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【5/24〜5/30の運勢】5月5週目の運勢はどうなる?SUGARさんが贈る12星座占いをチェック!

isuta / 2021年5月24日 12時30分

isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。


2021年上半期の運勢も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡


2021年上半期の運勢

今週のおひつじ座の運勢


illustration by ニシイズミユカ




アウトサイダーでちょうどいい



今週のおひつじ座は、身体が潜在的に向かいたい方向へと赴いていこうとするような星回り。


人間は極限状態に置かれると、身体のエネルギーが自然と増大し、日常的には知覚や理性、常識といった枠組みに覆われて意識さえしていなかったものが溢れ出していきます。メスナーという人は、人類で最初に無酸素で8000メートル級の山を全て制覇した伝説的人物ですが、その著書には極限状況がどんな感覚をもたらし、何が鍵となるのかについて書かれています。


「あの頂上間近で目覚めていたのは私の脳ではなかった。むしろ腹の奥深く、肉体のずっと奥にまだセンシブルな何かがあったのだ。」「本質的な役割を演じられるのは山の高さではないし、ルートの何度ではさらにない。登山から得られる経験にとって決定的なのは開かれた感性だと私は思う。そして例外的な場合であるが、人間存在の極限的領域に踏み込むことだと思う。」(ラインホルト・メスナー、『死の地帯』)


あなたもまた、メスナーにならって「開かれた感性」をもって、ここぞというところで「踏み込むこと」を選択していきたいところです。


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今週のおうし座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



殺すと捨てるのワンセット



今週のおうし座は、瞬間的に汗がひくような思いや感覚を味わっていくような星回り。


「鼈のくびきる夏のうす刃かな」(飯田蛇笏)という句は、「鼈(すっぽん)のくびきる」だけでもハッとさせられる出だしですが、つづく「夏のうす刃(ば)かな」という表現には、その刃が自分の首へとすべっていくような、思わずヒヤッとするような危うい感覚が込められているように思います。


もちろん、冷静に考えればスッポンの首と自分の首はまったく無関係ですが、想像力の次元では両者は容易に結びついてしまう。首からしたたる汗さえもスーッとひいていくような場面描写のなかに、いのちの手触りを熟知した作者の鋭い感覚が伺える一方、これは実際に他の生物を「殺す」という感覚をごく身近に感じている者でなければ、まず詠むことのできない一句とも言えるのではないでしょうか。


あなたもまた、いつの間にか現代人が喪ってしまった、ひりひりとしたいのちの手触りを取り戻していくことになるかも知れません。


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今週のふたご座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



強さと脆さのはざまで



今週のふたご座は、自分が欲している「調和」の実感を追い求めていくような星回り。


17世紀の大哲学者ライプニッツは、「魂とは何か」という質問に対して、「私は物質のうちにいたるところ付加されている能動的原理を認めるからこそ、物質を貫いていたるところに生命の原理、すなわち表象の原理が広がっていると考えます。これはモナドであり、いわば形而上学的アトムであって、部分をもたず、自然的には生じたり滅びたりすることのないものです。」と書いています。


ライプニッツの思想の中枢概念はこの「モナド(単子)」ですが、これは「アトム(原子)」に代わる物質の究極単位などではなく、あえて言うなら「存在を見るための単位」ということになるでしょう。


つまり彼にとって存在するとは、部分が全体の調和に組み入れられ、部分が部分にふさわしい“居場所”を相互に見出し得ること。そうした調和性や相互性が成立するときの最小の個別化の単位がモナドであり、それこそが魂の在り方に他ならないのだ、と。あなたも、改めて調和的な相互性を見出し得るような“居場所”に立っていくべく、それに必要不可欠なコミュニケーションをとっていくべし。


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今週のかに座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



生活を洗い流す



今週のかに座は、動きながら瞑想状態に入っていくような星回り。


「夜業人に調帯たわたわたわたわす」(阿波野青畝)は、昭和9年に詠まれた句。「夜業人」は“やぎょうびと”、「調帯」は“ベルト”と読む。おそらく作者自身が、工場労働の夜勤に励んでいるときの経験をもとに詠まれたものでしょう。


納期前のいつ果てるとも知れない夜業のやるせなさも、錆や油の入り混じった工場の空気を開けた窓から吹き込む夜風がいくらか爽やかなものにしてくれたり、機械のベルトが「たわたわたわたわ」動き続ける音にどこかユーモラスに感じることで乗り切ったりしていた。


そして、機械だけでなく自分もまた「たわたわたわたわ」動き続ける何かになったような気がしたか、そのままずっと「たわたわ」し続けていたら、と想像したのでは。あるいは、機械と自分とが「たわたわたわたわする」何かを通じて一体となっていた感覚をどこか懐かしんでいるのかも知れません。あなたもまた、必ずしもクリエイティブでない環境のなかで自分なりの創造性を追求していくべし。


