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「結婚は人生の墓場」という意味/純丘曜彰 教授博士

INSIGHT NOW! / 2017年4月23日 8時15分


        「結婚は人生の墓場」という意味/純丘曜彰 教授博士

純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

 学生に聞くと、いまや大半が、結婚しても「メリット」が無い、と答える。混乱の元凶は、団塊世代。自由恋愛とか言って、いい年してまで、くっついたり離れたり。おまけに、適齢期は自分で決める、とか言って、下の世代まで誑かした。そのせいで、目が覚めたころには、みな手遅れ。高齢になって、じたばた不妊「治療」に走るが、それは「治療」じゃない。高齢になれば妊娠しにくくなる方が、むしろ自然の道理。


 戦後、世界、とくに日本人は、なんでも自分で決められる、決めるべきだ、と思い上がった。しかし、いくら医療が発達しても、死ぬ寿命は、最後は神仏が決める。生まれる妊娠も同じ。そして、それ以上に、決定的に自分でかってに決められないのが、結婚。それは、最終的には相手が決めることだ。


 もちろん片思いは勝手。しかし、その先、恋愛だ、結婚だとなると、相手が、うん、と言ってくれないかぎり、話が進まない。ところが、お客様は神様です、とばかりに、店や企業相手に横柄にやってきたユトリの「オレさま」は、ここで人生初めて、大きな壁にぶつかる。いくら自分が好きになったって、相手にも選ぶ権利がある。自分の思い通りになんか、できないし、なりもしない。にもかかわらず、自販機やネットでモノを買うように、ボタン一つ押す方法しか、それまで学んできていない。それで、ストーカーになったり、死ぬ死ぬと言い出したり、挙げ句はナイフを振り回したり。


 寿命や妊娠が神仏の領域であるように、恋愛や結婚は、自分自身だけでは絶対に決められない。それも、決定権を持っているのは、人間を越えた神仏ではなく、生身のタダの、そこらの人間。「メリット」がどうこう以前に、他人にひれ伏して愛を乞うなんてできない、自分の人生を決定する鍵を他人に預けるなんてできない、というのが、自己中のまま甘やかされてきた「オレさま」たちの本音だろう。実際、そういう「オレさま」の中には、人から大切な人生の鍵を預かっておきながら、平気でそれをドブに捨て、他人を檻に閉じ込めたまま、自分はどこかにトンズラしてしまうような卑劣な悪人も珍しくない。


 おまけに、結婚には大きな「リスク」や「デメリット」がある。自分が病気や失業しなくても、相手や子供、親族がそうなるかもしれない。自分自身のことなら、自分さえしっかりしていればリスクを下げられるが、親族の不摂生や不品行となると、言って話を聞くわけでなし、どうにもならない。同様に、自分一人なら不摂生や不品行も自己責任だが、家族持ちともなると、食事や洗濯、掃除はもちろん、収入や世評も、なんでもかんでもきちんとしておかないと、家族親族まで累が及び、大きな迷惑をかけることになる。つまり、恋愛と違い、結婚となると、親族を含め、みな一蓮托生。この意味では、もちろん、独り者の気楽さは無い。あれこれの心労や義務で、がんじがらめ。これが「人生の墓場」。


 しかし、かといって、いつまでも、どこにも安心できる場が無いまま、というのも、なかなかにたいへんだ。若く元気なうちはいいが、人生は何があるかわからない。最近は単身者に対応してくれるいろいろな店や企業もあるが、しょせんはカネの縁。病気になったり、失業したりしたとき、文字通り親身になって支えてくれるのは、家族だけ。


 生まれながらの家族。しかし、それは長続きしない。親も老いて、ついにはかならずいなくなる。つまり、家族は、生まれて与えられただけでは、自分自身が老いるまでに、かならず失われてしまう。そうならないためには、自分自身で新たに創って継がないといけない。それが結婚。それによって、人生にひそむさまざまな「リスク」を、大きく担保して、安定した人生を送ることができる。


 結婚には、まちがいなく「メリット」はある。一方、「リスク」や「デメリット」は、相手や相手の親族の選びようで、いくらでも下げられる。見た目だ、性的魅力だ、もけっこうだが、恋愛でも、見合いでも、とにかく最後の最後まで、ほんとうに信用できる相手、信頼できる新しい親族、自分の人生の鍵を預けられる新しい家族を見つけないといけない。そしてなにより、決定権は、絶対的に相手側にある。この事実を謙虚に受け入れ、ほんとうに信用できる相手に、そして、その相手の親族に選んでもらえるような、信頼されうる自分にならないと、恋愛さえ始まらない。


 ちかごろは、学校などでも就職指導に熱心だが、就職以上に人生を大きく左右するのが結婚。いい相手を見つけられれば、その後の人生、なにがあってもずっと安泰。しかし、ひどい相手を掴むと、なにもかも失うハメに陥る。かといって、独り身のまま年を取ったら、大海原に漂う小舟も同然。後になって結婚したくなって、いい年して若作り/厚化粧で恋愛ぶるのも、体力、気力、ともに、かなりしんどかろう。だから、性教育がどうこう以前に、こんな重大な人生の問題は、たとえ親や学校が教えてくれなくても、自分自身でもっと早くから気付いて学んで向き合うべきことだ。


 そして、とても大切なこと。いろいろな意味で、いい男/いい女から、先に「売れて」いく。それが現実。これ!という相手を掴めたら、そして、相手が手を握り返してくれたなら、離すな、迷うな、とっとと覚悟を決めろ。また後で、は無い。「残りもの」ほど、難あり、ばかりになって、選ぶのも、リスクヘッジするのも、難しくなる。遊び歩いている場合じゃない。まして、先送りにしている余裕は無い。就職よりも、進学よりも、結婚こそ、人生最大の難関。生きた証として骨をうずめるべきツイの住みか、良い「人生の墓場」を手に入れるには、とにかく若いうち、早くから真剣に探し始めた方がいい。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。近書に『アマテラスの黄金』などがある。)

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