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戦場ジャーナリストとは フォトジャーナリスト 久保田弘信

Japan In-depth / 2016年4月23日 9時51分

戦場ジャーナリストとは フォトジャーナリスト 久保田弘信

Japan In-depth 編集部

フォトジャーナリストの久保田弘信氏を招き、あまり知られていない戦場ジャーナリストの実態について聞いた。

久保田氏は、日本にいるときは普通のカメラマンとして、入学式の撮影などで生計を立て、その生活で蓄えた分を海外取材で充てている。テレビ出演や講演等が目立つカメラマンもいるが、それだけで食べていけるのはほんの一握りだ。取れ高でギャラは変わるが、一方で経費は渡航費、ガイド代等色々かかるため、厳しい世界だという。

そもそも久保田氏が戦場に足を運ぶようになったきっかけは何だったのか。もともとNASAを目指して物理を勉強していたという久保田氏。しかし、金銭面の問題から、大学院進学を断念して就職。当初は教師の枠が空くのを待っていたが、その間にカメラマンのバイトをしていたところ、それが本業になった。

観光雑誌の仕事で海外へ行くようになり、97年、シンガポール取材していて、パキスタンとのパイプができ、ペシャワールを訪問。アフガニスタン難民を目の当たりにして、「今まできれいなところを写真で伝える仕事をしていたが、こういうものを写真で伝えられたらな。」と思ったことがきっかけだったと久保田氏は話した。

日本の戦場ジャーナリストと言えば、ピューリッツァー賞受賞者の沢田教一氏の名前がまず挙がる。沢田氏は、カンボジアで取材中、狙撃され命を落とした。もう一名、酒井淑夫氏もピューリッツァー賞を受賞しているが、あまり有名ではない。その理由について、久保田氏は「沢田さんは戦場で散ったからこそ、有名になったのかな」と話した。久保田氏は、沢田氏の受賞作「安全への逃避」を見て、「戦場に行って一番撮るべきなのは人なんだな。」と感じ、人を中心に写真を撮るようになったことを話した。

沢田氏に憧れた有名な戦場カメラマンに、「地雷を踏んだらさようなら」という言葉を遺した一之瀬泰造氏がいる。一之瀬氏は、自費で単身戦地に乗り込んだカメラマンだった。一之瀬氏をフリーのカメラマンの先輩と考えていることを久保田氏は明かした。

昔と今を比べると、まず「カメラが変わった。」と、久保田氏は述べた。機能がたくさんついた分、重くなっている。そしてもう一つは、「戦場カメラマンの置かれる立場が変わってきた。」と久保田氏。戦場カメラマンが自由に取材できたのは、ベトナム戦争が最後だったという。それまでは、赤十字とプレス(ジャーナリスト)は殺さないという暗黙のルールがあったが、カンボジア内戦からそれが破られ、今はジャーナリストが狙われる時代になっている。「現場に行くのが、昔と違って危なくなっている。プレスと書く方が危ない。一般人の方がいい。」と久保田氏は述べた。カメラマンベストは未だに一度も着たことがないという。

何故、あえて危険な地へ自ら足を運ぶのかという問いに対し、久保田氏は、アフガニスタンで難民を見たことを振り返り、「誰かが見て伝えないといけない。こんなに大変な生活をしている人がいるのに知らないっていいのかなと思った。誰もが現場に行ったらそう思うと思う。」と話した。さらに、「一枚の写真によって何百人の難民を助けることもできる。」と、危険と隣り合わせでも、その仕事を続ける意義について強調した。

映像ジャーナリストの長井健二氏がミャンマーで撃たれた際、軽装だったことに対し、無防備だという批判が相次いだ。しかし、久保田氏は、「それこそが一番いい姿。」と述べ、カメラマンベストを着て、重装備をしていたら、余計に狙われやすいということを再度強調した。「わかってない人が多い。」と述べ、批判をしている人たちへの違和感を示した。

戦場で安全を確保するため、当然ボディガード等にお金がかかる。「そこにお金がかかるから、フリーはつらい。」と久保田氏は述べた。高額を要求する人たちも多いという。「お金だけの人とは仕事をしないというのが僕のポリシー。」と久保田氏は語り、知人のコネクションを大切にしていることを明かした。フジテレビ時代に危険な現場で取材を経験した安倍編集長も同意し、「完全に信頼関係。絶対にその人と自分との間でしか情報を共有しない。」と話した。また、「ジャーナリストは準備しないで行っているわけではなく、ものすごい準備に準備を重ねている。」と強調した。

番組内では、久保田氏の写真を何点か紹介した。中には、ISの少年兵が血を流して倒れているショッキングな写真もある。地上波ではこのような写真をぼかして使うが、久保田氏は、「いいか悪いかわからないけど、僕は見てほしい。」と述べた。日本のメディアが死体を映さないことに、安倍編集長も疑問を呈した。

戦場でジャーナリストが亡くなるたびに、自己責任論が浮上する。久保田氏は、沢田氏や一之瀬氏の時代とは変わってきて、ジャーナリストが狙われる時代に、そしてジャーナリストが殺されれば批判される時代になってきていることを再度強調し、「地雷を踏んだらさようなら」は、当時だから言えた言葉だと話した。「理由は何であれ、誘拐され、命の危険にさらされている国民を(国家が)見捨てるということがあってはならない。」と安倍編集長は話した。

外国の通信社から買った配信映像をテレビ局が伝える場合、それはあくまでよそから持ってきた物で、自分たちは現場に行っていない。「それを見て、日本人が『大変だな』とどれくらい思えるか。日本人の目線が大事。」と久保田氏は述べ、日本人が現場に足を運ぶことの重要性を語った。

一方で、「現場では色々な人が取材しているが、出し口がだんだんなくなってきているというのが問題。」と述べ、安倍編集長も報道のバラエティ化を憂慮した。戦争は遠い国のことではない。日本人一人ひとりが、自分が何をできるかを考えるためにも、戦場カメラマンたちが命がけで撮ってきた写真を多くの人に届ける必要があるだろう。

(この記事は、ニコ生【Japan In-depthチャンネル】2016年4月6日放送の要約です)

トップ画像:ⓒJapan In-depth 編集部

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