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コンセプチュアル思考〈第5回〉 抽象的に考える/具体的に考える/村山 昇

INSIGHT NOW! / 2016年3月22日 22時32分


        コンセプチュアル思考〈第5回〉 抽象的に考える/具体的に考える/村山 昇

村山 昇 / キャリア・ポートレート コンサルティング

◆抽象とはある要素を引き抜き把握すること
抽象という言葉ほど、本来の意味をじゅうぶんに理解されていない言葉もありません。「抽象的である」は、「あいまいでわかりにくい」というような二次的な意味に色が染まってしまい、ネガティブなニュアンスの言葉になった感があります。

本来、抽象の抽は「抜く・引く」という意味です。象は「ものの姿、ありさま」。したがって抽象とは、物事の外観や性質をながめ、そこから何かしらの要素を引き抜くことをいいます。抽象は何か小難しい言葉に聞こえますが、意味的には「抽出」とほぼ同じです。「植物の種からエッセンシャルオイルを抽出する」と言ったときの抽出です。この講義で、抽象と出てきたら抽出と置き換えてもかまいませんし、単に「引き抜く」と考えても大丈夫です。

では、ひとつ抽象化の簡単な問題をやってみましょう。

〈ミニワーク〉


私たちはこれらのものをながめ、何か共通する要素を探し出そうとします。
……その結果、「三角形」が思い浮かんできます。



このように、個々の物事をながめ、そこから

 ①ある要素を引き抜いて
 ②その共通の要素で括る。そしてラベルを付ける

これが抽象作業です。ちなみに、そのラベル(今回は「三角形」と書きましたが)は、私たちが概念と呼ぶものです。


◆具体とはそれに備わるものを一つ一つみていくこと

では逆に、抽象度を下げていく、すなわち、具体的に物事をみていくとはどういうことでしょうか。それは、多くの物事を一括りにするのをやめて、個別的に、それが備えている要素をていねいにみていこうとすることです。その過程では、曖昧さはどんどん排除され、物事の粒立ちがはっきりしてきます。

例えば、定規をていねいにみていくと、「プラスチック製である」とか、「透明で、厚さ1.5mmある」「3年間使っていてキズだらけだな」とか。また、おにぎりについても「母の手作りである」「ほかほかだ」「中には梅干しが入っている」など……。


このように一つ一つについて、特徴や性質をじっくりみていくことが、具体的に物事をみるということです。さきほどの抽象は物事から要素を引き抜く作業でしたが、具体はその逆で、物事に要素をどんどん備えさせるようにしていく作業となります。具体の具は「備わる/備える」という意味です。


◆何かを引き抜くとき同時に何かを捨てている=「捨象」
では、観点をふたたび抽象に戻します。私たちは定規、おにぎり、合掌造りの3つをみて、共通性は「三角形」であると抽象しました。

その定規の実体は、「プラスチック製」だったり、「透明」だったり、「厚さ1.5mm」だったりと、さまざま要素をもっているのですが、私たちはその中から「三角形」という要素だけを抽象しました。また、合掌造りにしても、「茅葺き屋根である」「ずっしりと重い感じ」「家の中は炭火のにおいがする」などの特徴がいろいろあるのに、それらを捨てて「三角形」という特徴だけを引き抜いたのです。そして3つのものを「三角形」という概念で括って把握したといえます。

さて、ここで一つ大事なことがみえてきました。何かを引き抜くことは、同時に何かを捨てることだということです。これを「捨象(しゃしょう)」といいます。



例えば、「その戦争で10万人が死んだ」というとき、これは抽象的な表現です。その死んだ一人一人を具体的にみていけば、10万通りの悔やむに悔やまれない死に方があったはずです。ところがそれらの様子をすべて捨象して、数字的に10万人が死んだと抽象したわけです。戦争の悲惨さを伝えるときに、「10万人」という規模を前面に出すのは抽象的な訴え方です。他方、一人一人の様子を細かに伝えるのは具体的な訴え方になるわけです。いずれにせよ、抽象と捨象はつねにセットです。コインの表裏といってもいいでしょう。


