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山手線にも「起点」と「終点」がある 正しい“環状線”はどこに?

ITmedia ビジネスオンライン / 2024年6月27日 7時51分

 貨物のための路線は、東京圏の拡大により旅客輸送に重点が置かれるようになり、その後非常に混雑する路線になっていく。こうして環状線としての山手線が誕生した。

 だが、〇〇区間は△△路線、という形で決まっていた。例えば、東京駅から品川駅までは東海道本線であり、東京駅から田端駅までは東北本線である。山手線は、そこに乗り入れていることになっている。路線としての山手線の終点は、田端駅である。田端駅まで来た時点で別の路線と接続し、乗り入れるという形態をとったのだ。

 そんなわけで、個別の路線としての山手線は、品川駅を起点とし、田端駅を終点とする。一方、線路はそれぞれに敷かれている。そうでないと多くの本数をさばけないからだ。

●環状になる時期が遅かった大阪環状線

 一方の大阪には、JR/私鉄含めターミナルがいくつもある。大阪環状線の内側にも、私鉄のターミナルは見られる。

 現在の大阪環状線となる路線は、まずは天王寺駅から玉造駅までが1895年5月に、玉造駅から梅田駅(現在の大阪駅)が同年10月に、それぞれ開業した。天王寺駅では湊町駅(現在のJR難波駅)発着の路線と接続していた。

 大阪駅から安治川口駅までの貨物路線は1898年4月に誕生し、1899年5月に大阪駅から福島駅まで旅客輸送を開始した。その後、桜島駅まで路線が伸長。1943年5月には、天王寺駅から桜島駅まで直通列車が運行される。

 環状線になるのは戦後のことである。1961年4月に桜島駅までの路線の途中、西九条駅から天王寺駅までの路線が開業した。ここで大阪環状線という路線名が生まれた。西九条駅から桜島駅までは桜島線となった。

 ただし当時は、桜島駅から大阪駅を経て、京橋駅、天王寺駅、西九条駅とを結んでいた。その後1964年3月に西九条駅が高架化し、新今宮駅が開業。全線が複線となり、完全な環状運転が可能になった。1968年には新今宮駅と天王寺駅の間が複々線になり、関西本線と分離した。

 大阪市の戦後復興計画の中で環状線建設を実施することになり、それがようやく実現したといえる。

 こういった経緯から、大阪環状線は天王寺駅が起点となり、新今宮駅が終点となった。「関西本線の今宮駅にも大阪環状線のホームがあるじゃないか」という声も出てきそうだが、今宮駅には1997年3月まで大阪環状線のホームはなかった。新今宮駅から天王寺駅は、関西本線となっている。

 現在の大阪環状線は、多目的に使用されている。山手線のように全列車が周回しているのではなく、関西国際空港や紀州方面の特急列車が西半分を使用し、京橋駅を出て大阪駅を経由し、関空・和歌山方面に向かう列車もある。大阪駅発着の奈良駅方面への列車もある。貨物列車も大阪環状線を使用する。

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