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地下鉄サリン事件を忘れない あの日、現場で見たもの

Japan In-depth / 2015年3月19日 11時0分

ぐったりしている人々は次々と救急車に運び込まれていく。その時は、誰もサリンが撒かれたなどという情報はなかった。他の現場では駅構内に入ったカメラマンや、サリンガスに暴露した人を取材した記者が残留ガスを吸い込んだのか後ほど縮瞳(瞳孔が過度に縮小する現象。サリンにより起こる)したケースも後で聞いたが、そんなことは知るよしもない。

私は政経部所属だったが、デスクは「現場にいろ」と私に指示した。その時間現場にいた記者は私だけだったからだろう。社会部の記者はおそらく通勤途上だったに違いない。とにかく私は様々な人にインタビューし、現場の状況を無我夢中でしゃべり続けた。収録した映像とリポートはすぐに河田町のフジテレビに運ばれた。阿鼻叫喚の様子を撮った衝撃的な映像は午前中の報道特番で流され続けた。

撒かれた液体がサリンだとわかったのは午前11時頃。警視庁が記者会見で発表したのだ。“縮瞳”という症状が出ることもわかってきた。その時一人の若い女性が私に近寄ってきてこう告げた。「あの車両に乗ってたんですが、なんともなかったので普通に出勤したんです。でも職場でだんだん目に見えるものが暗くなってきて・・・テレビで毒ガスが撒かれたと聞いて怖くなって来ました」知りあいの医師に縮瞳に効く薬はアトロピンやPAMという薬剤だと既に聞いていた私は、すぐにそばにいる救急隊のところに行き、病院に行くよう話した。あの女性はその後どうなったろうか。今でも気にかけている。

結局、社会部の記者は神谷町駅に立ち寄ったが、取材は私が続けることになり、午後1時過ぎまで現場にとどまった。その後、オウム真理教上九一色村のオウム関連施設への強制捜査、逮捕という流れになるのだが、あの日、あの時目にしたことは忘れることは出来ない。史上最悪の毒ガスを使った無差別テロ事件。裁判はいまだに続き、オウム真理教はAlephと名前を変え、存続している。

事件から20年。この事件を知らない若者がほとんどだ。どんな酷い事件も災害も時がたてば風化する。メディアの役割はそうした悲劇を風化させないことだ。そして、私たち一人一人が過去に学び、2度と同じ過ちを繰り返さないためにどうしたらいいか、考えることが必要だ。きょうはそんな日にしたい。

オウムサリン事件で亡くなられた方のご冥福と、いまだに後遺症に苦しんでいらっしゃる方々が回復に向かいますよう心から祈念する。

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