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【6/21〜6/27の運勢】6月4週目の運勢はどうなる?SUGARさんが贈る12星座占いをチェック!

isuta / 2021年6月21日 11時30分

isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。


2021年上半期の運勢も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡


2021年上半期の運勢

今週のおひつじ座の運勢


illustration by ニシイズミユカ




宇宙的、あまりに宇宙的な



今週のおひつじ座は、「生きること」と「働くこと」をできるだけ分けず、結びつけていこうとするような星回り。


「人びとが、やって楽しいことをやりつつ、心の奥底で自由に生きていられるようにしてくれるなにか。そんなことをやりながら、なおかつ生計がたつ道をひらいてくれるなにか。それは稀少な利益、生命のおくりもの、活動のエネルギー、根源からの利益―人に回復感、興奮、エネルギーの活性化を感じさせる一日の労働。枯渇につながる労働とはべつのもの。」


レイモンド・マンゴーの『就職しないで生きるには』が書かれたのはもう40年以上も前ですが、彼が説いていたのは、ただラクをして生きることなどではありませんでした。そうではなくて、働くことによって人が自由になり、生きる力と歓びを得ること。彼はそうして得られたものを、単にお金を得ることを目的として得た利益と区別して「根源的利益(Cosmic Profit)」と呼びました。


あなたもまた、いつかとは言わず、自分の仕事と生き方が「根源的利益」につながっていく予感を抱いていきたいところです。


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今週のおうし座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



自分で決めた道をゆく



今週のおうし座は、道草や回り道こそ楽しんでいこうとするような星回り。


「緑濃しどうやら道が違ふらし」(奥名春江)は、「緑濃し」と「違ふらし」の音の響きあいが楽しい一句。梅雨の晴れ間に、気持ちがよくなってすっかり繁った青葉を感じながら道を歩いていたら、どうも見知ったルートを逸れてしまったのか、それとも目的地の家やお店をとうに過ぎてしまったのか、とにかく「道が違ふ」ことに気付いたのでしょう。


けれど、おそらく道を違えたかったのではないか。いつの間にか緑がうっかり濃くなっていたように、自分もまたみずからを想定外のところへと突き動かしてくれる何かに身を委ねてみたかった。それがもののはずみであれ、確信犯的な行動であれ、たくましい妄想であれ、仕事への情熱であれ、自分が何かに生かされているという証しとなれば、何だっていいのです。


そういう自分でいられることこそが、きっとほかの何よりもあなたが通るべき「道」なのでしょうから。あなたもまた、そうした「もののはずみ」や「ふと」、「たまたま」の訪れをこそ大いに感じ取っていきたいところです。


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今週のふたご座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



ツッコまれ待ち



今週のふたご座は、自分自身に何が足りないのかということを、痛感していくような星回り。


かつて男性4人を射殺した罪で逮捕された死刑囚の永山則夫は、事件から3年後の公判途中に出版した手記『無知の涙』の冒頭で、「私は四人の人々を殺して勾留されている一人の囚人である。殺しの事は忘却できないであろう一生涯。しかし、このノートに書く内容は、なるべくそれに触れたく無い。何故かと言えば、それを思い出すと、このノートは不要に成るから……」と述べました。


永山は被害者については一切記述しませんでしたし、どうして自分が人を殺したのかということについても、ただただ貧困と断言し、そうした貧困を無くすための「革命」を長々と訴えていくのでした。しかし、そうした長大かつ尊大な主張よりも、みずからの殺人を思い出すと、このノートが書けなくなってしまうという弱弱しい記述の方が、よほど雄弁になにかを物語っているように感じる人は少なくないのではないでしょうか。


人はなぜ、みずからの罪や悪に向き合えないのか。それは加害者のくせに被害者面するなということではなく、そこには実存の手触りが圧倒的に足りないのです。あなたもまた、そんなふうに自分自身の実存をとらえなおしてみるといいでしょう。


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今週のかに座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



いのちのふれあい



今週のかに座は、純粋さを共有できる関係性こそ大切にしていくような星回り。


「月に酌む生死を分ちあふものら」(福西正幸)はいわゆる戦争俳句と呼ばれるもので、この句も主に作者が実際に大陸の戦地の真っ只中にいるあいだに詠まれたもの。上層部からすればたかが兵隊の一人に過ぎない存在であったとしても、みなぎる緊張を少しでも和らげようと、月に向かって酒を酌み交わしあった相手は、互いにどこにでもいる同世代の若者に他ならなかったのでしょう。


兵士たちは全体の日本人たちのように、簡単に平和への、民主主義へ転換することもできず、急転していく様相の街にあって、楽しまず、働かず、苦しみ、悩んでいきました。みな好きで戦争をした訳ではない。一途に祖国のため、一緒に戦っている同胞のため、そして残してきた家族のために戦ってきただけだった。ただそれだけだったのです。


