「百戦百勝の英雄」金王朝解体新書 その1
Japan In-depth / 2017年5月2日 11時19分
この点、ソ連の戦略は単純明快であった。ナチス・ドイツを打倒した後、ヨーロッパ中央部からの脅威に備えて、東ヨーロッパに相次いで共産党一党独裁の衛星国を樹立し、国境の前面にもうひとつの防御戦を敷く、という戦略が、すでにあった。同じことをアジアで実行すればよいのだ。
それには、一党独裁体制のカリスマ的存在となれる人物が必要と考えられたが、なんとソ連軍の麾下に、うってつけの人物がいた。キム・イルソン(金日成)赤軍大尉である。本名、キム・ソンジュ(金聖柱)。1912年、裕福な漢方医の子として朝鮮半島北部で出生したことまでは分かっているが、詳しい出自については謎が多い。
7歳の時、父親の仕事の都合で旧満州に渡り、中国人の学校に通ったので、中国語と朝鮮語のバイリンガルに育った。もともとこの地域には朝鮮族の中国人が多く、バイリンガルもさほど珍しい存在ではないらしい。
1931年、奇しくも満州事変が勃発し、日中戦争が始まった年だが、19歳のキム青年は中国共産党に入党した。その後の経歴が、またしても謎だらけとなる。たとえば、いつ頃からキム・イルソンを名乗るようになったのか、はっきりしない。ただ、この偽名には大きな意味があった。
植民地支配下の朝鮮半島において、独立運動に挺身する人々は英雄視されており、いつしか「百戦百勝のキム・イルソン将軍」なる人物が満州で日本軍を大いに苦しめている、という話が、人口に膾炙するようになっていた。いつかこの将軍が凱旋し、祖国を解放してくれるのだ、という伝説が広まった、と言えばよいか。つまりは伝説上の人物なので、金日成、金日成、金一星など、どう漢字を当てるのかさえ判然としない。
いずれにせよ、抗日運動に参加した「自称キム・イルソン」の戦歴は、百戦百勝とはほど遠く、日本軍に大敗を喫した挙げ句、連領内に逃げ込む有様であった。
彼がソ連赤軍の軍籍を持っていたというのは、こうした経緯があったからで、息子で後に後継者となるキム・ジョンイル(金正日)に至っては、1942年にソ連軍の基地で出生し、ユーリ・イルゼノビッチ・キムというロシア語名まで授かっている。
■ソ連型一党独裁国家の樹立
ソ連軍としては、近い将来に予想される対日戦争に備えて、満州や朝鮮半島からの亡命者を手厚く保護し、いざとなれば日本軍の後方を攪乱する作戦に投入できるよう、特殊部隊としての訓練をほどこしていた。その後、ソ連軍が中立条約を無視して満州になだれ込み、朝鮮半島北部にまで進駐した経緯は、すでに述べた通りだが、9月末とも10月とも言われる、かなり早い時期に、一人の赤軍大尉を船で送り込み、「救国の英雄キム・イルソン将軍その人である」と大いに宣伝し、新たに樹立すべきソ連型一党独裁国家のカリスマ的指導者に祭り上げた。当時の朝鮮半島北部では、かなり露骨に反感を示す人も見受けられたという。
「あんな若造が、伝説のキム将軍であるはずがない」というわけだが、ほどなく、そんなことを口にしたら大変な事になる、という体制が確立されてしまった。ここに、金王朝とまで呼ばれる、一党独裁の概念にさえ収まらない特異な体制の歴史が始まるのである。
次回は、南北それぞれに新国家が誕生し、朝鮮戦争で激突するまでの経緯を見る。
(その2に続く)
【訂正】2017年5月8日 10:00
本記事(初掲載日2017年5月2日)の本文中、「8月10日には朝鮮半島北部のウンギ(雄基)に突入し、25日までには北緯35度線付近にまで兵を進めたのである。」、「35度線付近」を「38度線付近」と訂正致しました。(本文では既に訂正済み)
誤:35度線付近にまで
正:38度線付近にまで
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