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[神津伸子]【誰にでも甲子園はある】~「野球は人生そのもの」江藤省三物語 2~

Japan In-depth / 2015年7月14日 12時2分

グラウンドでは、この日の練習を終えた部員たちがグラウンド整備を始めていた。ふと手を休めると、元気な女子マネージャーから檄が飛ぶ。彼女も中学まで野球をやっていたが、高校野球は規定で女子は選手登録出来ない。「慶應では部員が200人いたから、5分で終わった。ここは11人でやるから、1時間かかる」(江藤)

日本高等学校野球連盟の調べでは、加盟校数は2005年の4253校をピークに、なだらかに減少傾向にある。今年は4021校。近年は連合チームでの試合出場などが、珍しくなくなってきているが、部員が集まる高校が偏ってきており、その一方で部員不足が顕著になってきているところも多いという。

整備が終わると、選手たちはホームベース上に横一列に整列した。一息置くと、校歌をグラウンド中に響き渡る大声で歌い始めた。いつも、練習後、歌っているのだろうか。"勝つ"イメージ作りのために、監督が初めて歌わせたという。良いアイデアだ。その後、組んだ円陣の中心で江藤は「今、出来る事を精一杯やろう」言葉少なめに〆めた。

隣のグラウンドでは、25名ほどのサッカー部員たちが、まだ練習を続けていた。白紺の野球部の練習着の横で、カラフルなウェアが眩しく映る。「周囲の中学でも、野球部員が減って来ている。かつては20数人いた部員が、10人前後になっていると聞く。普通の学校で、普通の子たちが続けられる環境を整備したい。そして、まずは、近くの中学校に出向いて、一人でも泉高校に来るように応援していきます」

(この記事は【“24の瞳”少年・高校球児を指導する男】〜「野球は人生そのもの」江藤省三物語 1~
の続きです。
【教え子の一言に「ふるえた」。】~「野球は人生そのもの」江藤省三物語 3~
に続く。)

 

<江藤省三プロフィール>
野球評論家。元プロ野球選手(巨人・中日)、元慶應義塾大学硬式野球部監督
熊本県山鹿市生まれ。会社員(父は八幡製鐵勤務)の四人兄弟の三男として誕生。
兄(長兄)は元プロ野球選手、野球殿堂入りした愼一氏。

中京商業高校(現中京大中京)で1961年、甲子園春夏連続出場。同年秋季国体優勝。
卒業後、慶應義塾大学文学部に進学、東京六大学野球リーグで3度優勝。4季連続ベストナイン。

63年、全日本選手権大会で日本一となる。
65年、ドラフト元年、読売巨人軍に指名される。
69年、中日に移籍。代打の切り札として活躍。76年引退。
81年、90年から2度巨人一軍内野守備コーチ。
以降、ロッテ、横浜でコーチ歴任。

解説者を経て2009~13年 慶應義塾大学体育会硬式野球部監督。10・11年春季連続優勝。
この間、伊藤隼太(阪神)、福谷浩司(中日)、白村明弘(日本ハム)のプロ野球選手を輩出。
14年春季リーグ、病床の竹内秀夫監督の助監督として、6季ぶりに優勝に導く。

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