その意味で、掲句は今ではすっかり失われた、純粋にいのちを賭けた者同士がおのずから共有していた潔さが、かすかに残り香のように漂っているように感じます。あなたもまた、そうしたある種の清々しさをこれはと思った関わりにもたらしていきたいところです。


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今週のしし座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



愚かで素直な自分から始めよう



今週のしし座は、ギリギリのところでいかに正気や健康を保っていけるかということに、絶妙にアプローチしていこうとするような星回り。


2010年にNHKが製作した特集ドキュメンタリーをきっかけに「無縁社会」という言葉がネットを中心に大きな反響を呼び、その年の流行語にもノミネートされました。人びとは自己の生の意味を自分ひとりで見つけ、自分だけの人生をつくり出すことを余儀なくされ、それまで以上に「個人」であることを求められるようになっていった訳です。


あれから10年以上が経過して、社会はどうなったか。期待された「自立」を果たそうと懸命に努力してきた人ほど、その裏で身体的、心理的な問題を抱えていたり、慢性的な中毒症状に悩まされていたり、なにより、躁うつ病を発症したり、公表する人もだいぶ増えてきたはずです。


つまり、「自立」は幻想であって、かえって依存に受容的でいられる人ほど有能だったり、健全でいられるということが、だいぶ明らかになってきたのではないでしょうか。あなたもまた、そんなに立派な人間にならなくてもよいのだということを改めて再確認していくことになるはず。


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今週のおとめ座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



気力を養う



今週のおとめ座は、気が乗らなかったら、休んだり遊んだりすればいいじゃない。


「休んだり休まなんだり梅雨工事」(高浜虚子)は、昭和十三年六月二十日、とある料亭に招かれての作。思わず、道路にしろ建物の改装にしろ、今どきの工事ってどんな具合だったっけとぼんやり考えずにはいられない一句です。


資本主義の原理にのっとれば、人目を避けた夜中にさっと済ませるか、一人当たりの労働時間が少なくなるよう、できるだけ早く終わらせることを考えるのではないでしょうか。ただ、ほんらい梅雨どきの工事なんて、掲句くらいの具合でやる方が自然なのだという気もします。どうしたって、人間は機械のようにはなれないのですから。


その点、「休んだり休まなんだり」という言い方は、休むのが当たり前みたいなニュアンスが前提にあって、いい具合に力が抜けています。おそらく、関西方面の方言であるという点も、グローバル資本主義的な標準語をずらすという意味で、現代人への有効性を高めているのでしょう。あなたもまた、それくらいの抜け感を身をもって体現していきたいところです。


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今週のてんびん座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



終末幻視



今週のてんびん座は、新鮮な気持ちで一回性の神秘としての人生を向き合っていくような星回り。


平安時代に貴族であった大江定基は、三河守として任国に連れて行った女が病いにかかりついに帰らぬ人となった際、悲しみのあまり昼も夜もなく遺骸に寄り添っては生前のように声をかけ、唇を吸うことまでしていたという。しかし、やがて「あさましき香り」が口から漂うようになって泣く泣く埋葬するに至ったのだそうです。


定基はこれをきっかけに「なぜ他ならぬ自分がこれほどまでに苦しまなければならないのか?」という思いに憑かれて出家し、寂照と名を変えて天台教学と密教を学び、やがて宋に渡海して紫衣と円通大師の号を賜り、そのまま帰国することなく現地で亡くなりました。


つまり、一介の中級貴族を円通大師たらしめたのが愛する人との死別であり、その残酷な運命を朽ちていく死体のなまなましい観取を通じて受け入れていった体験だった訳です。これはある意味で今週のてんびん座にとっても必要なプロセスとして言えるかも知れません。


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今週のさそり座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



命を研ぎ澄ます



今週のさそり座は、底知れぬしぶとさや命の脈動を自身の内部に感じ取っていくような星回り。


「月下美人あしたに伏して命あり」(阿部みどり女)で詠まれている“月下美人”とは、夜に咲く純白の大花。花を開いた月下美人は、しかし「あした(朝)」の訪れとともに、がくりと首を折るようにしてうなだれてしまう。普通であればそこには哀れを見出す訳ですが、当時90歳前後と高齢の作者は、それでもなお根底で脈打つ「命」の鼓動に静かな感動を覚えたのでしょう。


「立てば芍薬、座れば牡丹」などと言うように、女性を花に例える言葉がすぐに思い浮かんできますが、ここで作者はそうしたある意味で月並な構図に留まっていません。


男でも女でもなく、ひとつの生命としてのしぶとさや、たえず形を変えて生き続ける在り様にこそまなざしを重ねているのです。あなたもまた、そんな作者のまなざしを借りて、ひとつの月下美人として自身を意識してみるといいでしょう。