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今週のしし座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



あり得ないことがあり得るとき



今週のしし座は、普段は目立たない背景的なコンテクストの実相をまざまざと看守していくような星回り。


普段生きられてはいるが、ほとんど明示化されることはない習慣的な動作や、技能と環境のカップリング(相互結合)、あるいは、文化を通して伝承され反復されてきた社会的コンテクスト(いわゆる「型」)などなど。


これらをハイデガーという人は「道具的全体性」と呼び、私たちがなんとなく生きていけるのは、そうした私たちのさまざまな活動を可能にしてもくれれば、制約しもするひとつひとつの道具的存在(例えばごみの分別だとか、来訪者にお茶を出すなど)がみずから目立たず“背景”にとどまることによって機能しているからなのだと述べました。


逆に、そうして機能していた道具が何らかの形で利用不可能になるとき、私たちは日常において背景となって働いていた「世界が在る」という語り得ぬ神秘を垣間見ることになり、それを「世界の閃き」と名づけたのでした。あなたもまた、「閃き」という形でふだん自分が生きている「世界」を感じとっていくことになるでしょう。


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今週のおとめ座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



美は継がれゆく



今週のおとめ座は、しみじみとおのれを過去との連続体の中に浸していこうとするような星回り。


「夏潮の今退(ひ)く平家亡ぶ時も」(高浜虚子)は、昭和16年6月1日、旅の途中で門司に立ち寄った際に作られた句。そこで見かけた句碑に書かれた「船見えて霧も瀬戸越す嵐かな」という室町時代の宗祇の句に触発されつつ、そこに土地への挨拶も込めて「平家亡ぶ時も」と詠んだのでしょう。


いま、自分の目の前で夏潮がひいてゆく。壇ノ浦で合戦で平家が亡ぶときもこうだったのでしょう。潮の満ち引きのイメージに平家の興亡の歴史を重ねると同時に、また自身の巻き込まれている対人関係もそこに託していたのかも知れません。


現在を生きている私たちは過去と切り離されて生きている訳ではなく、つねに過去とのつながりのなかで、死者たちとの共同体を生きており、知らず知らずのうちに彼らの意思をみずからのそれと混ぜ込みながら、より強い意志や欲望を生成させているのでは。あなたも、かつて滅びていった者たちの中にあるべき自分自身の姿を再発見していくべし。


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今週のてんびん座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



カオスをまとって秩序を織りなす



今週のてんびん座は、ふと気付くとすぐそばにあったものと改めて出会い、それを自分のものにし直していくこと。


都市のホームレスたちは、人の流れの死角や隙間、所有者がはっきりしない場所などを巧妙に見つけ、段ボールやベニヤ板などで組み立て式の家を造ります。これは考えてみるとすごい能力で、本来なら就職面接などでも高く評価されるべきものだと思うのですが、しかし彼らからすればそれはそれでとんでもないことで、「それじゃあお前さん、代わりにここに寝てみろ」という話でしょう。


段ボールという素材は、流通のための梱包材であり、その都市に住む人びとが日々何を食べ何を使って暮らしているのかということも、段ボールを見ているとある程度分かってきます。だからホームレスの造る段ボールの家というのも、ある意味で都市の無意識から自然と生み出されてしまうものであり、それが何だとか、どれだけ価値があるものなのかと問うべきものではなくて、ある日ふと気付くと、変わってしまっている、という秩序を取り巻くカオスのようなものなのかも知れません。


あなたもまた、自分が常日頃どんなものに取り囲まれ、それに親しんできたのかという答えを不意に得ていくこともあるはずです。


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今週のさそり座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



いきおいのままに



今週のさそり座は、いよいよおのれの生き方死に様を浮き彫りにしていくような星回り。


「斯う居るも皆がい骨ぞ夕涼」(小林一茶)は、実家の遺産配分を意欲的に解決した翌々年に詠まれた句。じつに作者四十八歳。「斯(か)う居るも」という口述風な書き方にも、それまでにはあまり見られなかった直截ないきおいが出てきています。


どこか、生身のままの成仏という密教的な発想もそこに垣間見えますが、こういう居直り方のなまなましさこそが、19世紀前半の文化文政以後の幕末の庶民文化の底流を成していたのであり、作者もまたその格好の体現者の一人でした。


それにしても、夕涼みに街に繰り出す浴衣姿に透けて見えるのは骸骨なのさ、という鮮やかな啖呵の切り方には、この世の無常感を承知しつつ、それでもどう生きるかということへの作者なりの答えでもあったのではないかとも思わずにはいられません。あなたも、ある種のいきおいのままに自身の底の方に流れているものに身を任せてみるといいでしょう。


