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[岩田太郎]【親の愛情に飢えた殺人者を生まぬ為に必要な信頼】~理不尽司法の限界 2~

Japan In-depth / 2015年9月13日 7時0分

幼少時から弱い者いじめで有名で、数々の婦女暴行事件を起こした宅間は、「絶望的な苦しみを、できるだけ多くの家族に味あわせてやりたかった」などと、必要とされない自己の絶望に由来する社会への敵意を語っていた。

1988年から89年にかけて、東京・埼玉に住む幼女4人を次々に誘拐、殺害し、遺体を食べるなどの凶行に及んだ宮崎勤元死刑囚(享年45)は、両親を「ニセモノ」と呼んで忌避し、父親が自殺した時は、「胸がスーッとした」と語った。

これらのケースは、厳罰化すれば遺族感情は慰められよう。だが、たとえ死刑に処しても、被害者は戻らないし、加害者は反省もしない。彼らは変わらない。今、大事なのは、いかにしてそうした殺人犯たちの再生産を防ぐか、である。

親がしっかりしろ、ちゃんと愛情を子供に注げ、というのは正論だ。だが、残念ながら、世の中は「欠陥家庭」だらけである。今、この瞬間も、自分と世の中に絶望し、弱者に危害を加えることを決心する子供が生産され続けている。

この内の多くは、もし「自分は人に必要とされている」という存在の理由が与えられれば、絶望の代わりに希望を抱き、社会に復讐することを思い止まる。

「お前、こんなん出来るんや、すごいやんか」「君のこと、見てたよ。こういう能力があったんだね」「あなたは、絶対必要なの」と、掛け値なしで本気に思い、言葉をかけてやれる地域や学校の大人を増やそう。子供が嬉しそうな顔をしたら、しめたもの。励まし続け、時には叱り、いいところを伸ばしてやろう。

どんな子でも、いいところの一つや二つはある。「この子は、きっとできるようになる」「必ず、期待に応えてくれる」と信じ、思い切って任せるのだ。信じ任せられた者は、自分に希望を持つ。そこに、殺人の衝動は入り込みにくいのだ。

写真引用:everystockphoto「somebody save me」

(本シリーズ全3回。この記事は、
【加害を続け己の存在証明試みる「元少年A」】~理不尽司法の限界 1~ の続き。
【「公判が維持できないから軽い罪で起訴」は検察のウソ】~理不尽司法の限界 3~
に続く。)

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