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エイジングの4ステップ/川口 雅裕

INSIGHT NOW! / 2016年9月16日 14時0分


        エイジングの4ステップ/川口 雅裕

川口 雅裕 / 組織人事研究者

父親が息を引き取った。肺癌で緩和病棟におり、近く訪れる死を受け入れ、向き合った数か月だったように思う。数年前に「90歳まで生きたい」と言い、私は年齢を目的にするのか・・・と少しがっかりした覚えがあるが、ここ数か月は父親に対して言うのははばかられるものの、成長・成熟を見た思いがする。死に向き合い、人生を総括しながら、体は苦しかっただろうが、精神的な落ち着きや達観が表情には見て取れた。人間的完成に近づくとは、こういうことか・・・とも思う。

ジーン・コーエン博士は、人生の後半期における成長と発達のステージとして、「再評価段階」「解放段階」「まとめ段階」「アンコール段階」の4つがあると唱えた。人間の脳の機能の全てが年とともに衰えていくという考えは誤りで、年とともに段階を踏んで発達・成長を続けることができるという説である。

●コーエンの4段階説

まず、「再評価段階」では、人生や自分自身を改めて見つめ直そう(再評価しよう)とする。折り返し地点まで来ると、それまでのように、いくらでも時間がある、やろうと思えば何でもできる、うまくいかなかったことでも十分に取り返せるといった発想はできず、これまでの経験から冷静に自分を評価し、残された時間をどのように使うべきかを考えるようになる。また、折り返し地点のように思えても、実際にはいつ死ぬか分からないということを理解し、死を徐々に意識するようになる。

次に、「解放段階」では、時間的・精神的に縛られていた事柄が減り(解放され)、その結果、それまで出来なかったことをやりたいという意欲が湧いてくる。再評価段階で死や残された時間を意識しているので、「今やるしかない」という強い気持ちにもなる。定年退職や子の独立によって、仕事や家事・子育てといった「やらなければならない」ことではなく、「やりたいこと」に焦点が当たるようになる。それは、不自然で無理をする自分ではなく、本来の自分らしい言動を取り戻し、自分らしい暮らしぶりを獲得することでもある。

「まとめの段階」では、「やりたいこと」をやっている本来の自分に戻って、これまでの人生を総括する。また、「やりたいこと」に集中できる環境や、「やりたいこと」ができるようになった自分をこれまで支えてくれた社会・人々への感謝が、恩返しや貢献に向かわせる。人生の総括に取り組むために、死を明確に意識しながらも、これを恐れない態度ができてくる。そして、一定の総括ができたこの段階で、死後に子や周囲に迷惑をかけないための準備・整理に取り掛かる。

最後の「アンコール段階」では、コンサートにおいて本演奏が終了した後、演奏者がもう一度軽めの曲をリラックスして演奏するように、気楽な気持ちで、マイペースで人生の最後の余韻を楽しむようになる。これまで続けきたルーチンに淡々と取り組み、季節の移ろいや日常の小さな物事の変化などに喜びを感じる。結果の良し悪しや他者の評価を気にせず、型にはまらず自由である。発言や行動には、経験や知恵、らしさや味わいが感じられ、個性的である。

●成熟(エイジング)の価値

このような段階を踏んで、精神的に成熟していければ理想的だ。身体は衰えていったとしても、幸福が感じられる。逆に言えば、精神的成熟がなければ、身体の衰えに比例するように幸福感は低下していってしまう。身体的な衰えは避けようがないのだから、高齢期の幸福はそれぞれの精神的成熟度に左右されてしまうということだ。その意味では、身体・健康についてはアンチ・エイジングも結構だが、精神的にはエイジングを重ねていく必要がある。

そもそもエイジングには、時間の経過や使いこんだことによって古くはなるが、それによって価値が出る、新しいときにはなかった良さが生まれるというポジティブなニュアンスがある。例えば、ウィスキーの長期貯蔵、ワインや牛肉の熟成、工業製品の慣らし運転、バイオリンなどの楽器を本来の音色や響きが出るように弾きこむこと、これらは全てエイジングと言う。

しかしながら現状は、精神的成熟など考えたこともなく、とにかく老いに抗おうとする人がやたらと目に付く。健康が目的となってしまい、アンチ・エイジングに勤しみ、身体の衰えを遅らせることばかり気にしている人が多い。高齢期ならではの成熟、人間的完成に向かうことなく、単に長生きする人が増えるだけでは、超高齢社会は目出度いとは言えない。高齢者を弱者扱いする(無意識に見下して、場合によっては子供のように扱う)人が多いのも、高齢者自身が精神的に次世代の若い人達と変わらず、その結果、尊敬されるような存在になっていないからではないか。

●高齢者の生き方の変化

とは言え、徐々に変化の兆しはある。死をタブー視せず、自分の葬儀や墓について前向きに考えようとする高齢者は増えてきている。遺影や棺桶を生前に選ぶ人も少なくない。週刊誌を中心に、健康長寿だけでなく死や病気と医療・介護への向き合い方を真正面から取り上げるメディアも増えてきており、相当な反響があると聞く。病院よりも在宅で死ぬ人が徐々ではあるものの増えているのは、死に方を自分で決める人が増えているからだ。

活力ある高齢社会を築くためには、このような流れを加速していかねばならない。50歳を超えたら健康自慢・肉体自慢をするのではなく、どのような境地になってきたか、どれくらい成熟し、人間としての完成に近づいてきているかを考え、会話するのが当然という雰囲気の社会がよい。若者と変わらないような視点・視野、境地・思考でいることは恥とされるような世の中だ。次世代や若者は、高齢者に何を期待しているのか。それは、若々しさというより、むしろ年の功である。若者と変わらないような視点・視野、境地・思考でいることは恥とされるような世の中。それは、高齢者が尊敬され、期待される世の中でもある。

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