EU離脱劇は英国の保守化を意味するか?
Japan In-depth / 2016年6月15日 7時0分
渡辺敦子(研究者)
「渡辺敦子のGeopolitical」
英国のEU離脱が現実味を増してきた。政治的には世界的に広がる「右傾化」「保守化」現象と見る向きも多いだろうが、そうだろうか。
EU残留を訴えるキャメロン首相はいうまでもなく保守党である。だが13日のガーディアン紙電子版によれば、同じく残留支持の労働党から「離脱反対派の活動の妨げになるため、あまり表に出ないでほしい」と言われたという。現首相が反対党にこんな注文をつけられること自体、この国民投票がいかに政治的に異常かを物語っている。
また「初のイスラム系ロンドン市長」労働党のカーン氏は残留支持派でキャメロン首相とは共闘し、前任者の保守派の論客ボリス・ジョンソン氏とは対立する。保守党のオズボーン財務相は同日、「離脱は景気後退に耐えられるリッチな人々のためのもの」と訴えた。
一方で離脱支持の人々は、保守的な高齢者、学歴の低い層であり、コスモポリタンな高学歴層は残留支持だ、と分析されがちだ。こう書いただけで、この問題が政治的立ち位置やデモグラフィだけではほとんど説明不能なことは明らかだろう。また一言付け加えれば、日本では高学歴者の多くは政治的左派であり、ニートな若者は右派である、との定式が依然通用するが、英国では必ずしもそうではない。
この混乱を説明する一つの方法は、「アイデンティ(自己同一性)」の複数性を考えることだろう。国際政治学の分析で近年、アイデンティティが重要視される理由は、それが「国益」を形づくるものだからだ。だが問題は、人々のアイデンティティはひとつではないことだ。例えば今回の大きな問いのひとつは「移民の増加は英国の国益か」というものだ。単純化すれば安い労働力が欲しい工場主にとってはイエスであり、工場労働者にとってはノーである。
だが、この労働者の妻が、同じ工場で働いている東欧系移民だったらどうだろう。あるいは彼の子供をいじめる近所の悪ガキが、イタリア人だったら?労働者として、あるいは父としての彼は離脱を望むが、夫としての彼は残留を希望し、自己同一性の分裂に悩むかもしれない。
また私は英国のマーケットに行くたびに安価な南欧産の果物を山ほど買う。「EUを離脱したら、価格は上がるんだろうか」と心配するのだが、果物好きでない人にはどうでもいいことだろう。そもそも、残留と離脱とどちらが経済的に得なのか、複雑な要因がからみあう中で確言できる人は誰もいない。
この局面でキャンペーンがパニック的「心理ドラマ」(労働党のアンジェラ・イーグル氏)の様相を呈してきた理由のひとつは、有権者が自分の日常生活に根ざす複雑なアイデンティティに揺れる中で、頼れるものは感情のみ、となってきたからではないか。
こう考えると、グローバル化が明らかにした現象のひとつ「右傾化」のある側面が見えてくる。人々が右傾化するのは、必ずしも「右派」と呼ばれる人々の主張が魅力的だからでも、保守化する人々が戦闘的だからでもない。むしろ、自分のいくつもの不確定的なアイデンティティの中で、国籍はほとんどすべての人にとって確定的アイデンティティだから。英国人は英国人でいたい。そう思う人がどれだけいるのか。結局のところ、シンプルな国家への帰属意識が投票結果を左右することになるだろう。
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