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NHK朝ドラ「ひよっこ」のラスト「がんばっぺ」が響くのは?/内藤  由貴子

INSIGHT NOW! / 2017年10月7日 0時42分


        NHK朝ドラ「ひよっこ」のラスト「がんばっぺ」が響くのは?/内藤  由貴子

内藤  由貴子 /

◎最後のメッセージが「みんな一緒にがんばっぺ」


9月末までのNHK朝ドラ「ひよっこ」が高視聴率で終了。早くから「ひよっこロス」の声が広がっています。
私自身も、この60年代に幼少期を過ごしたので、どこか懐かしいものを感じて見ていました。
なぜか「ひよっこ」で、朝を始めるのがハッピーでした。私も少なからず、ロスです。

最後に、ヒロイン みね子が視聴者に向かって「みんな一緒にがんばっぺ」と言って終了したのが、印象的でした。

このドラマでは、何度か「がんばれ」メッセージがありました。心理セラピストという仕事柄、ちょっと気になっていました。

折しも、電通の違法残業の裁判が終わったところです。
「頑張る」から降りられない状況があるこの時代、「がんばって」が最後のメッセージなのは、なぜなのでしょう。


◎ 朝ドラのヒロインにして、「何もの」にもならないみね子


さて「ひよっこ」のヒロイン、みね子は何かを目指す女の子ではありませんでした。
東京に出稼ぎに行った父親が失踪するという事件がなければ、そのまま奥茨城村で農業を手伝っていたはずです。

そこが異色です。過去の朝ドラマの「まれ」も実在モデルはいませんでしたが、パティシエを目指す女の子でした。

ご覧になっていない方のために、内容をざっとお伝えすると、主人公のみね子は、
東京で失踪した父を探すために、高校卒業後、集団就職で東京のラジオ工場に就職。ちょうど東京オリンピックの頃です。
しかし、東京オリンピック後の不景気で、工場が倒産。みね子は赤坂の洋食レストランで仕事することになりました。
そのレストランは、父親が食べに来たことがあり、その縁で時々訪れていた店です。
父は見つかるのですが、記憶喪失でみね子や家族のことを思い出せません。しかし、父はそれを乗り越えて奥茨城の家族の理解の中で新たな人生を生きていきます。

茨城の家族、一緒に上京した幼なじみの3人、工場の寮の仲間との友情、住むことになった店の隣の茜荘の住人や近所の人などの人間模様の交錯、みね子の切ない初恋もあり、最終的にはみんなハッピーエンドでした。 いい人ばかりで、あったかい世界でした。

と、こうまとめてしまうと、あまり面白くありません。

朝ドラは、実在のモデルや戦争や時代的要素が強いものが多く子供時代から描かれることが多いですが、ひよっこは、4年間の話のみ。そして「ひよっこ」のヒロインみね子は、最後まで何ものにもならない女の子です。
昭和の高度経済成長期は、特別な時代とはいえ、明治や戦前のようなドラマになる時期とは異なります。戦争の過酷な時代をヒロインが生き抜くような展開もありません。

10月から始まった「わろてんか」は、それらの点で朝ドラの王道のようで、対照的です。


◎何かを目指さないヒロイン

さて、このドラマの中で、何ものかになるのを目指していたのは、みね子の親友、時子でした。
彼女は、「女優」を目指し、そしてその夢を叶えました。
ヒロインのみね子は、その夢を応援する役です。

みね子は、特に何ものでもありません。
工場でもレストランでも、よく働き、与えられた仕事の習熟はめざしますが、上昇志向などはありません。

上昇志向と言えば、工場の同期で中卒で就職した豊子は、勉強ができたのに高校に行けず、働きながら高校を卒業し、いくつもの資格を取り、起業する夢を持ちます。
そんな上昇志向は、やっぱりみね子にはありませんでした。

みね子が、上京する前だったので、まだ高校生の時だと記憶していますが、
家族のだれかに将来を問われて言った言葉がとても象徴的でした。

「やることが目の前にあって、それを一所懸命するのが好き。それじゃ駄目なの?」

というようなセリフでした。

(完全に覚えていなくて申し訳ないです。茨城弁でした)


