1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. IT
  4. IT総合

予定調和をぶっ壊す『戦隊大失格』をレビュー&考察 『鬼滅の刃』や『ジョーカー』との意外な共通点とは? “バーンアウト”と“階級社会”に抗うヒントがここに…!?

Fav-Log by ITmedia / 2024年6月22日 8時15分

『戦隊大失格』(出典:Amazon)

 大ヒットラブコメ『五等分の花嫁』で知られる漫画家・春場ねぎ氏によって描かれ、現在週刊少年マガジンで連載中の戦隊アクション漫画『戦隊大失格』。春アニメとして登場すると、その予測不能な物語に多くのアニメファンが魅了され、今注目の1作となっています。

 戦隊ものをパロディとして扱いつつ、主人公が怪人側の戦闘員Dという下っ端。ヒーローではなく怪人、幹部ではなく下っ端という一風変わった設定で進行していく物語です。今回はそんな予定調和をぶっ壊していくTVアニメ『戦隊大失格』の魅力を考えます。

●『戦隊大失格』のレビュー&考察:怪人とドラゴンキーパーの関係から見える「階級問題」

 『戦隊大失格』が興味深いのは、悪の軍団「怪人」と人類を守る「竜神戦隊ドラゴンキーパー」との戦いは13年前にすでに終わっていて、今行われている戦いは茶番劇であるという設定です。物語開始時点で悪の軍団の幹部はすでに壊滅状態。ドラゴンキーパーは残された下っ端怪人たちに秘密の協定を持ち掛けます。

 協定の内容は、怪人たちの命が保証される代わりに「毎週末、地上侵攻し敗れ散る」というもの。怪人たちは、通称「日曜決戦」と呼ばれるヒーローショーの悪役(やられ役)を担わされてしまったのです。屈辱的な協定ですが、ドラゴンキーパーたちに都合よく使われ、搾取される日々を繰り返す中で、怪人たちはいつの間にかそれに慣れ切ってしまいます。

 主人公の戦闘員Dはそんな負けっぱなしの人生は嫌だと抵抗するのですが、他の戦闘員は聞く耳を持ちません。毎週戦いから戻ると、みんなでラジオを聴いたり○×ゲームをしたりと余暇を過ごして、戦う気力がすっかり奪われてしまっているのです。

 搾取される側の彼らが諦めムードに包まれ、終わらない日常にハマっている様子を見ると、何やら他人事ではないような妙なリアリティーを感じてしまうところがあります。

 そう感じてしまうのは、ドラゴンキーパーと怪人たちの関係性が、戦勝国と敗戦国、持てる者と持たざる者、大企業と下請け企業、ホワイトカラーとエッセンシャルワーカー、先進国と発展途上国など、現実に存在する抗いがたい格差、そしてその格差を埋めることの難しさとつながる部分があるからなのかもしれません。こうした階級移動の難しさは日本を含め現在世界中で見られる現象でもあります。

●『戦隊大失格』のレビュー&考察:戦闘員の諦めムードとつながる若者の「バーンアウト」

 ハーバード大学の政治哲学者であるマイケル・サンデル氏の『実力も運のうち 能力主義は正義か?』という著書の中では、アメリカの深刻な格差の実態に触れられています。

 ハーバード大学やイェール大学など「アイビーリーグの学生のうち、下位5分の1に当たる家庭の出身者は4%にも満たない」と紹介した上で、「勤勉で才能があれば誰もが出世できるというアメリカ人の信念は、もはや現場の事実にそぐわない」と記し、家庭の経済力を無視して努力のみで成功することへの非現実性を指摘しています。

 お隣の韓国でも「スプーン階級論」と呼ばれるネットスラング・ミームが存在します。スプーン階級論とは、個人の努力とは関係なく、親の財力によって社会的地位(経済的地位)が決まってしまうという考え方のこと。親が金のスプーンを持っていれば、その子も金のスプーンを持って生まれ、親が土のスプーンならその子も土のスプーンを引き継ぐというもので、階級移動の難しさを表しています。

