

「本当にありがとうございました。」

 新宿御苑の駅で彼女は言った。もう彼女は自分でやれる。特にサポートは必要ないだろう。少し寂しい気もするが、まあそれはそれでいい。

「おう、じゃあな。もう電話してくるなよ。」

「はい。しません。」

「お、いい心がけだ。」

「はい。長い間本当にお世話になりました。」

 彼女はそう言って頭を深々と下げると、ぐるっと回れ右をして、反対側のホームへ行く階段を駆け下りて行った。ヒールが固い床を叩く音が駅に大きく響いていた。

 あれから半年になる。彼女から連絡はなく、一度も会っていない。

解説

 さて、いかがだったでしょうか。この章では営業企画の考え方のさわりを解説しました。売れない営業マン出身の人が営業企画をすると、意外と腰が低くてうまくいくことがあります。ただ、現場の人にバカにされていた人だと、少し言うことを聞いてもらうのに苦労します。

 営業マンに上からやれと言ったところでほとんどの人は言うことを聞きません。効果がある施策だったとしてもやりません。売れている人は全く言うことを聞きませんし、売れていない人はやる気を失っていて言うことを聞きません。

 表面上言うことを聞いているようでいて、ほとんどやらないのが実際のところでしょう。だからといって、営業マンの監視を強化しても、それをかいくぐる方法を考えるだけです。

 一番大事なのは、売れない営業マンをなんとかする場合には、こいつらは自分たちの味方で、自分たちをサポートするために一生懸命やっているということをわかってもらうことです。これは人によっては意外と苦労します。そもそも他人のために何かをするというマインドがある人と、あまりない人がいて、営業企画はそういう人の面倒を見るマインドがある人間、自分が売れなくて苦労して売れるようになったような人間がやったほうがいいでしょう。そういうマインドがある人は、さして説明が要りませんが、そういうマインド、必然性がない人は、そもそも言うことを聞いてもらうのに相当の苦労をするでしょう。

 ただ、これはお客さんに話を聞いてもらうのとさして変わりません。営業マンをお客さんと考えれば、彼らにどのようにしてあげればいいのか?がわかります。一応、営業マンとして給料をもらっている以上、売れるようになりたくない人は少ないわけです。だから、売れるようにしてあげればいい。その実例が自分であれば、なおいいわけです。そういう意味で彼女は非常に営業企画適性が高いことになります。

 その上で、数字はしっかりと見ておくべきです。アタック数、商談数、契約数、クレーム発生件数などは随時把握し、それが数日、数か月、数年単位でどのように変化していくのか見ていくべきです。見るスパンは営業マンの育成の期間によりますね。それは結局、契約あたりの粗利額に依存してきます。

 売れない営業マンにはトーク例から具体的に教えていく必要もあります。考え方の転換をしなくてはならないわけですが、それは少しずつ成果が出るから転換できるわけです。そうでなければ考え方の転換などできません。あまりに具体的な指導は、考えない営業マンを作ってしまいますが、それはある程度は仕方のないことではあります。ロープレなどを通じて、未知のケースにどのように対応するのか?を考えてもらって、考える能力を培っていくべきです。

 しかし、これはなかなか根気が必要な作業で、そう簡単には切り替わりません。切り替わり始めれば一気に切り替わっていくのですが、考える作業をそもそもしたことがない人、考える方向に導いたことがない人には非常に難しい作業です。しかし、考える方向への投下時間が長期的に見ると結局は一番効率がいいのです。短期で使い捨てる企業では育てる必要はないかもしれませんが、長期で営業マンを抱える前提の企業ではぜひ、考える方向への指導をしていただきたいと思います。

 先生が彼女に言っていますが、考えるとは事態を想定すれば考えたことになります。簡単に言えばありえる可能性を想定できれば考えたことになる。これをやってもらうしかない。できれば実際に起きているお客さんとのやりとりで、お客さんは何がしたいのか?どう考えているのか?について常に問い続けるという形でやって欲しいです。ただ、こういった能力は誰にでもあります。誰でも後悔したことはあるでしょう。あの時○○していれば○○になっていたのに・・・。という例文の○○に何かを入れたことがない人はいないでしょう。

 過去の事実に反する仮定をすれば、考えていることになるのです。あの時、あの美人に声をかけていれば、きっと結婚できていたのに!といった極端な妄想はないかもしれませんが、これに近いことを多くの人はやっているでしょう。だから、歴史でもしも○○がこうなっていたら、と思えば考えていることになるのです。こういった問題集を自分で作ってもいいでしょう。

 また、人はいつでも期待をしています。上司に声をかけられれば「ひょっとして昇進かな?」と思ったり、職場の美女、イケメンに声をかけられれば「ひょっとしてデートのお誘いかな?」と思ったりするでしょう。それも全て思考作用です。難しいことではありません。これを意識的に自分でできるようにするだけです。

 人の育成には時間と労力がかかります。多くの企業が育成の費用を削り始めているように思います。ただ、結局は、知識の伝達ではなく、人と人との深い関わりが成長には必要です。自分で考えられるようになった人は、文字情報だけでもどんどん前へ進んでいけるでしょう。しかし、そうでない若者が増えていることは理解しておくべきです。昔とは違うのです。

