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社員が現場で働け!:人手不足の元凶は本社の肥大/純丘曜彰 教授博士

INSIGHT NOW! / 2017年8月18日 18時1分

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純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

 東京の朝の満員電車での通勤を見ていると、どこが人手不足なんだか、と思う。この連中がみんな現場へ出て働けばいいだけのこと。

 人手不足、人手不足、というのは、ようするに工場や店舗など、現場でのこと。バイトだの、契約社員だの、安い時給でマニュアル通りに作業する単純労働力が足らないだけ。それに比べて、本社のバカでかいこと。社内の権益争いの結果、どの部課もとにかく競って人数を増やすが、それで生産性が上がるわけではない。むしろ意思決定関与者が多すぎるせいで、その調整でムダに労力を浪費している。

 たとえば会議。百人でやっても、六人でやっても、結論は一つ。生産性ということからすれば、人数が多いほどムダ。六人ならパッと集まってプロジェクターで資料提示して、その場で結論が出る。ところが、百人となると、出張だ、宿泊だ、航空券の手配だ、に始まって、会議前の根回し相談で、また逆出張。それに付随して飲食、社内接待。会議そのものも、会議室の手配、プレゼンの準備、資料の編集印刷、音響だ、スクリーンだ、お茶のペットボトルの運搬だ、と、単純な人数のかけ算では済まない。幾何級数的に時間と手間が増大する。それで、結局、紛糾して、結論一つも出ないで、持ち越し。そんなことばかりやっているから、管理部門はどんどんでかくなる。

 とくにムダなのが企画。こんなの、同じ連中をずっと雇っていて、なんどもすごいアイディアを連発できるわけがない。前にすごい功績があったとしても、その後の出ガラシみたいなやつらから知恵を絞り出そうとすれば、いよいよムダに調査だ、マーケティングだ、と、人をケムに巻く能書きばかりを垂れて、間接費用がどんどんでかくなる。こんなの、むしろ外注コンペで、生きのいい新鮮な外の風を入れればいいだけのこと。

 新聞社やテレビ局が、その典型。現場取材する人数より、他人の原稿にちゃちゃを入れる人数、階層の方がはるかに多くなってしまった。もちろん原稿チェックは必要だが、実際に現場を取材していない大量の連中が妄想と偏見でいじくりまわすから、どんどんわけのわからないものになる。そのくせ、もともとがウソ八百でも、形式さえ整っていれば、平気で載ってしまう。

  じつは昔の侍も、同じ道をたどった。鎧を着て刀を振り回しているような勇壮なイメージがあるが、直接の戦闘なんて、一年に何度かあるかどうか。それも半日で決着がついた。戦国時代の侍の日常は、ほとんど毎日、土木工事。徴用した農民たちに指図するだけでなく、自分たちもまた、穴を掘って、石を積み上げ、武器を作って備えた。ところが、江戸時代になると、戦闘が無くなったばかりでなく、土木工事さえ、ぜんぶ外注。年ガラ年中、そのための資金繰り。幕末になって、いざ自分で戦わなければならないとなると、郷士たちにボロ負け。

 会社自体からして多すぎる。日本の経済規模で言えば、各分野、安定大手の二、三社と、試行的な新興中小がいくつか、という、航空や宅配、携帯の姿が均衡状態だろう。だから、新聞業界の場合、おそらく遠からず朝日と毎日、読売と産経が合併せざるをえまい。テレビも、広告効果が激減しており、いずれ民放の大統合があるだろう。銀行やコンビニ、自動車、電機は、すでにそっちへ向かって動いていっている。この国での最適解のパターンは、どこもほぼ同じになる。同じようなチャンネルが複数あったって、代替選択肢としては共倒れ。そんな同じものの構築なら、四番手、五番手は、規模効果からして管理部門を支えきれない。

 もとはと言えば、やたらわけのわからない大学が増えて、見かけだけのホワイトカラーが増えすぎたせいだ。内実からすれば、ホワイトカラーとして、ブルーカラーを統率するほどの能力を持っていない。はっきり言って、ただの凡人。その烏合の衆が東京の満員電車で本社に集まり、だれでも思いつく程度の凡庸な方針のすり合わせに四苦八苦して、人生をすり減らしている。それで人手不足だと。安い時給で、本社のバカどもがコロコロ変えるチンケな方針とやらに振り回されるのがイヤだから、現場に人が集まらないんだよ。(コンビニとか、本社に入れたというだけで巡回してきて偉そうに指図するガキや小娘より、脱サラ組のフランチャイズ店長の方が、よほど長年の現場経験もあり、改善方向も見えていたりする。だから、バカバカしくなって契約更新せず、みな廃業してしまう。)

 こんな体制は、だれも幸せにならない。少子化の市場縮小で、六番手、七番手の会社が大手に吸収され、その大手の中でも四番手、五番手がまるごと潰れていく。名ばかりのホワイトカラー、自分自身で手を汚して働いたこともなく、かといって優れた統率力があるわけでもない連中が、失業解雇されて現場に落ちてくるが、なまじ半端なプライドで、いよいよモノにならない。海外工場に委託した方がまし、ということになる。かといって、ノマドだ、フリーランスだ、と言ったところで、しょせんは没落士族の商法。明治時代と同じ悲劇が繰り返される。

 結局のところ、仕事は現場にある。本社は、そのサポートにすぎない。生き残りたければ、大手であろうと、現場に習熟しておくことだ。大統合においても、現場を知るものだけが、現場で、そして、管理部門でも有用とされる。見かけ倒しのホワイトカラー、管理部門しか知らない人材は、すでに重複過剰、それどころか停滞と沈没の元凶。ほんとうのホワイトカラー、現場をよく知り、ブルーカラーの人々の信任を得、かれらを統率して、ともに生き残りを模索する。残された時間は、もう長くはない。ホワイトカラーだろうと、妙な安っぽいプライドを捨て、みずからできるだけ機会を作って、現場を訪れ、実際に自分で手と足を動かしてみよう。

by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。近書に『アマテラスの黄金』などがある。)

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