 日本でもコロナ・ショック以降、ホワイトカラーとエッセンシャルワーカーの賃金及び待遇格差が浮き彫りになり、子供の貧困や教育格差、体験格差などあらゆる格差が表面化。2021年には新語流行語大賞に「親ガチャ」がノミネートされるなど、世界各所で階級移動の難しさが確認されており、うだつが上がらない怪人たちの日常にシンパシーを感じやすい状況と言えるかもしれません。

 こうした頑張っても報われにくい社会で、やる気を保つのは至難の業です。実際怪人たちと同じように、戦う気力を失いあらゆることを諦めて「燃え尽き症候群(バーンアウト)」状態に陥っている若者は少なくありません。現在バーンアウトは2019年にWHOでも病だと正式に認定されるほど、世界的な課題として認識されています。

 日本では現在親ガチャをはじめ配属ガチャなど、自分の意思ではどうにもできない運名論的な価値観が一定程度普及しており、出世を望まない若者の増加など、ある種の諦観が見られます。「失われた30年」という長い経済的停滞による無気力感も漂っています。

 中国でも競争せず最低限の賃金で生活する「寝そべり族」というライフスタイルが広まり、結婚しない、出産しない、家を買わない、感情を表に出さないなど若者がしない10のことを意味する「十不青年」という言葉がSNS上で流行っている状況です。

 韓国でも恋愛、結婚、出産、就職、マイホーム、人間関係、夢、健康など10のことを諦める「十放世代」、そしてすべてを諦めさせられた「N放世代」という言葉が広まっています。このように怪人たちの何もかも諦めてしまった日常は、あながちフィクションとも言いづらい状況にあり、ゆえに妙なリアリティーを感じてしまうところがあるのです。

 階級移動の難しさとバーンアウトという困難を観客と共有する作りなので、その点で『戦隊大失格』は私も含め今の若者にとって自己投影しやすい物語なのかもしれません。同時に戦闘員Dの反骨精神に触発されてドラゴンキーパーに立ち向かった戦闘員Fのように『戦隊大失格』は、バーンアウトに陥った若者を鼓舞させる不思議な魅力も備えています。

●『戦隊大失格』のレビュー&考察:戦闘員Dになぜ魅力を感じるのか? ヒントになる「能力主義」について

 なぜ私たちは戦闘員Dを応援し、そして自分も頑張ろうと鼓舞されるのでしょうか? それはおそらく戦闘員Dが、現実の階級社会で虐げられている人々の気持ち(怒り)を代弁してくれているからなのだと推測されます。

 すでに見てきたように戦闘員Dはドラゴンキーパーから搾取される弱い立場に置かれており、その点で現実の階級社会で苦しい状況にある人々の感覚と接続するところがあります。その上で重要になるのが、命は保証されているものの、戦闘員たちに尊厳は無くドラゴンキーパーから徹底的に見下されているという状況です。

 この状況に戦闘員Dは憤っているわけですが、こうした見下されている感覚も現実とつながる大事なポイントであると私は考えます。そこでヒントになるのが、先ほども紹介したマイケル・サンデル氏の著書のメインテーマ「能力主義(メリトクラシー)」という概念です。

 能力主義とは、能力や成果を重視して人を評価すること。一見真っ当な気もしますが、能力主義をベースに考えた場合、成功者は自らの努力によって社会的地位や収入を得ていると思うようになります。自分が獲得したものは、自分の努力の賜物であり自分だけの手柄であると考えるわけです。

 ではこの能力主義の視点を貧困層に向けるとどうなるでしょうか? 能力と評価をそのまま結びつけるこの考え方を適用すると「あなたたちの収入が低いのは、あなたたちの努力が足りないからだ」ということになってしまいます。

 能力主義は成功者にとっては気持ちの良いものかもしれませんが、持たざる者にとっては努力不足を指摘され見下されるという、尊厳を踏みにじられるような感覚を生んでしまうところがあります。

 その実例として、グローバリゼーションの中で成功した金融業界の人々を筆頭に成功者たちのこうした能力主義に基づいた貧困層への見下しが、エッセンシャルワーカーや古い産業を支えている労働者たちを鬱屈とさせ、その怒りの評決としてトランプ政権が選ばれたのではないかという旨を、サンデル氏は主張しています。

●『戦隊大失格』のレビュー&考察:『鬼滅の刃』『ジョーカー』との共通点。そして『戦隊大失格』の革新性とは?