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今週のいて座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



卵と音楽



今週のいて座は、改めて否定性をいっさい持ち込まずに、自分自身を捉えていこうとするような星回り。


表面的には色も形も均質的に見える卵の内部は、実際にはさまざまな分化へ向かっている力線に溢れており、しかしどろりとした流動体でしかない卵のなかみは、それがやがて何になろうとしているのか、はっきりと確認できる訳ではありません。さまざまなゆらぎを含みながら、多様な形をとるために、それ自身はかたちをなしていない、潜在的な力のかたまりとしてそこに在るのです。


ドゥルーズという哲学者にとって、世界とはまさにこのような意味での卵としてイメージされました。そして、そうした世界を生きるとは、未分化な卵の未決定性を生き抜いていくということであり、何にでも成り得るが、しかし安住すべき拠点も定められた目的もない、そうした“生成”であり続けること。


ここで言う“生成”とは、新たなものが生み出されていくある種の流れであり、ドゥルーズはそれを連続性をもったメロディーのようなものとしてイメージしていました。あなたもまた、誰にもマネできず、分析(分解)しきることのできない固有のメロディーとして自分を捉えて、その流れにのってみるといいでしょう。


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今週のやぎ座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



物語を人間化にあたって



今週のやぎ座は、ありないような出来事ほど受け入れていこうとするような星回り。


「明け易き戸を焦したる放火かな」(増永徂春)は、昭和初期のころの作。大意としては、すっかり明けるのが早くなってきた或る夏の夜、家につけ火をした者がいたが、それは大した火事にもならず、ただ戸を少しばかり焦がしただけであったというもの。


なんとも物騒な話ですが、どこか軽みがあるために、すんなりと受け止められてしまいます。同じように大事件を軽く見るのでも、昨今の政治家のように無責任な印象を受ける場合もあれば、掲句のようにむしろ人間としての太く揺るぎないふところの大きさを感じさせる場合もあるのですから、不思議です。


おそらく、これは作者の特質というよりも、当時の社会がもっていた大らかさに依る部分が大きかったように思いますが、それでも現代ではもはやこうした句がぽんと詠まれることはほとんどないではないでしょうか。あなたもまた、さながら肥え太った満月のように、いつもより少し気を大きく持ってでんと構えていくべし。


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今週のみずがめ座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



夢のまにまに



今週のみずがめ座は、退行の時代を生きる私であるような星回り。


約500年前にトマスモアはまだどこにも存在しない未来の理想郷としての「ユートピア」を構想し本にしましたが、社会学者のジグムンド・バウマンは現代においては、そうしたモア的なユートピアを二重に否定した「レトロトピア」すなわち、もはやどこにも存在しない過去の理想郷が人々のなかに出現しつつあるのだと喝破しました。


つまり、まだ到来していないがゆえに存在しない未来と結びついて存在していたものに代わって、失われ、盗まれ、投棄されてはいるものの、完全に死んではいない過去の中から複数のヴィジョンが出現し、それが積極的に自分たちの生きるべき世界として選択し直されているのだ、と。


このまま社会が過酷な競争原理の働きや人間関係を解体する無縁化の荒波を解消できなければ、慢性的な不安状態に陥った人びとは、自己を脅かす他者の存在せず、そもそも自他の区別さえも曖昧な自己充足状態をもとめて、ますます過去への憧憬やノスタルジアが広がっていくのかも知れません。あなたもまた、ひとりの“時代の子”としての自分自身を実感していくことになるでしょう。


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今週のうお座の運勢

illustration by ニシイズミユカ



この世の行き帰りを想う



今週のうお座は、よくもわるくも周囲から浮いてしまって後戻りできなくなるような星回り。


「孤(みなしご)の我は光らぬ蛍かな」(小林一茶)は作者五十八歳のときの句ですが、まえがきには「桐壺源氏三つのとし、我も三つのとし母に捨てられたれど」とあります。『源氏物語』の光源氏が母の桐壺更衣に三歳で死別したことを受けて、自分も三歳で母をなくしたことにかけている訳で、つまりは掲句の「光らぬ蛍」という言い方の前提には、「光源氏」のイメージがあるのでしょう。


感傷的ないじけ句かと思いきや、しかし「光らぬ」という言い方をすることによって、一匹の蛍の存在が逆に鮮やかに浮かび上がってもくる、じつに秀逸な句とも言えるのではないでしょうか。


光らないけれど、光の敷物の上でに置かれているような印象で、ここには孤独な個体としての、切ないほどに明確な存在感をかみしめていくような、どこか深い実存の手触りがあります。あなたもまた、悪目立ちするならするで、とことん自身の実存を発光させていくべし。


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