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東大生はみなアスペ?:ピアプレッシャーと大学進学の意義/純丘曜彰 教授博士

INSIGHT NOW! / 2017年1月14日 8時30分


        東大生はみなアスペ?:ピアプレッシャーと大学進学の意義/純丘曜彰 教授博士

純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

 大学はいいぞ。良い大学にいけば、ようやくそこにほんとうの仲間がいる。バカな連中とバカな遊びにヘラヘラとつきあわなくてもよくなる。自分がおもしろいと思っていたことを、いっしょに語り合い、分かち合える友達がいる。童話の「みにくいアヒルの子」と同じ。だから、もうひとがんばり、絶対に自分に合った良い大学に進むべきだ。


 それを、昨今、嫉妬なんだか、羨望なんだか、頭が良くて、つきあいが悪い、というだけで、「アスペ」だなんだとうるさいやつらがいる。だが、ドシロウトのくせに、特定の人々に「アスペ」などというもっともらしい医学用語を濫用してレッテル貼りをし、「異常者」として排除したがる者の方が、むしろ自己形成不全の重大な人格障害の病的気質があるのではないか。


 「アスペルガー症候群」というのは、ウィーン大学病院の小児科医ハンス・アスペルガーが1938年以前から取り組んでいた4人の児童の症例研究に因むもので、彼が着目したのは、高度知性、共感欠如、友情不能、身振や言語の障害、特定関心の熱中、運動障害、自己中心性、感情的な不調・不安・無関心であり、彼自身はこれを「自閉的精神病質」と呼んでいる。とはいえ、当時、まだ「自閉症」の独自概念が確立されておらず、それは外的刺激に反応を欠く「統合失調」の結果と見なされていた。


 だが、最新のWHOのICD-10(疾病国際統計分類第10版)では、F84.5で、「アスペルガー症候群」は、そもそも、疾病学的妥当性が不確かな「病気」、つまり、それが病気なのかどうかもはや怪しい、とされている。これまで、自閉症を特徴付ける相互社会関係の質的異常で、関心と行動のレパートリーが制約的で固定的、反復的、だが、自閉症と違って言語や認識の発達に遅れが無い、とされてきたが、アスペが例外である以前に、自閉症は一般に知性が低い、という決めつけの方が、検査方法論として大きく疑われている。口がきけない者は、視力検査にうまく答えられないが、だからといって、目が見えていないとはかぎらないのと同じ。このため、同様に、米国精神医学会のDSM-5development(精神障害の診断と統計のマニュアル第5版改訂作業)においても、299.80の「アスペルガー障害」は、独立の病名ではなく、もはや自閉的障害の下位に位置づけることが提案されている。


 つまり、「アスペルガー症候群」なる病名は、昨今、やたら通俗的に濫用されているものの、専門的には先天器質性の自閉症の一種の様態としてかなり限定して考えるべきものだ、ということ。東大に来る連中のなかには、たしかに狭義の自閉症や多動症などもいないではないが、その大半はむしろ幼少から幸運な文化環境に恵まれ、そのおもしろさを知ってしまい、ひたすら努力で自分を磨いて上ってきた連中。「発達障害」どころか、むだに「発達」しすぎて、あっち側まで行ってしまった、という方が的を射ているだろう。(「発達障害」というのは、もとより、低年齢に症状が発現する、というだけのことで、発達過程に障害がある、という意味ではない。)


 たしかに頭が良い連中ほど、世間のつきあいが悪い。だが、それは、連中は、ふつうの人にはわからない複雑で高度な文化領域に楽しみを持っており、そっちの方がおもしろいのだから、世間の安っぽい話になど、はなから関心が無いからだ。つまり、つきあいが悪い、関心が無いのは、そういう安っぽい話しかしない世間に対してだからこそであって、相応の文化領域を共有できるそれなりの相手であれば、昵懇に語り合うこともあるもの。ただ、その文化領域に至るには、相応の精神的な努力が必要で、そういう努力もしない、する気も無い連中に、そのおもしろさを語っても仕方が無い。だから、ハブっているだけ。


 ようするに、「気違い」というのは、たんに「気」が違う、世界が違う。しかし、違う、というのは、お互いさま。どっちが正しいか、なんて、どっちにも決められまい。自分たちの方の気に合わせろ、おれたちの空気を読んで溶け込め、という「ピアプレッシャー(同調圧力)」が、自分たちとは異質の「気」を持つ者を「気違い」とし、それに応じない者を「狂人」として排除する。それでわざわざ排除されるのも面倒くさいから、少数派は自分から先に「風狂」として世捨て人になって俗世を離れて静かに暮らしているんで、大学はそういうところ。それをまた「アスペ」だなんだと引き戻されても、迷惑なだけ。


 きょうび、器質性の自閉症ですら、幅の大きな「スペクトラム」として理解され、たんなる社会適応の問題として、むりやり一般の人々と同じくらい「鈍感」にする「治療」よりも、過敏でも無理なく不安なく暮らして、そのままの自分を生かせる生活の環境と条件の整備の方に重点が置かれている。ごちゃごちゃがちゃがちゃした生活に向いていて、そういうのが好きで得意な人がいるのと同じように、そういうのがイヤ、大嫌い、という人だっている、というだけのこと。酒が苦手、というのと大差無い。下戸に無理強いして酒を飲ませようとするやつが、対人認識と関係構築に大きな病的欠陥のある加虐志向の社会的人格異常者であるように、なんでもかんでも自分と同じでないと気が済まない方が、精神的にどうかしている。


 その意味では、なにより現代のマスコミがいちばん自己中心的で「狂って」いる。人に安酒の一気飲みを強要するタチの悪い酔っ払いのようだ。ヒラリーを応援し、トランプをちゃかし、神ってる広島の勝敗に一喜一憂、ポケモンGoを初日にダウンロードして、『君の名は。』に涙しながら、パイナポー、う、あぁ、とマネしつつ、両手の指を立てて恋いダンスを踊っていないと、それは社会的協調性に欠けるアスペの「精神異常者」だと。日々垂れ流しのくっだらない話題をへらへらと追っていないと、もう「気違い」扱い。ちょっとつきあいを断っただけで、完全に「病気」。

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それなら、まあ、「病欠」ということで、よしなに、なんて、言ってられるのが、大学。いいぞ、大学は。良い大学に入ってさえしまえば、あとは「変人」の「気違い」ということで、どうでもいい多くの世間のつきあいの面倒から免れ、信頼できるほんとうの友人たちにだけ心を開いて、親しく過ごすことができるようになる。さあ、もうひとがんばりだ。春には、ほんとうの友人たちが待っている大学に行こう。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『死体は血を流さない:聖堂騎士団 vs 救院騎士団 サンタクロースの錬金術とスペードの女王に関する科学研究費B海外学術調査報告書』『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)

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