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今週のいて座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



前提から見直す



今週のいて座は、大らかかつ大胆に現状へ風穴をあけていくような星回り。


アイルランド語の「ラ―ス」とは、その地下には妖精たちの棲家があると伝えられてきた、こんもりと盛り上がったり逆にへこんでいたりする地面の特別な場所の意味。その上に人間が家など建てるなど言語道断とされたのだそうです。


そこは自然の不可侵の領域であり、地下と地上、すなわち、此岸と彼岸とをつなぐ特別な出入り口と考えられていました。これは日本の神社の鎮守の森などで神域とされる場所に近いですが、そうした人間には計り知れない領域が日常世界と地続きに存在しているという感覚は、現代社会では既に喪われつつあるのではないでしょうか。


少なくとも古代ケルト人たちは、そうした場所を人工につくられたものではなく、フェアリーの仕業であると考えていたか、あえて世界にそういう余地を残しておいた訳です。これは通常の日常意識ではまず捉えることさえできないような霊的世界が、土地の形になって顕現している世界観でした。あなたもまた、資本主義や現代文明から喪われつつ感覚をこれを機に思い出してみるべし。


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今週のやぎ座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



いないいないばあっ!



今週のやぎ座は、「ない」されているものを「ある」と強く実感していくような星回り。


「遠きひと近き人など呼びてをりかぐはしきかなあちらの時間」(辺見じゅん)は、どこか夢のなかで死者たちのざわめきを感じているような歌。作者は角川書店の創業者の長女で、春樹の姉にあたり、小説『男たちの大和』の作者でもあります。


「近き人」が亡くなった作者の父や異母妹を思わせる一方で、「遠きひと」のほうは、あえて「人」という漢字を崩して表記されていることからも、すでにこちらの言葉も通じなくなった祖霊や海の藻屑となって散っていった戦死者たちのことでしょうか。死後の世界があるかないかということは、今日表立って語られる機会はほとんどありませんが、どちらかと言えば「ない」と考える人が多いのでは。


それでも、こうした歌を一読し、また声に出して味わってみると、「ある」と考えた方が人として謙虚でいられるように思います。あなたもまた、潜在的にとってしまっているやり取りの真意が、背景の世界観とともにせりあがってくるように感じられるかも知れません。


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今週のみずがめ座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



飛ぶが如く



今週のみずがめ座は、せっかくの立派な企てが、結果的に弱者の抑圧や圧政にならないよう気を付けていくような星回り。


カミュは太平洋戦争の最中である1942年に出版された「シーシュポスの神話」において、神々を二度までも欺いた罰として一個の岩と一つの坂と一つの無意味な作業しか持たず、それらを延々と繰り返さざるを得ないというシーシュポスの置かれた状況に、人類全体の運命を見出しました。


これは不当に貶められ、悲惨な状況にいる人々による、みずからの運命を受容するための戦いとも言えますが、戦後カミュは『抗う人間』において、他人のために人生を捧げ、他人の悲惨さをなんとかしようとして神々に逆らうプロメテウスを主人公として、人間を「現状を否定する唯一の生物」として描き出しています。


こうしてカミュは、最終的にシーシュポスとプロメテウスという二つの像の中間にこそ、人間の運命と将来は託しつつ、受容と抵抗を二つながら持ち続けることができるかがその試金石になると考えたのです。あなたもまた、美への関心と悲惨な状況にいる人びとへの気遣いをいかにして両立させられるかを考えていくべし。


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今週のうお座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



みっともなくも生きていく



今週のうお座は、滑稽と無惨とが相討ちしていくような星回り。


「有る程の少年ジャンプ抛げ入れよ」(中村安伸)は、夏目漱石が三十代で早逝した大塚楠緒子の訃報に接して詠んだ「有る程の菊抛げ入れよ棺の中」を踏まえた一句。


楠緒子は漱石の思い人とされ、その衝撃の大きさは計り知れないものがあったようですが、掲句の場合は単に授業中に読んでいて焼却炉に捨てさせられたか、引っ越しに際して処分しただけのことか。ただ、この「少年ジャンプ」という固有名詞は、ある特定の世代にとって、いち漫画連載雑誌以上の何かを意味しており、今でも少年時代の夢と鬱屈の記憶をその残酷なきらめきと共に思い出させるのです。


その意味で、実際の人死に際して詠まれたものではなかったとしても、むしろそれゆえにこそ、掲句はどこまでも残酷な現実を突きつけてくるように思います。あなたもまた、叶わなかった願いのひとつに自分なりの見切りをつけていくことがテーマとなっていくのではないでしょうか。


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