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東横線・幻の駅「新太田町駅」と、かつて「3つ」存在した神奈川駅

ITmedia ビジネスオンライン / 2024年12月28日 7時5分

東横線・幻の駅「新太田町駅」と、かつて「3つ」存在した神奈川駅

1901年頃の高島台(高島山)から見た神奈川駅(横浜開港資料館所蔵)

 2004年1月末、横浜高速鉄道みなとみらい線との直通運転開始により、横浜―桜木町間が廃止に。同時に横浜駅が地下に移設され、東白楽―横浜間の線路も地下化された。その線路跡は、今どのようになっているのか、あらためて歩いてみることにした。

●わずかな期間のみ復活した“幻の駅”

 新太田町駅というのはかつて存在した東横線の駅である(現・東白楽-反町間)。案内板は表面が劣化しており、文字が読み取りづらくなっているが、新太田町駅について、次のように記されている。

 「東京急行電鉄東横線新太田町駅は、1926年(大正15年)2月14日に開設され、1945年(昭和20年)5月29日の空襲で被災したため6月1日より営業を休止し、翌年1946年5月31日廃止となりました。その後、新太田町駅跡は、1949年(昭和24年)日本貿易博覧会が反町(たんまち)付近で開催されたときには、会期中(昭和24年3月15日~6月15日)に『博覧会場前』駅として旧駅を利用して臨時駅が開設されたこともありました。」

 廃止後、わずかな期間のみ復活したことから、“幻の駅”とも言われているようだ。

 散歩を続けよう。鉄道廃線跡をたどろうとすると殺風景な景色の中を歩く場合も多いが、この道は「フラワー緑道」というだけあって、色彩豊かなさまざまな草木が目を楽しませてくれる。また、足元を見れば、部分的にではあるがボードウォークにレールがはめ込まれている区間もあり、廃線旅の気分も味わえる。

 新太田町駅跡から300メートルほど歩を進めると、反町駅の手前に、国道1号線(横浜新道)を跨ぐ橋がある。この橋(東横フラワー緑道反町橋)は、かつての東横線の鉄道橋を活用している。

 反町駅を過ぎると、やがて前方に「高島山トンネル」が見えてくる。このトンネルも、かつての東横線の遺構である。『東京急行電鉄50年史』には、高島山トンネル開削時の難工事の様子が、次のように記録されている。

 「高島山隧道(ずいどう)は、当時、関東私鉄では例のない延長173・72メートルの複線隧道であった。当初は、大正15年1月に竣工の予定であったが、竣工まぎわになって隧道頂部に亀裂がはいったため遅れ、ようやく2月14日の開業日に間に合わせた」

●「高島町」という地名の由来

 このトンネルが貫く高島山(神奈川区高島台)は、横浜の実業家で易学者でもあった高島嘉右衛門(かえもん)(「高島易断」の祖、1832~1914年)ゆかりの地だ。嘉右衛門は洋学校「高島学校」の開設や、ガス事業をはじめ、都市としての横浜の形成期に大きな功績を残した、「横浜の恩人」の1人ともいわれる人物である。

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