◆抽象度を上げるとあいまいさが増すのはなぜか
さらにミニワークをやってみましょう。

〈ミニワーク〉


「ヒト」「キリン」「カエル」「ミジンコ」「サクラ」と並んでいます。そこでまず「ヒト」と「キリン」を括る〈共通性A〉は何でしょうか。次に「ヒト」と「カエル」を括る〈共通性B〉は何でしょうか。そういう具合に〈共通性C〉〈共通性D〉に入る言葉を考えていきます。

答えの一例をあげると、順に「哺乳動物」「脊椎(せきつい)動物」「動物」「生き物」です。この作業もまた、①個々の外観や性質から特徴的な要素を引き抜き、②共通の要素で括り、③ラベルを付けるという抽象化の思考です。ここでもラベルに与えた「哺乳動物」「脊椎動物」といった言葉こそ、概念というべきものです。


図をみてわかるように、より幅広く物事を括ろうとすればするほど、抽象度は高くなっていきます。そしてラベルには、その分、幅広い意味の言葉や大きな概念を持ってこなければなりません。そのために、そこにあいまいさが出てきたり、ぼやけた感じが出たりします。それは共通性Aの「哺乳動物」と、共通性Dの「生き物」とを比べてみても明らかでしょう。後者のほうが漠然としています。抽象的という言葉が「あいまいでわかりにくい」という意味を帯びるのは、こういうところに一因があります。

ただし、この抽象化によって生じる曖昧さは悪いものであるとはかぎりません。曖昧さをにじませることによってしか表せない深遠な本質もあるからです。例えば、「幸福」や「平和」、「こころ」「いのち」、「神」や「仏」といった概念は高度に抽象的ですが、これらはそのあいまいなにじみが大きく深いがゆえに、人間におおいなる好奇心を与え続けてきました。


◆抽象と具体の往復運動
抽象的に考えるのと具体的に考えるのとで、どちらが「よい/わるい」とか、「優れている/劣っている」ということはありません。どちらも大事です。そして実際、私たちは知らず知らずのうちにこの2つを往復しながら認知の世界を広げています。

例えば、幼少期のころを思い出してください。あるときから親に連れられて、広場のようなところで思う存分遊ばせてもらうようになります。子ども本人はその場所をよく観察し、しだいにそこがふだん食べたり寝たりする場所とは違うことを感じ取ります。そしていつしか〈公園〉という概念を頭の中に形成します。

しばらくすると、今度は少しタイプの異なった公園に行くようになります。そこの様子を一つ一つ詳しくみていくと、どうやら自分が知っている〈公園〉の中でも、特別な何かがあるように思えてきます。そして、それが〈テーマパーク〉という概念のものであることを知ります。さらにそこから、いくつかのテーマパークに行き慣れてくると、〈面白いテーマパークとはこうあるべき〉といったような自分なりの本質が見えてきます。


概念は物事をとらえる枠となり、自分なりにつかんだ本質は物事の価値を判ずるものさしになります。

ですから、いったん自分の中に概念や本質がつくられるや、物事の見え方は以前と違ってきます。次にテーマパークに行ったときには、それを観察する目も肥えてくるでしょう。その本質に照らし合わせて、あれこれ評価するようにもなるでしょう。そうこうしているうちにさらに新しい概念を獲得し、本質を深めていくという次の往復が始まることになります。

このように、私たちは事象や経験から概念をつくり出したり本質をとらえようとしたりします。また、それら概念や本質を獲得することによって、事象や経験がより有意義に立ち現れてくることになります。その意味で、具体なき抽象はやせてリアル感のないものになってしまうでしょう。同時に、抽象なき具体は散漫なものになってしまう危険性があります。その意味で、抽象と具体を大きく往復することが大事です。

最後に、抽象と具体について、概括するイメージを一枚にまとめておきます。




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