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【5/10〜5/16の運勢】5月3週目の運勢はどうなる?SUGARさんが贈る12星座占いをチェック!

isuta / 2021年5月10日 12時10分

isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。


2021年上半期の運勢も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡


2021年上半期の運勢

今週のおひつじ座の運勢


illustration by ニシイズミユカ




利己主義あっての利他主義



今週のおひつじ座は、思いやりや責任に基づく「ケア」ということを実践していくような星回り。


温又柔『魯肉飯のさえずり』における主人公は、「聖司さんにばっかり甘えてたくないの」「わたしにもできることがきっとあると信じたい」と提案しますが、それに対して夫の聖司は「お金のことは気にするなよ」「桃嘉に甘えられるのが嬉しいんだよ」と答えています。


彼女が言いたかったことが夫の聖司にはまるで伝わっておらず、「桃嘉は軽い絶望をおぼえる」。彼女は夫の自分へのケアを愁訴し、彼の言動にそれが欠如していることに傷ついている訳ですが、それでもそういう夫の主観が形づくる世界になびいてしまうのではなく、彼女なりにこうした脅威に抵抗することができています。


つまり、彼女自身がひとつのケアの倫理を能動的に具現化することが出来ている。その意味で、桃嘉は「ケアの人」としてあり得ているのだと言えるでしょう。あなたもまた、みずからが実現したい世界を象徴する原理を、何よりもまず自分自身が体現していけるかどうかが問われていくことでしょう。


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今週のおうし座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



戦慄と儀式



今週のおうし座は、自身をひとつの媒体にして振動させ占いをしていくような星回り。


「戦慄のかくも静けき若楓」(原民喜)で詠まれている「楓」は、作者が少年時代から親しんでき自宅の庭の楓だそうで、しばしば夢想の対象となってきたのだそう。掲句は広島に落とされた原爆の被爆数日前の作で、「戦慄」の一語は自身の運命への予感をなまなましく伝えてくれています。


作者は一命はとりとめたものの、家はその後の火災で焼失。その後、作者は原爆投下の惨状をメモした手帳を基に小説『夏の花』を書き上げ、今日でも原爆投下の状況をリアルに、そして詩的に表現した作品として評価が高いのですが、そこには被爆直後に「遂に来たるべきものが来た」と「さばさばした気持」で事態を受け入れるという描写が出てきます。


そして一方で、作家として「このことを書きのこさねばならない」と決意した後、避難の過程で想像を絶する被爆の実相を目の当たりにしていくのです。あなたもまた、作者ほどではないかも知れませんが、「来るべきもの」が訪れる予感に少なからず触れていくことでしょう。


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今週のふたご座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



文明とは逆の側に立ってみること



今週のふたご座は、自分を超える存在の一部となっていこうとするような星回り。


太陽女神(アマテラス)の弟であるスサノオは大変な乱暴者であったため、死者の領域である根の国に追放されるのですが、その途中、その土地の首長夫妻が悲しんでいるのに遭遇。わけを聞くと、土地に住む大蛇が毎年いけにえを要求し、今年は自分たちの娘が犠牲者に選ばれてしまったというのです。


スサノオは、大蛇にしこたま酒を飲ませて酔わせたところに斬りかかり、激しい戦いの末にこれを倒します。倒された大蛇の体内からは、見たこともない剣があらわれ、剣と首長の娘を手に入れたスサノオは、出雲に住まいを定めて王となるのです。


この日本神話で大蛇は、自然の奥に隠された力を象徴しており、人間を脅かし食べてしまう「人食い」なのですが、乱暴者であったスサノオはそんな人食いと親和性があったため、面と向かって戦うことができた。「剣」はそんな自然の力そのものであり、スサノオの手にわたることで、単なる首長をこえた王権が誕生したのです。あなたも、どうしたら自分という存在を適切に循環させていくことができるのかということがテーマとなっていくでしょう。


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今週のかに座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



扉をあけるように



今週のかに座は、不意に未来への希望が開けていくような星回り。


「初夏に開く郵便切手ほどの窓」(有馬朗人)は、内部からなのか外部からなのかは分かりませんが、少しだけ開いた窓を見ているのでしょう。ささやかな郵便切手に喩えられているのですから、ずいぶんと大きな建物のようです。


切手は手紙とともにさまざまな宛て先に届けられるものですが、作者もまた開かれた窓を誰かに宛てられたもののように感じたのだと思います。初夏という季節の清新さや、差し込む光のまぶしさから、そんな窓の先に広がる未知の空間への期待感が自然とふくらんでいることが示されていますね。


