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[久保田弘信]【イラク難民とシリア難民】~2006年から続く、過酷な運命~

Japan In-depth / 2015年10月4日 7時0分

[久保田弘信]【イラク難民とシリア難民】~2006年から続く、過酷な運命~

前回の記事に書いたようにイラク戦争から3年が経過した2006年後半、イラクの治安は悪化の一途をたどり、戦争中イラクに留まった人たちでさえ隣国へ避難していった。同年、日本では、人道復興支援の任務を終えた自衛隊がサマワから撤退し、多くの日本人がイラクは平和になったと誤解していた。

頻発する爆弾事件によってイラクの人々は出歩くこともままならず、隣国のヨルダンやシリアへと避難していった。イラク難民の数が想像より多くなり、ヨルダンはいち早く国境を閉鎖した。ところが、シリアは「イスラムの同胞を受け入れるのは我が国の義務だ」と難民を受け入れ続けた。世界最古のモスクと言われるウマイヤドモスクがあるシリアの首都ダマスカスにも大量のイラク難民が流入した。



シリアに入ってきたイラク難民は200万人を越えると言われ、全ての人の難民登録を完了するのに6ヶ月かかるとまで言われた。UNHCRが設けた難民登録所には連日数千人のイラク難民が押し寄せ、スタッフは朝から晩まで難民登録作業に追われた。



朝一番、冷え込む中、少しでも早く難民登録を受けたいと思う人たちが薄明るくなる時間から登録所前で待ち続けた。朝はジャケットを着ても寒いくらいだが、日が昇りだすとTシャツ一枚でも暑いくらいの温度になり、老人や子供たちには過酷な環境だった。登録所の中に入れても、難民登録のブリーフィング、書類の作成、インタビューとまだまだ時間がかかる。



UNHCRスタッフの許可を得てインタビューしてみると、両親や親類縁者を亡くした人が多く、戦後イラクの悲惨さを痛感する。怪我をした状態で避難してきた人も多く、UNHCRスタッフに窮状を訴えるシーンを何度も見かけた。





シリアはイラク難民を受け入れる難民キャンプの建設には積極的でなく、「難民であっても人間らしい生活をしてもらいたい」と都市部で難民を受け入れた。UNHCRとしては難民キャンプではなく街のあちこちにイラク難民が住んでいる状態での支援はとても難しく、シリアではATMのカードを配って、それぞれ必要な現金を引き出してもらうという新しい方法が取られた。

大量のイラク難民を受け入れつつも平和だったシリア。



街でシリア人にインタビューすると、多くの人がイラク難民の受け入れに賛成で「隣人が困ったら助け合うのがイスラム教だよ」という言葉を何度も聞いた。その平和だったシリアが内戦に突入し、隣国へ逃れたシリア難民は既に400万人を越える。

その一部はかつて難民を受け入れ、世話をしたイラクへも逃れている。シリア難民は言う「私たちの国は隣国の難民を受け入れ、シリア人と同じように世話をしてきたのに我々が難民になったら人間以下の扱いを受けるなんて酷すぎる」と。

隣国の難民を拒否せず、受け入れ続けることを決定したのはシリアのアサド政権だった。現在、そのアサド政権との内戦でシリア難民が発生している。皮肉という言葉で終わらす事ができない程、イラク、シリアの難民問題は重大な局面を迎えている。


トップ画像:©久保田弘信

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