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「ヒラリー神話」もう一度 米大統領選クロニクル その11

Japan In-depth / 2016年6月6日 11時0分

2008年6月7日、ヒラリー・クリントン氏はワシントン市内で演説して、「この大統領選から撤退し、バラク・オバマ候補を支援します」と宣言した。それまで熾烈に戦ってきたオバマ氏との民主党指名獲得の争いでの敗北宣言だった。「ヒラリー大統領」神話の終わりでもあった。

それまでの15年間、国政の中心舞台で常に脚光をあびてきた活力いっぱいの女性政治リーダーの軌跡に区切りをつけた日だった。この区切りは、ビル・クリントン前大統領のその当時の選挙戦での応援の挫折を含めて、一つの時代の終わりをも画していた。 

クリントン候補のこの敗北は同候補の破竹の進撃の軌跡を知る側には信じ難いほどの結末だった。同候補が大統領選への名乗りを正式にあげた2007年2月ごろ、共和党側でさえ「次期大統領は80%以上の確率でヒラリー夫人となる」(ニュート・ギングリッチ元下院議長)という予測が大多数だった。

なにしろ一連の世論調査では、クリントン候補の支持率50%、オバマ候補同20%というような数字が出ていたのだ。クリントン候補には「無敵」という表現が与えられた。「ヒラリーが大統領にならない可能性は考えられない」(ディック・アーミー共和党元下院院内総務)とまで確実視されたから、当時、「ヒラリー大統領誕生」は現実の決まりのように語られていたのだ。

ところが2008年1月はじめのアイオワ州での党員大会から、この「神話」が少しずつ変わっていった。当初は黒人層でさえ支持が少なかったオバマ候補がアピールを驚異的に広げる一方、クリントン候補は支持を減らしていった。神話の侵食だった。

この過程では「女性だから」という要因はふしぎなほど議論の対象にならず、逆に同候補の女性らしからぬ対決調の姿勢がオバマ候補の癒やし風の柔らかな態度の魅力を急速に拡大していったともいわれた。

そもそもクリントン候補は夫が大統領となった1993年1月からホワイトハウスで事実上の閣僚として機能するという異例の動きをとるとともに、政策面でも超リベラルと呼べる過激な路線を示した。国民皆保険の推進がその出発点だった。

このクリントン政権の8年間、ヒラリー夫人はホワイトウォーター事件など自身の疑惑や醜聞にも巻き込まれたが、傷つかず、2001年にはみごと上院議員に転身した。そしていよいよその7年後に女性として初めて主要政党の大統領候補になる寸前まで飛躍したのだった。

この飛躍自体はアメリカ女性の多くにとって社会での「ガラスの天井」を崩すプラス効果をみせつけたといえる。だがその一方、クリントン候補の「私は家庭でクッキーを焼いて満足するような女性ではない」というような言葉が女性の幅広い層までを反発させたあたりにも、そのとげとげしい個性が大統領選に複雑な影を投げたことを示唆していた。

夫のビル氏もクリントン候補を一貫して支援したが、その2人団結しての「クリントン政権」再現への政治活動もついに終幕を迎えたのだった。

以上が「ヒラリー神話」とされた政治大ドラマの終幕だった。それからまた8年、クリントン氏はついに民主党の候補指名を間違いなくつかむのか。6月7日という同じ日についに逆転の現実が起きるのかもしれない。

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