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「墓石安全論」を排す 自壊した日本の安全神話 その3

Japan In-depth / 2016年10月5日 7時0分

「墓石安全論」を排す 自壊した日本の安全神話 その3


林信吾(作家・ジャーナリスト)


「林信吾の西方見聞録」


日本の「安全神話」が崩壊した。これが人口に膾炙するようになったのは、1995年の春からではないかと思われる。まずは1月17日の阪神淡路大震災。そして3月20日の、オウム真理教による地下鉄サリン事件。オウム真理教の問題については、次回もう少し詳しく見るとして、今回は阪神大震災について、可能な限り多角的に見てみよう。


まず、地震が予測できなかったことは、現在の科学の限界と考える他はない。被災者の皆様には申し訳ない言い方になってしまうが、自然の驚異の前に、人間はまだまだ無力なのである。死者6434名という大災害であったが、その8割は家屋の倒壊によって即死状態であったことが、後日の検証で明らかとなった。関東大震災においては火災、東日本大震災においては津波が、建造物の倒壊を大きく上回る人的被害を出したこととあわせて考えると、地震対策というのはピンポイントで行えるものではない、という思いを、あらためて強くする。ただ、1980年の建築基準法改正以降に建てられた高層建築物の被害はごく少なかった、という事実は指摘しておきたい。


一方でこの震災では、高速道路や鉄道の高架駅が倒壊した。地震の発生は午前5時46分であったが、あと1時間余り遅かったら、通勤ラッシュ時を直撃され、倍以上の人的被害が生じたであろうことは想像に難くない。ここから得られる教訓とは、首都高速道路の耐震化が急務だということであったはずだ。本来なら、復興が一段落した時点で予算措置を講じ、今頃は工事が終わっていてよかった。


しかし、現実はご承知の通りで、20年以上を経て、なおかつ東日本大震災を経験していながら、未だ進捗状況は思わしくない。聞こえてくるのは、政府与党の「国土強靱化計画」なる掛け声ばかりで、2020年東京五輪で多くの外国人観光客を、本当に安全に「おもてなし」できるのか、どうにも不安なのである。


五輪招致決定がきっかけとなって、首都圏のインフラも面目を一新することができるのではないか、という期待もあったが、その矢先に起きたのが、本シリーズで最初に取り上げた、豊洲市場の盛り土問題である。安全性よりも経済効率だという発想が、日本の安全神話を壊した。言うなれば、崩壊したのでなく自壊したのだ。


唐突だが、「墓石安全論」という言葉をご存じだろうか。災害や事故による犠牲は、その教訓を生かすことにより、少しずつでも減らすことができる。ちょうど墓石を積み上げて頑丈な石垣を築くことが可能なように……まあ、そのような意味と思っていただければよい。


暴論だ、と反発される読者も決して少なくはないであろうが、仏教者の端くれとして一言付け加えさせていただくならば、失われた命はもはや取り返しがつかないのであるから、同様の犠牲を出さぬようにすることこそ最善の供養だ、との解釈も可能なので、これはこれで含蓄のある言葉だと評価してよいようにも思える。ただ、現実に即して考えると、もはやそのようなことを言っている段階ではない、というのが私の結論である。


今後30年の間に、首都直下型地震が起きる可能性は70%以上であるという。降水確率70%と言われたら、誰でも傘を持って出かけるだろう。それと同じ事を、どうして行政ができないのか。想定外のゲリラ豪雨であった、では済まされない被害が生じるのは確実で、また、教訓と呼ぶには大きすぎる犠牲を、我々はすでに出してしまっているのだから。


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