EUを生んだカトリック左派 しぶとい欧州の左翼 その2
Japan In-depth / 2017年1月21日 23時0分
ドロール自身、いつかフランスの首相になりたい、という野心を抱くようになっており、ミッテランの勝利を見越して、勝ち馬に乗る決心をしたものと衆目が一致している。ドゴール派にも近い左翼という特異な人脈を持っていたのも、これで説明が付く。
1970年代後半から、ヨーロッパで左翼勢力が大きく伸び、相次いで政権を奪取した背景については次回に述べるが、ミッテランも1981年の大統領選挙に勝利し、左翼連合政権を誕生させた(その後、共産党は離脱)。しかしながら、ドロールは首相の座にはつけなかった。彼は生粋の左翼とは見なされず、したがって左翼政権支持者の間で人気がなかったので、ミッテランとしても指名を躊躇せざるを得なかったのだ。そこでドロールは、「首相が無理ならEC(当時)の委員長に」という交換条件を持ちかけ、ミッテランも受け容れた。
その後フランスは、1986年の議会選挙で社会党が大敗したのをきっかけに、保革共同(保守派のシラク首相が就任)を経て保守政権へと変遷するのだが、ECの機能を強化してEUへと発展させる上で、ミッテランとドロールが果たした役割は非常に大きい。
とりわけ1989年に冷戦が終結すると、フランス社会党は、党是をそれまでの社会主義国家建設からヨーロッパ統合へと大きく舵を切ることになるのだが、この原動力となったのも、ドロールを筆頭に「第二の左翼」から社会党政権に合流してきた面々であった。
EUについては、その拙速な拡大主義とともに、社会主義的政策の数々も、しばしば批判の対象と成ってきたのだが、その当否はひとまず置いて、成り立ちと思想的背景から見たならば、さほど奇異なことではないとご理解いただけるであろう。
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