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[西村健]【五輪エンブレム騒動から学ぶべきこと】~東京都長期ビジョンを読み解く! その31〜

Japan In-depth / 2015年9月9日 23時0分

告白するがこのエンブレムを見れば見るほど、その展開映像を見れば見るほど正直「かっこいい」「スタイリッシュ」「会社のロゴマークだったら最高だな」と個人的には思っていた。それと同時に、資本主義社会の「象徴」にしか見えなくなる(私はT字の黒字の部分に、怒涛の再開発、乱立する高層マンションをそこに見てしまった)。

五輪自体も同様だ。国民の盛り上がり・幸福度向上、スポーツ界の発展、莫大な経済効果、インバウンド・観光への波及、インフラ更新など開催の目的が語られている。

個人的には五輪は楽しみだし、スポーツの意義や学習効果を大事だと考える人間ではあるが、五輪開催に正当性があるようには思えない。

第一に、招致の時に掲げた東北大震災からの復興。先日、福島第一原発周辺を訪問し、現地を見て地元の人々の話を聞いた。とても「UNDER CONTROL」とは思えなかった。

第二に、意思決定プロセスに疑義があるからだ。2016年五輪の選考時にはIOC調査で55%の支持率が原因の1つとして敗北。それ以降、積極的な広報を進め「再チャレンジ」。2020年五輪選考では、招致に成功した。しかし、その立候補すべきか否かが都民、国民の前で問われる機会はなかった。

東京五輪の立候補ファイルにはこうある。「東京は、卓越、友情、尊敬という基本的価値をオリンピック・ムーブメントと共有する都市である。(中略)2020年東京大会はこうした価値観や資質を受け入れるとともに、一層高め推進するものになる」と。

現実とあまりに乖離したこの主張。謙虚さ、おくゆかしさという日本的美意識からはかけ離れていて、苦笑しかでてこないのは私だけではないだろう。

そもそも「一般国民」が実感できるレベルでの意味や目的を共有できていないからこそこの五輪は空回るのではないか。取り急ぎエンブレムを変えてもこの空虚さは影となってつきまとうだろう。だからこそ、「なんのための五輪か」を確認する、そういった国民的な対話の場と作業が必要だ。

スポーツが分断された日本社会の融和にいかに役立つのか。スポーツに親しむことがいかに健康に貢献するのか。スポーツを通じてどれだけ人生を豊かにできるのか。スポーツの恵みをどう「見える化」して「文化」にまで定着させていくのか。地方創生の時代に、東京という都市の役割をどう変更・再定義していくのか。

目的を新たに設計すべきところからはじめてはどうか。武藤事務総長が語った「広く愛され支持される」エンブレムを作るための条件はオープンな手続きだけでは不十分だと思う。

次回からはこのイベントや組織委員会の公共性や「責任」の意味を考えていく。

(この記事にはリンクが多数貼られています。それらを見るには http://japan-indepth.jp にてお読みください)

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