 本来は親の経済力の違いなど複雑な背景があるはずなのに、貧困層の苦しみが自己責任や努力不足に押し込められており、こうした不当な扱いへの鬱憤がたまっている感覚は近年のヒットコンテンツからも読み取れます。持たざる者の怒りや苦しみを扱った作品は近年人気が高く、2019年公開の映画『ジョーカー』はその代表例です。

 ある障害を持つがゆえに社会に居場所を与えられなかった青年が、狂気に目覚め社会へ復讐を始めるという物語で、主人公・アーサーがエリートサラリーマンから、いじめられるシーンは印象的でした。まさしくエリート層からの見下しと彼らへの怒りを表現した場面であり、社会に包摂されなかった者の鬱屈が見事に表現されていたように思います。

 2020年公開の韓国映画『パラサイト 半地下の家族』や2018年公開の『万引き家族』など、ほぼ同時期に社会から見捨てられた人々の苦しみや怒りをぶつけた傑作が生まれており、近しいテーマの作品が世界を席巻。

 近年勢いのある韓国発の縦読みカラー漫画「WEBTOON」においても、大ヒットした『俺だけレベルアップな件』をはじめ、貧困やスクールカースト最底辺に陥った社会的弱者を主人公にしたものが多数見られます。

 アニメにおいても、2019年に第1期が放送された『鬼滅の刃』の中で、運が悪かった(報われなかった者)として鬼の悲劇的な姿が描かれており、多くの観客の共感を呼び社会現象となりました。2022年に登場し話題を呼んだ『チェンソーマン』でも、親の借金を肩代わりさせられた主人公・デンジの鬱屈や怒りが表現されていました。

 このように努力云々とは関係なく運悪く社会からこぼれ落ちた人々の鬱屈や、エリート及び社会への反逆(能力主義への抵抗)を表現する作品は2020年前後から多数出現しており、どれも大ヒットしていることから、今の時代にある程度共有されている感覚と言えそうです。そしてこれらと同じ文脈の中に『戦隊大失格』も位置付けられるかと思います。

 社会の貧困層に追いやられた人々にとって、戦闘員Dの怒りや鬱屈は他人事ではなく、地続きの感情なのだと推察されます。ドラゴンキーパーへの復讐は『ジョーカー』で言うエリート層への復讐と重なるところがありますし、視聴者の抱えるルサンチマンと同調する部分なのかもしれません。戦闘員Dとジョーカー、『鬼滅の刃』の鬼はみなエリートや社会への復讐という点で共通しており、彼らは今の時代精神を反映した姿とも言えそうです。

 しかし戦闘員Dはジョーカーや鬼とは根本的に異なる部分があります。それは単なる復讐で終わらないという点です。大戦隊と怪人の両方を救いたいと考える桜間日々輝との出会いをきっかけに、戦闘員Dの考えは変わり始め、もともと敵であった者たちとも連帯していくという方向転換が図られます。

 このように復讐の先を描いているのが『戦隊大失格』の革新的なポイントです。もとは異なる立場でも理不尽な経験を共有することで連帯し、さらに自分が実現したいビジョンを持つことにより、復讐心の先にある仲間たちとの未来を思い描いて進むことになります。

 つまり『戦隊大失格』では、復讐心やルサンチマンを足場にしてバーンアウトを脱した戦闘員Dが、仲間との出会いを通して階級と分断を乗り越えていく様子が描かれているように見えます。理不尽へ立ち向かっていく戦闘員Dの姿勢から、難しい現代社会で生きる我々が学べることはそれなりに多いのかもしれません。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください