日本の「民主連合」を考える 共産党は裏切る ベトナム戦争の教訓 その1
Japan In-depth / 2016年12月6日 11時18分
当時の日本ではベトナム戦争の基本構図は一貫して「ベトナム人民vs米軍」とされていた。ベトナムの民衆が侵略してきた米軍とその手下の傀儡政権軍と戦っているという認識だった。ところが私が現地で暮らしてみると、目の前の実態はこの構図には合わないことをすぐに感じた。南ベトナムのふつうの住民は米軍を嫌いも恐れもしていないようなのだ。一般の人たちは腐敗した傀儡政権こそ非難するが、「コンサン」はもっと怖いのだという。コンサンとはベトナム語で「共産」、つまり共産主義勢力を指すのだった。日本の認識だけを頭に入れていた私は当初、この現地での実態を信じられなかった。
「南ベトナム民族解放勢力」とはなんだったのか。南ベトナムでは1969年に「南ベトナム民族解放戦線」という組織が旗揚げをした。南内部の民族独立を目指す各勢力がイデオロギーは脇において団結し、アメリカに支援された南ベトナム政府に武力闘争を挑むという主張だった。特定の政治思想にこだわらない広範な民族独立運動とされたのだ。
解放勢力は南ベトナム政府への武力攻撃を続け、同政府の基盤が揺らいできた。その劣勢をくつがえし、同政府を維持しようとしてアメリカが軍事介入した。正式の介入は1965年だった。南ベトナム政府自身が公式に米軍の支援を求めたのだ。解放勢力は1968年には南全土で大規模な攻勢に出た。米軍と果敢に戦った。テト攻勢である。その翌年、解放戦線は「南ベトナム臨時革命政府」の樹立を宣言する。南ベトナムの政府や米軍に対抗する民族独立のための臨時政府であり、特定の政治色はないという主張だった。
だが後に判明したのは「解放戦線」も「臨時革命政府」もすべて北ベトナムに本拠をおくベトナム共産党が最初から仕切っていたという事実だった。しかし当時のベトナム共産党は「南の解放戦線や臨時革命政府は北ベトナムとも共産党とも別個の存在だ」と宣言していた。「南ベトナムでの闘争には北ベトナムは直接に参加していない」とも言明していた。だがこの宣言はみな巨大な虚構だったことが明らかとなる。
(その2に続く。全三回。毎日11時配信予定)
この記事は雑誌「歴史通」2016年11月号に掲載された「共産党は裏切る ベトナム戦争の教訓」の転載です。
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