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人事評価不要論/川口 雅裕

INSIGHT NOW! / 2017年10月13日 14時15分


        人事評価不要論/川口 雅裕

川口 雅裕 / 組織人事研究者

評価制度の目的は、三つあるとされている。一つ目は適切な処遇(給与・賞与など)の決定であり、二つ目は成長促進、三つ目はモチベーションの向上だ。目標を定め、一定期間を経て結果・経緯を評価することによって、賃金や等級を決定するとともに、更なる成長や意欲的取り組みを促す。目的は「適切な処遇の決定」「成長促進」「意欲の向上」であり、評価制度はそのための手段であるというわけだ。

手段が目的化しないよう、常に戒めが必要だ。しかし現実には、評価(の公平性や納得性を高めること)は、多くの人事部やマネジャーの目的になってしまっている。目的はあくまで、「適切な処遇の決定」「成長促進」「意欲の向上」であり、これらは企業経営にとって極めて重要だが、それらが実現するのであれば手段は評価でなくても構わない。これら3つの目的の実現に寄与していないのであれば(そう感じている企業が多いと思うが)、評価という手段が間違っているか、評価という手段だけで実現しようとするのは無理があるのではないかと考えられる。

一つ目の目的である「適切な処遇の決定」は、予算配分と同じような方法で可能だ。期初に部門ごとに事業で使う費用・投資額を決定するのと同様、部門ごとに人件費総額を割り当て、個別の配分額(誰をいくらにするか)や配分方法は部門長に一任する。点数やランクもつけない。そして、そのプロセスや結果には経営も人事部も関与しない。経営や人事部よりも、本人を近くで見ている上司の判断の方が的確だろうし、近くで見ている人が下した判断なら本人も納得しやすいからだ。もちろん、部門長の判断に対する不満も出るだろうが、そのような時にだけ関与・調整できるように「不服審査」の仕組みを備えておけばよい。

それでは公平性が保てない、という反論もあるだろう。横並びで見たときに、同じような業績・役割・能力なのに高すぎる、低すぎるといった現象が起きるという主張だ。確かにそうなる可能性は高い。しかし一方で、公平性を保つための関与や調整は、それを重ねるほどに「どうしてその結果になったのか」が分かりにくくなるために不透明感が増し、また調整による結果の変更は、上司の意向を退けるものであるから現場の納得性も低下してしまう。「公平性」と「透明性・納得性」はトレードオフの関係になりやすい。よく、「評価制度は、公平性と透明性と納得性が重要」と言われるが、これらをバランスさせるのは不可能に近い難題である。であれば、「公平性」と「透明性・納得性」のどちらを重視するか(=処遇のポリシー)を明確にすべきだ。言い換えれば、“働く人(のやる気)本位”か“本部(の気持ち良さ)本位”かの選択である。「透明性・納得性」が低下しても、「公平性」を保つべきという人はいないだろう。

二つ目、三つ目の目的である「成長促進」や「意欲の向上」は、本来的にはマネジャーとメンバーの間のコミュニケーションの質・量によるところが大きい。それをないがしろにしたままでは、いくら立派な評価制度や「評価基準書」「等級定義」などを作っても、成長促進や意欲の向上は望めない。上司と部下が言動・仕事振り・成果を折に触れて振り返り、強みや課題・改善点を共有したり、上司から部下にその役割や使命を全うするための動機付けが適切に行われたりしているかどうかが、成長度合いや意欲を左右する。逆に、「評価基準書」や「等級定義」を提示し、それに基づいて評価するようにしたら、皆がそれを目指して意欲的に頑張るようになり、成長していくといった話は聞いたことがない。

このように、評価制度の3つの目的は他の手段でも実現できるし、他の手段のほうが効果的でもある。さらに、評価にはコストがかかり過ぎており、コスト・パフォーマンスが悪すぎる。評価制度の現実は、おおむね次のようなものだ。

まず、職種別・階層別に求められる能力や成果等が記述されている「評価基準書」「等級定義」といった評価の根拠となるものが作成される。それらを点数やランクで表現するためのガイドラインも設定される。これらが評価制度だが、前述したように(当然の成り行きとして)なかなかうまくいかないので、マイナーチェンジや改定を人事部は日常的に検討せざるを得ない。運用に当たっては、「目標設定シート」「評価シート」が半年ごとに配布され、まずは、自己評価として本人がS~Dなどのランクや点数と、その評価を行った理由を記載して上司に提出する。上司はこれを受けて部下と対話し、一次考課を実施。その上の上司が二次考課を行った上で、人事部に提出する。人事部はこれを集め、全社の調整を行う役員クラスの会議にかけるために、点数やランクの分布、平均、部門別のバラツキなどがわかる資料を作成する。突出した点数やランク、何か気になる点があればその会議に向けて部門長などにヒアリングを実施する。数度の役員会での調整が終わると、上司が本人へフィードバックするためのシートが作成・配布され、全員に対して評価結果を伝える面談が行われる。もちろん、現場からは様々な質問や不満などが人事部に寄せられるから、それに回答するのも大変だ。ここまでで、約1ヶ月が経過する。全社を巻き込んだ大イベントで、本人・上司・人事・経営陣が多大な労力をかけて決定されている。

「評価」に、そこまで大変な労力をかけるほどの価値があるのかどうか。点数やランクを付けたり調整したりするのに、そこまでのコストをかけているのが果たして生産的かどうか。企業経営にとって、「適切な処遇の決定」「成長促進」「意欲の向上」は重要だが、それを実現するために、評価制度やその運用を改善しようというアプローチは、ひょっとして間違っているのではないか。そういう発想をしてみるべきだ。評価は目的ではない。また、目的に対して評価という手段の改善が効果的なアプローチであるとはとうてい思えないのである。

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