もしかしたら、掲句の切手=窓の宛て先は、未来の自分自身なのかも。そうだとすれば、そこには一体どんな文面が綴られているのか。あなたもまた、そんなすこし先の未来の自分自身へ宛てた希望や願いを自分なりに明確にしてみるといいでしょう。


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今週のしし座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



大きく飽きる



今週のしし座は、何らかの“死”に至るまでどう生きるべきかを改めて真剣に問い直していくような星回り。


RADWIMPSの曲「おしゃかさま」では、「神様」「来世」「天国」「地獄」などの言葉がこれでもかと使われつつも、それらを作ったのは人間の方であり、そうした人間はきわめて欺瞞的な存在。そして「馬鹿は死ななきゃ治らない」と結論づけられています。


しかし同時に「僕」は自分が「いてもいなくなってもいけない」とも感じており、たとえ「馬鹿」であるとしても実際に「死」が訪れるまでは「現世」を生きなければならないのだと絶望しているのです。


しかし、そんな絶望は真の意味で考えるということのスタート地点でもあります。神様にも絶望している「僕」が発した「ならば どうすればいい?」という問いに誰かが答えてくれることはありえず、言わばその問いに、「僕」は生まれて初めて真剣に苛まれ始めているのだとも言えます。あなたもまた、自分の手でみずからに終わり方を提示していくことがテーマとなっていくでしょう。


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今週のおとめ座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



自然に信じられるもの



今週のおとめ座は、誰か何かの官能性に生かされていくような星回り。


「夏星や草木に人の息かゝり」(飯島晴子)は、どことなく芭蕉の「夏草や兵どもの夢の跡」を思い出させる一句。こちらはかつて奥州平泉で栄華を誇った藤原氏や義経への手向けとして詠まれた鎮魂歌で、人の栄華の儚さが主題でしたが、掲句はそれを意識しつつも、正反対の方向へと意識を向けているように思います。


つまり、生い茂った草木には生きた人間の吐いた息がかかっており、それは夢やまぼろしなどではなく、間違いなく今そこある生きた人間の営みに他ならないのだと。


その際「夏星」という季語を配することで、かえって息が植物にかかるという掲句の情景には人間の身体の官能性が強調されており、現になまなましく実感されるものこそが真理であり、啓示なのだという気付きにどこまでも貫かれています。あなたもまた、自分にとって信じられるものとは何かということが、改めて突きつけられていくはずです。


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今週のてんびん座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



危機と乗り越え



今週のてんびん座は、真の悲劇とは何かということに想いを巡らせていくような星回り。


人生には怪我で片目を失うとか、火事で家を失うといった決定的な転換を求められるような事態が起きることがあります。ただパスカルは、妻子を失って悲嘆の底にある男が、いま自分の賭けた馬がスタートしたというだけで数分間有頂天になっていた様を描き、人間の悲しみが一見深そうに見えて、じつは底の浅いものであることを辛辣に結論しています。


怪我や事故といった事態は大抵の場合、唐突に、ないし運命的に訪れるがために、じつは案外割り切れやすい悲劇と言えるかも知れません。そうした場合、苦悩の方向も範囲もはっきりしているがために、打撃は直接な代わりに単純なものとなるでしょう。


そしておそらく、人生には、それよりも目立たず、平穏でなだらかな形をまとっているものの、はるかに決定的な岐路が伏在しているに違いなく、こちらの方が悲劇と呼ぶにふさわしく、人は弱点を突かれて人間らしく悩むはず。あなたもまた、平穏さの覆いに隠されていた思いがけぬ“つまづきの石”に気が付いていくことになるかも知れません。


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今週のさそり座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



ささやかな救い



今週のさそり座は、自分が見たいものを誰か何かの中に見出していくような​​​​​​​星回り。


「夏草に鶏一羽かくれけり」(福田把栗)という句は、明治35年作。作者は日本新聞社の社員で、正岡子規とも同僚でした。とすると、掲句のような光景も東京ないしその郊外だったのでしょう。明治の東京ではまだこうした景が日常的に見られたのです。


庭で放し飼いにしている鶏がすっかり隠れてしまっているというのですから、生い茂った夏草の豊かな量感が伝わってきます。もちろん鶏はペットというより、まず卵を取り、もしもの時にはその肉を食べるために飼われていたはずですが、掲句の印象ではそれと同時に、庭で遊んでいる姿を見て、作者は疲れた心を休めていたのではないでしょうか。


あるいはそれは、世俗から離れられない自分とは異なる、もう一人の自分、「隠者」として想いのままに探究に打ち込んでいる自分の姿でもあったのかも知れません。あなたもまた、心の奥底に潜んでいるもう一人の自分を解き放っていくことがテーマとなっていくでしょう。


