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全国トップの出生率「奇跡の村」とは

Japan In-depth / 2016年3月25日 12時0分

伊藤村長は住民にも地域のために自ら汗を流すことを求めた。村が資材を支給し、住民自らが村道や水路などの整備や補修を行う「資材支給事業」を発案したのである。実施まで村民との間にすったもんだがあったが、もともとあった共助の慣行が復活し、村の隅々に広がった。そして、公共事業費の削減につながり、村の財政は強固になっていった。

一連の独自施策の上に少子高齢化対策が加わった。1990年代後半で、国や他の自治体が課題として取り組み始めるずっと以前のことだった。若者定住促進住宅を村内に建設したが、国の補助金を活用すると様々な縛りを受けるため、あえて村の単独事業とした。家賃を格安にし、子持ちか結婚予定者、さらには村の行事と消防団加入などを入居条件にした。同時に子育て環境の整備にも力を入れた。村の単独事業による医療費補助や給食費補助、保育料の低廉化などを積み重ねていったのである。

こうした下條村の独自の子育て支援策が評判となり、若者の村外への流出が減り、村外からの流入が増え、子どもたちの姿が目立つ山村となった。そして、いつしか「奇跡の村」と呼ばれるようになったのである。

1990年の国勢調査で3859人だった下條村の人口はその後、4024人(2000年)、4204人(2005年)と増加していった。そんな下條村でさえここにきて人口が想定よりも早く微減しはじめている。2010年の国勢調査では4163人となり、2015年の国勢調査では4000人の大台を割り込み3986人となった。村内に高校がないので、子どもの高校進学を機に村外に転居するケースが生れているのである。

奇跡をおこした下條村に新たな課題が迫りくるなかで、81歳のカリスマ村長が次なる世代へのバトンタッチを表明した。これまで培ってきた下條村の自治力が改めて問われる局面といえよう。

拙著「奇跡の村 地方は人で再生する」(集英社新書)に下條村の詳細をまとめました。

*トップ写真:下條村の伊藤村長©相川俊英

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