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[西田亮介]【「規範的なジャーナリズム」から「機能的なジャーナリズム」へ】~急がれる構造転換~

Japan In-depth / 2015年5月7日 18時0分

いったん、政治的な好みと、ジャーナリズム、そして言論の多様性、思想の自由市場の必要性は峻別して考えてみるとよいのではないか。過去の歴史認識の修正を求める保守系の論者は多い。もし現在の、標準的な――そして教科書検定を経ているという意味では公式の――日本の歴史観を変化させるのであれば、当時の資料に基づいた事実の再発掘、再検討が必要で、将来にわたって極力そのような歴史の複線性を再検討できるような状態を維持するためには、事前にどのような複線性がありえるのかという予想が困難であることを鑑みると、やはり豊かな言論とジャーナリズムを保持しておく必要であるという点の合意には至るのではないか。

とはいえ、リベラル系メディアの「〜するべきだ」というメッセージや論調(「規範のジャーナリズム」)は、今後ますます共感を得にくくなるだろう。かといって、これまでリベラルを信じてきた人が突如保守系メディアの論調に賛同するとも思えない。まさに保守という語が意味するように、人の選好や習慣は一朝一夕に変化しない。

日本のジャーナリズムは、伝統的に「速報、取材、告発」に重きを置いてきた。これらの目的に応じて、ガバナンスや表現、手法が暗黙に体系化され、現在でも踏襲されている。ところが、その背後で、関心の対象についての均質性が前提となっていた。その前提が失われたのである。たとえば太平洋戦争での敗戦からの時間の経過や、冷戦の終焉を経て「国民が必然的に政治に関心を持つ時代」という前提が崩れ、その結果、従来と同じように政治や選挙を報道しても、「行間」を共有しない若い世代にはまるで記事の意味が伝わらないという事態も生じている。

対比的にいうならば、「整理、分析、啓蒙」を通じた「機能的なジャーナリズム」への転換が求められているのではないか。情報が飽和している時代においては、政治や社会についてのフレームワークを持たない情報の受け手にとって、大量情報は主体的な選択のコストを引き上げる。従来の信頼の地平が期待できないのであれば、そのようなフレームワークの提供は長期的には教育が、しかし教育の変化は遅く、また限定された教育枠を巡る競争も激しいため、短期中期においてはジャーナリズムが担うほかないのではないか。

前者はシチズンシップ教育が、後者は新しい構想と手法が求められるのだろう。リベラル系メディアに対する風当たりの強化は、従来の、しかし立脚点が政治サイドなのか、それとも人々の側なのかが曖昧だった「規範的なジャーナリズム」から「機能的なジャーナリズム」への構造転換を促す契機と捉えるならば、政治的趣向を越えた、日本のメディアとジャーナリズムの再興もありえるのではないか。ただし、言い方を変えると、これまでの両者のあり方に顕著な変化が見出だせないなら、メディア環境の、あまり好ましくない変容も時代の趨勢というほかないのかもしれない。

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