それは最後まで貫かれていて、上京しても「自分のやりたいことを見つけた!」はなく、今風に「好きなことを仕事にする」もありません。

ただ、丁寧に毎日を生き、周りの人たちを大切にしています。
でも腹をたてる時はたてるし、泣く時は泣いたりと、感情は自然に表現され、自分を抑えることもありません。家族を経済的に支えていても、家族の犠牲になっているわけではありません。

目の前のことを一生懸命にして生きている。
みね子はそんな人生を「選んで」生きているわけです。

みね子がバーで「自由って何ですか?人から見たらそんなのでいいのか、楽しくないだろうって思われても、本人が選んでるなら、それは自由でしょう?人生を選べることが自由じゃないですか?」と、いうようなことを、レストランのシェフの家で娘、ゆかに語っていたシーンがありました。(セリフ通りではなく、意味でとらえてください)

これを聞いた時、とても潔いと思いました。

なぜなら、今この時代「何ものかになれなくて、本当の私は何?」と自分探しをする人は後を絶ちません。
何かを選ぼうとして、何も選べない人が多いのです。

セラピーでも、そんなお悩みのクライアントさんは、少なからずいらっしゃいます。

実は、20代の私もそうでした。

今の時代は、何ものかになること、人生の成功こそ、上位の価値のような幻想があります。

しかし結果として、みね子が言うのと反対の「不自由な人生」に縛られるというパラドクスが生じています。

みね子は、何かに「なろうとしない」選択肢があることを教えてくれたのかもしれません。

◎ ドラマの中のそれぞれの人生像

登場人物にはそれぞれ物語があり、人生の群像のようなドラマでもありました。

みね子のおじの宗男がインパール作戦で英兵に出会って助かったことが、後のビートルズとつながったり
寮の舎監だった愛子さんは、戦死した婚約者を忘れられず、独身を貫いていました。     彼らは、とても明るい人たちですが、背後に戦争の影を背負っていました。

同僚だった澄子は、田舎からばあちゃんを呼んで同居したら、ばあちゃんは結局、田舎へ帰ってしまったり。ばあちゃんも、どう生きるのか、自分で選んでいるわけです。

最終回に近づくと、かつての工場長が、電気工事会社の社長兼作業員になって現れたり、
寮の食事を作っていたカズオさんが、カレー屋をやっていたり、一時の人生の先には、何かが続いていることを見せてくれました。

ちょっと不自由だったのは、家の事情でみね子と別れた島谷君だったかもしれませんが…。

一見平凡に見えるかつての工場の寮仲間も、みんな肯定的に描かれていました。

皆がそれぞれの人生を生きていることにおいて、それぞれがその人生の主役でした。


◎ 「みんな一緒にがんばっぺ」

このドラマの1960年代のあと、70年代始めには、ドリンク剤の「がんばらなくっちゃ~」を繰り返すCMソングが哀愁を帯びて共感を呼び、80年代後半のバブル終焉期には、ビジネスマンをヒーローにして「24時間、戦えますか」ががんばるシンボル。ドリンク剤に代弁させていました。
そして、今、21世紀の今、過労死が問題になる時代。

これらの「がんばる」は、一人で背負っています。サポートがドリンク剤ですから、孤独です。

そして、自分で選んでいません。みんな働か「されて」いるわけですから。

そんな今の私たちへ 60年代のみね子のメッセージが

「みんな一緒にがんばっぺ」。

がんばるのは、みんな一緒に。

大物女優の節子さんもマスコミの取材攻勢から逃げて、そのまましばらく茜荘に住むことにしたのは、おそらく仲間といる楽しさ、心強さに替えがたかったから。

ようやく売れっ子になった漫画家二人組も、茜荘から離れない。

ひよっこにはまった視聴者がロスなのは、共有した「一人じゃない」感覚が失われて、寂しいからかもしれません。

そんなあったかさは、「愛」でした。

だから、ただの「がんばっぺ」じゃない。

「みんな一緒に、がんばっぺ」

決して一人じゃないからね。

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