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今週のいて座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



破れ目きたる



今週のいて座は、いつの間にか失われていたすき間や余白がそっと差し込まれていくような星回り。


文鳥の記憶をめぐる小沼丹の小説『十三日の金曜日』では、主人公は或る日、戦死したはずの友人を見かけて声をかける。友人は手を振ってくれたものの、人に確かめたらもう死んだと言われたことを思い出す。午後から学校へ出勤し、電車に揺られていれば風呂敷包みを頭に落とされる。今日は十三日の金曜日だと話す声がする。着けば、上着に財布を入れ忘れた妻への悪口が外へ漏れて人を驚かせ、そこで話は唐突に終わる。


振り返ってみれば、文鳥という言葉一つでて来ない。それに、いかにも小説のためと言わんばかりの、取って付けたような移動があるだけの小説で、ここでは何かが破れている。破れているのは現在や過去といった時制だろうか、それとも自他の境界線だろうか、あるいは虚構と現実の区別だろうか。


生きていれば、そういうこともある。今週の金曜日は14日だが、その代わりに12日には一切が暗闇に沈む新月がある。新月もまたひとつの破れ目と言えるだろう。あなたもまた、不意に差し込まれてくるものを流すのではなく受け止めていくべし。


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今週のやぎ座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



GO STRAIGHT



今週のやぎ座は、明確かつ素朴に愛すべきものに力を注いでいくような星回り。


大地を耕し、四季の日輪のもとで生きる百姓ではありますが、それでも夏の日差しは耐えがたく、真昼の最も日差しが厳しい時は仕事を休み、田畑に出るのは主に朝夕の涼しい時間帯となる。が、仕事の多い時はその強い日差しに焦がされるような思いをしながら働きに出なければならない。


「昼寝起焦げるが如き草履はく」(桜井土音)では、朝ひと働きした農夫が、昼飯後の仮眠から醒め、烈しい光の中に脱ぎっぱなしにしたままの草履をはいている。日を吸って灼けつくような熱さになった草履を結びつけて、再び農夫は歩いてゆく。


掲句は「焦げるが如き」という表現が実によく効いている句で、百姓生活の中からでなければ生まれてこない感銘が、すこぶる強い力をもって迫ってくるのを感じます。あなたもまた、自嘲や嘲笑など余計なことにエネルギーを使わず、ひたすらまっすぐに自分の道を歩いていくべし。


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今週のみずがめ座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



何かがおかしいはたいてい正しい



今週のみずがめ座は、面倒で不安な作業にこそ打ち込んでいこうとするような星回り。


哲学者のバートランド・ラッセルは、「幸福をもたらすもの」というエッセイのなかで「この世の有益な仕事の半分は、有害な仕事と闘うことから成りたっている」という意見を披露していますが、一方で私心や下心のない好奇心を持つことの大切さについても強く説いています。


いわく、人は自分の利害に関係のあることだけに熱中し、それが人間の活動全体のうちでいかに微々たるものかを忘れがちであると指摘した上で、「知識を身につける機会があれば、たとえ不完全なものでも無視するのは、劇場へ行って芝居を観ないのと同じだ」と述べるのです。


確かにこの世界は、悲劇的かつ喜劇的であるばかりでなく、奇怪な、また不思議な物事に充ちており、「世界の提供するこの壮大なスペクタクルに興味を持てない人びとは、人生の差し出す特典の一つを失っている」のかも知れません。あなたもまた、そんなラッセルの助言に従って、差し当って自分の利害に直結しないだろう物事や知識へ積極的に手を伸ばしてみるといいでしょう。


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今週のうお座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



正気と狂気のはざまにて



今週のうお座は、思いがけず正気に戻っていくような​​​​​​​星回り。


「五月病草の匂ひの手を洗ふ」(村上鞆彦)では、「草の匂い」とあるので、庭の草むしりでもしたのでしょう。自分の心身の調子はままならなくても、庭の草木くらいなら何とかできる。というより、草むしりという純然たる肉体労働に徹して全身に汗をかいているうちに、自分があんなに憂鬱で身体がダルかったのが嘘かまぼろしのように思えてきたのでしょう。


そんな時、例えば掲句のように手を洗っている時などに、不意にこんな想いが湧いてくるはず。「おかしいのは会社や学校に行けない自分の身体の方などではなく、むしろ不自然さや違和感を覚えているにも関わらず命令を中止できない頭の方なのではないか」、と。


そう考えると、「五月病」というのも人間が正気にかえるための一つのきっかけなのかも知れません。あなたもまた、何か間違っていて何が正しいのかという構図を思い切って反転させていくべし。


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