 これだけで営業企画ができるとは言いませんが、この本の全体メッセージをベースにして営業改善をしていくことは可能でしょう。そういう目線で読めば、そういう発見があるように書いてあります。

 次からはわかりやすいようにノウハウがまとめますので、ご参照ください。

  • 普通に売れることがある商品を扱っているのならば、『売りつけたい』も『売りつけたくない』も傲慢さの表れである。これはお客様をコントロールできる前提に立った考え方だからだ。まずはお客様をコントロールできるわけではないという自然なところに立ち戻るべし。そして、購買は、お客様が必要だから起こる、営業マンはお客様の買う気を削がない。そうすれば一定数は売れる。この枠組みに切り替える。売れないのは買う気を削いでいるから、という自覚を持つ。そうすれば、営業マンはお客様をコントロールして悪いことをしている人ではなく、お客様の役に立っている素晴らしい人ということになる。まずはこの枠組みで最低限の仕事をする営業マンになろう。
  • アポを取る時には、怪しさを醸し出さないことが一番大事。そして、どのような商品のご案内なのかを簡潔に述べ、興味があるかないか?を確認することが二番目に大事。相手もビジネスなので、怪しい業者だと思われず、メリットがあると思えば、会って話を聞くぐらいはやってくれる。怪しいと思われれば担当者につないですらくれない。しつこく連絡してくる営業マンほど嫌なものはない。相手に選択権が100%あると思って、興味があるという反応した人だけと会う約束をしよう。
  • いきなり提案をしても、外れることは多々ある。いきなり提案をするよりも、商品の基本的な機能を説明したら、ヒアリングに移ろう。商品に興味があるのなら、ちゃんとヒアリングに付き合ってくれる。ヒアリングをしたうえで、その場で提案できれば提案すべきだし、持ち帰って、カスタマイズした提案をすべきならそうする。商品が売れた時の粗利に応じて、持ち帰っていいのかそうでないのかが決まるが、カスタマイズした分のマージンが取れるなら、カスタマイズのために持ち帰ってもよい。
  • ヒアリングの際に、相手の関心事項は必ず確認、強調すること。これが薄れると、相手がしっかり話を聞いてくれなくなる。お客様は忙しい。あなたの提案のことばかり考えているわけではない。なぜその商品に興味を持ってくれたのか、どんな効果があると思ったのか、忘れてしまうこともある。それをしっかり確認し、それが提供する商品によって実現できるのか?を提示しよう。
  • ヒアリング項目は、なぜ興味を持ってくれたのか?商品に期待する効果は?その効果によって解決できる問題は何か?現在問題があるなら具体的に困っている状況、その状況を解決する手段のオプション、今回の予算、承認のために必要なこと、他の人に説明が必要か否か、承認までのスケジュールなどが一般的である。ヒアリングの後に、こちらからは、自社側の発注受領後の作業の流れを説明する必要がある。
  • アポが取れたとしても、お客さんは5通りいると考えたほうがいい。絶対買うつもりのお客さん、まあまあ買うつもりのお客さん、迷っているお客さん、あまり買うつもりのないお客さん、絶対買わないつもりのお客さんの5通りである。迷っている人が正規分布で考えて1σの中にいるとして、68%いることになる。そして、まあまあ買う、迷っている、まあまあ買わないを含めて2σと考えると95%いることになる。すると、絶対買うお客さんは全体の2~3%、まあまあ買うお客さんは全体の13~14%、前向きに迷っているお客さんが34%いることになる。初めは2~3%を絶対落とさないようにし、次にまあまあ買うつもりのお客さんを落とさないようにすれば、アポが取れたお客さんの16%程度は取れることになる。まずはここで満足すべき。
  • そこから先、クロージングなどでしくじる、背中を押す時にしくじるなどについて、うまく契約が取れるようになるには、長い経験が必要だ。だが、50%以上契約してしまうと、クレーム発生率が上がってくることが多いので、どんなにスーパーな営業マンでも40%程度の契約率に落ち着くようにコントロールするほうが無難である。当然、業種によって、商品によってこの数字は前後するので、自社がどの程度の数字かによって、目標数字は異なってくるだろう。
  • 「上司を連れてきてくれ」と言われたら、相手は契約をする気があるけど、あなたが相手では安心できないと思っているということ。相手に不安を抱かせているのなら、あなたに非があるが、逆に言えば上司を連れて行けば契約できるということ。営業マネジャーは伊達に営業マネジャーではない。ちゃんと契約を取れる人であることが多いので、マネジャーに進捗をがっちり説明し、しっかりクローズしてもらう。そして、それを横目で見て、どうクロージングをすべきなのか学ぶこと。
  • 「安くしてくれ」と言われたら、『お客さんの買う気は満々だ』と判断すべきである。安くしたいのは買うのが前提だからだ。ただ、ここで言われるままに値引いてはいけない。価格付けの正当性を主張し、しっかりご納得頂くことが大事である。商品には提供原価があり、原価を下回って売るのは会社に損害を与えていることになる。ご納得頂けないのならば、契約はできない。条件が折り合わなければ仕方がないので、諦めよう。
