1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

アメリカ製日本憲法の真実 バイデン発言の波紋

Japan In-depth / 2016年8月21日 18時0分

だが日本国憲法はまちがいなくアメリカによって書かれたのである。その作成のプロセスで日本人が活動したというのも、これまた根拠のない虚報だといえる。まして日本の国会が議論というのも、そもそも日本は当時、独立国家ではなく、占領地域だったのだから、そこにまともな意味での「国会」が機能しているはずがない。

私がここまで明言できるのは、日本国憲法の生い立ちについて長年、取材し、調査をしてきた結果があるからである。なかでも決定的なのは日本国憲法起草の実務責任者チャールズ・ケーディス氏から作成当時の状況を詳しく聞いたことだった。ケーディス氏の証言の全記録はそのまま今日にいたるまで保存してきた。

ケーディス氏にインタビューしたのは1981年4月、彼の弁護士としてのウォール街のオフィスでの長時間の質疑応答だった。

日本国憲法は1946年2月3日からの10日間で連合国総司令部(GHQ)の軍人ら20数人のアメリカ人により一気に書かれた。マッカーサー総司令官が日本側に草案作成を命令し、その産物の「松本試案」がA案もB案も米側の意向に反するとして排された結果だった。占領軍当局は日本側が自主的に作成した新憲法草案を完全に拒んだのである。そしてアメリカ側が独自に新たな草案を書いたのだった。

GHQ民政局次長で弁護士だったケーディス氏の証言によると、東京の第一生命ビル内での憲法作りはすべてアメリカ人だけで進められた。その間に朝日新聞がいま伝えるような「日本人研究者たちの意見の参照」などまったくなかった。

中核となる起草運営委員会を構成したケーディス陸軍大佐、ラウエル陸軍中佐、ハッシー海軍中佐の3人が憲法前文を書いた。憲法全体11章の各章ごとに委員会を作り、法務経験のあるアメリカ軍人が責任者となり執筆した。9条のある第2章はケーディス氏自身が書いた。内容はアメリカ本国政府やマッカーサー元帥からのごく大まかな方針に沿うだけで、実務担当者に驚くほど大きな裁量が与えられていたという。

だから「天皇は国民統合の象徴」という表現もケーディス氏らがふと考えついた結果だった。「戦争の放棄」には逆に上からの指示で「自国の安全保障のためにも」という字句があったが、同氏の一存で削除した。いくらなんでも自国の防衛をみずから禁じる人間集団が国家でありうるはずがない、というのがケーディス氏の当時の考え方だったという。とはいえケーディス氏はアメリカ製の日本国憲法の最大の目的は「日本を永久に非武装のままにしておくこと」だったと総括した。

ケーディス氏は1946年2月13日のGHQから日本政府代表への公式の憲法提示の会合についても詳しく語った。外務大臣公邸でのこの会合では民政局長のコートニー・ホイットニー准将が吉田茂外相らにもしこの憲法案を受け入れなければGHQ権限で国民投票に付すと迫ったという。占領下の日本国民の対応は目にみえていた。

その時、上空には原爆投下機と同じ機種のB29爆撃機が轟音をあげて飛び、ホイットニー准将は日本側に「原子エネルギーの暖」という言葉で原爆を連想させる威圧をかけたのだという。とにかく日本は占領され、主権国家ではなかった時代なのだ。

いまの日本での憲法論議でこうした憲法の出自をあえてぼかすことは不健全である。バイデン発言はその憲法の歴史へのドアを邪気なく開けたということだろう。日本国憲法は疑いなくアメリカ製なのである。

*文中写真:マッカーサー元帥像

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください