武家:本家長男より一族長者/純丘曜彰 教授博士
INSIGHT NOW! / 2016年6月6日 4時0分
純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学
近年、大企業の創業者や中興者の後継問題に失敗して、経営がガタガタになってしまう話をよく聞く。どちらが正当か、などということは、筋論では決まらない。対外的な実力威光がすべてだ。
たとえば、江戸幕府。将軍家、などと言うが、そんな血脈は実在しない。将軍は、御三家・御三卿という巨大な徳川松平一族の中の、その時々の「長者」が務めた。徳川家康の長男の信康は、家康により切腹を命じられ、次男の秀康は、以前に豊臣家へ養子(人質)に出され、将軍職を継いだのは三男、秀忠。つまり、徳川家は、しょっぱなから長男相続などやっていない。
秀忠の長男は夭逝し、次男の家光が第三代将軍。第四代の家綱はその長男だが、男子断絶。弟である次男は夭折。となると、三男の甲府藩主綱重。しかし、これも家綱より前に死去。それで、館林藩主の弟(四男)綱吉を養子に。しかし、この男子も夭逝で断絶のため、兄綱重の長男、家宣が第六代。長男死産、次男・三男も幼死で、その四男で幼少の家継が第七代。とはいえ、これも3歳で死去(1716)。
家格順序で言えば、次は尾張家徳川継友(24歳)。しかし、小さな館林藩なら、その少ない藩士を幕府の旗本御家人にも取り込めるが、巨大な尾張家の大量の藩士たちが江戸に乗り込み、尾張を直轄領とするとなると、混乱は必至。それで、家康十男の末裔の紀州家四男ながら当主(藩主)となっていた吉宗(32歳)が、紀州藩を従兄に譲って存続させ、家継の末期養子(死没直前に縁組したことにする)として第八代将軍に。同様に、第十一代将軍の家斉も、一橋家からの養子。第十四代、家茂(いえもち)は、紀州家から、次の第十五代、慶喜は水戸家出で一橋家を経て将軍に。
その前の戦国時代の織田家ともなると、跡目争いはもっと壮絶だ。室町末期、織田一族では、尾張守護代の清洲織田大和守家信友がトップ。ところが、その三奉行の岩倉織田弾正忠家信秀が勢力を拡大。1551年、信秀が亡くなると、軍才の無い長男信広、行状の悪い次男信長(17歳)ではなく、三男信行(信勝、15歳)が「弾正忠」を名乗って、清洲織田大和守家信友もこれを支持。しかし、次男信長は、「上総守(かずさのかみ)」などという、より上位の官位(律令上は存在しえない、中二病?)をかってに自称。54年、信友が主君の尾張守護斯波義統を暗殺すると、翌55年、次男信長は信友を殺害し、清洲織田大和守家を断絶させて清洲城主に。同じころ、信長の義父斉藤道三の美濃においても、家督を得た長男の義龍が実弟たちを殺害、実父道三までも暗殺。信長は、道三末子を斉藤家当主に立てて対抗。三男信行は、この機に乗じて次男信長の暗殺を謀り、長男信弘も、義龍とともに次男信長の清洲城襲撃を計画するが、いずれも失敗。翌57年、次男信長は、三男信行を暗殺、長男信弘を臣従させ、さらに58年、岩倉織田伊勢守家も滅し、これでようやく織田信長は、織田一族のトップとなった。(しかし、この内紛で、一族と言っても織田家は信長直系のみが本家になってしまい、本能寺の変の後の清須会議で再び四家分流が図られるも、勢力衰退は避けられなかった。)
農家などの場合、「田分け」による零細化を防ぐため、家督は長男単独相続で、次男以下は使用人も同然。ところが、武家の場合、家督は、あくまで実力本位で、一族の「長者」が継ぐ。ただし、長者の地位は、一族の祖墓祭祀、宝物保管によって象徴するのみ。それ以外の家も、それ以前の家格を保って存続し、それどころか、本家も分家も無く、さらに親族兄弟でどんどん分流し、各地に拡大していく。田んぼと違って、武家の勢力は、全国に、いくらでも拡げられるのだ。
このような一族「長者」制は、天皇家をはじめとして古代の氏姓時代からあったと思われるが、これを明確にしたのは、645年の大化の改新で活躍した中臣鎌足が藤原家を興したことに始まる。その長男は僧になって、次男の不比等が継承。その男子それぞれを南北式京の四家として、いずれも存続させ、さらに分流し、一族全体で強大な権力を握る。この仕組みを、武家の平氏や源氏も取り入れ、複雑で巨大な一族支配を実現させた。
ここで長者相続の基準となるのは、先代との近親順序ではなく、対外的な実力威光。具体的には、皇室から与えられる官位であり、一族の中で最上位である者が、その一族全体の「長者」となる。たとえば、藤原伊周(これちか)は内大臣であったが、995年、伯父で五男の道長がより上位の右大臣に就き、公式に「藤原長者」と皇室から認められた。尾張家継友と紀州家吉宗の争いも、権中納言の継友に対し、吉宗がより上位の権大納言になったことで決着し、後者が「源氏長者」(すべての武家は、建前上、源氏末裔を自称しているので、実質的にすべての武家の長者)として皇室に公認されている。
この一族「長者」制は、貴族や武家に限らない。派閥を並立存続させながら総理総裁を互選で擁立支援する戦後の自民党などにも見られる。また、海外でも、広大なネットワークを誇るハプスブルク家やロスチャイルド家でも、この長者制は顕著だろう。商家でも、文明堂は、同じ長崎に発しながら、7社があり、さらに、銀装、文栄堂も、その一門。料亭の吉兆も、4社独立ながら同じ名を守るグループ。
藤原道長や織田信長の相続内紛や族内覇権で、むしろ一族の勢力は全体としては衰退してしまったように、どちらが本家で分家か、などと、狭い身内の中で兄弟親族が争う者たちに未来は無い。まして、親子で覇を奪い合うなど、論外。近年は、経営者たちが持ち株会社として上に乗り、それぞれ自分の出身母体である事業会社の人材を、自分の後継者にしようとする傾向も見られるが、グループは、互選であってこそ、グループの強みがある。江戸徳川家に倣うなら、だれもどこが出身事業会社かわからないくらい、事前に内部での人事交流、人材交換を活発にしていってこそ、つまらない内部争いを避けることができる。
(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)
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