  • ただし、お客さんの予算がどれぐらいなのか?当社の商品がどれぐらいするのか?についてお客さんに事前にイメージを持ってもらうことはお互いの幸せな関係を作る上で、必要である。カスタマイズ商品であれば、カスタマイズによって、いくらからいくらという概算を提示しておくべきである。その中に納まっていて、お客さんの希望にあった商品なのに買わないというのは、そもそもおかしい。
  • また、お客さんの要望を聞いてカスタマイズしているのならば、価格交渉に入った時に、要望に優先順位をつけてもらって、値段を下げるなら、この要望には応えられないというこちら側の事情もしっかり説明しよう。お客さんは必要だから買うのだし、自社は儲かるから売るのである。儲からないのに売るという行動は、必要でないものをお客さんが買うのと同じぐらい有り得ない。
  • 要望の優先度付けをすれば、自然に『テストクロージング』をしていることになる。いわゆる営業のテクニック本にテストクロージング、仮クローズなど相手をコントロールするテクニックのように紹介されているが、どのような要望を持っていて、どれぐらいの価格ならば買うのか、諦めうる要望はなんなのか?といったことを詰めていけば自然とテストクローズをしている。これはお客さんを操るテクニックではなく、要望を詰めているだけである。お客さんが必要な物を買うのならば、予算が存在し、予算を越える価格では買うことはできない。予算と要望で提案すべき商品が決まってくるだけであることに気づこう。
  • どんなに誤解なく説明したつもりでも、誤解は生じる。お客さんが誤解したまま買うのは最悪である。そうするとクレームとなり、クレーム対応工数がかかり、会社としてはコストアップである。心変わりが怖くなることもあるだろうが、何度もしつこく、これまでの合意事項を確認しよう。その上で先に進んで行こう。誤解が途中で発覚することはむしろいいことであり、今後の契約につながることだと捉え、誤解を正し、提案の方向性を修正して行こう。
  • クロージングを間違っている営業マン、販売員は多数いる。相手に提案をまくしたてて契約するのが自分の力だと思っている人間がいる。しかし、それは間違っている。正しくは、情報を必要なだけ与えたうえで、相手の判断を待つ、である。答えが出るまでひたすら待つべし。買うか買わないか?を迫られた時、お客さんの判断は3つある。「買う・買わない・判断できない」の大きく3つである。恐ろしいのは「判断できない」でも、「今回は見合わせる」、つまり「買わない」の回答となる。だから、情報をお客さんが判断できるだけもれなく与えるのは必須である。
  • 買わないという判断を下されたら、いわゆる応酬と言われるプロセスもあるが、そこはハイパーに高度な技術が必要とされるので、応酬で勝負することはお勧めしない。本書はそれほど売れるわけではない、もう辞めようか悩んでいるような営業マンを対象としている。そういう普通の人にとって、応酬はある意味で『怒らせて仲良くなる』といった普通ではありえない高度な技術である。応酬で勝負するよりは、『また新しい商品があった時には、ご案内に参ります』という言葉を残して潔く立ち去るべし。
  • 売れるようになると、アポから契約までの一連の流れが見えてくる。すると、ようやくアポが契約に結び付きそうなのかそうでないのか、などが見えてくる。いわゆる受注見込みの度合いの判断ができるようになってくるのである。ただ、それは1つの契約パターンに過ぎない。自分の契約パターンを知ることで、他の契約パターンも少しずつ見えてくる。自分が得た契約パターンを中心として、少しずつパターンを広げていけるようにして行こう。
  • 営業を企画するため必要なマインドは営業マンをサポートするという感覚である。営業企画は偉い。現場は阿呆という感覚でやっている営業企画スタッフをよく見かける。それではうまくいかない。ただ、現場の営業マンは売れている人は売れているという理由で言うことを聞かないものだし、売れていない人はやる気を失っているので、インセンティブ制度を設計しても反応しない。売れない営業マンを対象としてなんとかする方向性でうまく施策を打っていく必要がある。売れるトークのスクリプト化、共有をすると言えば、それなりに関心は持ってくれる。やはり売れるなら売りたい。ロープレは必須だが、上司がやりたがらないなら営業企画の人間が定期的にやってもいい。
  • 全体のコンバージョンをしっかり把握できていないと営業企画としては厳しい。成果が測れない。具体的には見込まれる最大のお客さんの数。コールしたお客さんの数。商談したお客さんの数、契約できたお客さんの数。クレームが来たお客さんの数。これらを把握した上で、営業施策の対象となった営業マンの数字がどう変わっていくかを把握すべき。これまで把握できていないなら、その数字を取ることは一苦労だが、うまく現場の負荷は少ない形で集められるように工夫すること。

 以上になります。エピローグ的なものやあとがき的なものは気が向いたら書きます。とりあえず、このシリーズはこれで終了とさせていただきます。最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

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