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「ガリガリ君」はなぜ国民的アイスになった? 赤城乳業が明かした「人気フレーバートップ5」 課題は海外市場の開拓

ITmedia ビジネスオンライン / 2024年9月4日 9時44分

「ガリガリ君」はなぜ国民的アイスになった? 赤城乳業が明かした「人気フレーバートップ5」 課題は海外市場の開拓

ガリガリ君が支持される理由は?

 日本を代表するアイスキャンディー「ガリガリ君」。1981年の発売以来、コンビニやスーパーの定番となり、現在に至るまで売れ筋商品としてヒットを続けている。

 アイスキャンディーなどのいわゆる「氷菓」は、食べているときは涼感があって良いものの、ねっとりとし過ぎていたり、甘すぎたり、しばらくしてかえってのどが渇くような商品もある。それに対してガリガリ君には独特な、かき氷に近いスッキリとした後味があって、のどの渇きも潤う感がある。

 ガリガリ君を製造販売する赤城乳業の本社は埼玉県北部の深谷市にある。「日本一暑い街」として知られる熊谷市に隣接しており、やはり夏は暑い。赤城乳業はかつて「天然氷」で商いをしており、氷に関する知見が深い。酷暑を乗り切るノウハウとして、喉が乾きにくい氷菓を考案したとも考えられる。

 現在、ガリガリ君に使っている氷は、不純物のない溶けにくい「純氷」。雑味のない軟水の氷を削っているので味がストレートに伝わり、ガリガリ食感と涼感が持続する。同社には他にも、「ガツン、とみかん」「ソフ」などといったナショナルブランドを有するが、軽やかでスッキリとした後味は共通した作風となっている。

なお、赤城乳業の社名は、群馬県に近く、赤城山が本社からも見えることから付けたという。牛乳を製造販売したことはないものの、将来的には営む予定だった説もあるらしい。

 深谷というと、新1万円札の肖像画に選ばれた「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一の生家がある。地元は盛り上がっており、隣接する本庄市にある工場見学と、渋沢栄一記念館をセットで観光する人も増えているとのこと。

 さて、今回はそんな赤城乳業の大ヒット商品・ガリガリ君の開発背景と、人気が持続する秘訣を探求していこう。

●オイルショックがきっかけ? かき氷がカップからワンハンドへ進化

 赤城乳業の前身である広瀬屋商店の創業は、1931年までさかのぼる。創業の地である深谷は、中山道の深谷宿として発展した街で、昔から信州との交易が盛んだった。渋沢栄一も若い頃、深谷の特産だった染料となる藍玉の行商で信州・上州を売り歩き、財を成した。広瀬屋は軽井沢の製氷工場から上質な天然氷を仕入れて、JR高崎線・深谷駅前で販売していた。その後、1960年に合資会社赤城乳業と社名を変更し、翌年に株式会社赤城乳業としての歩みを始めた。

 1964年にはかき氷カップの「赤城しぐれ」を発売し、ヒット。店先で氷を削ってもらって食べるのが主流であるかき氷を、もっと手軽に食べられるように、カップにかき氷を詰めた、当時としては画期的な商品だった。

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